回想
「ほらよ!さぼるんじゃねえぞ」
酒場の主人は、そう言いながら、箒や雑巾といった掃除道具一式を根こそぎ渡してきた。
時刻は日を又いでからちょうど二時間くらいといったところだろうか。
すでに店内に客の姿はなく、閑散とした空間には、時計が針を刻む音がよく聞こえていた。
周りを見渡せば、客の食い残しや、食器の洗い残しが散乱しており、臭いから察するに吐しゃ物もあるに違いない。
(これを一人でやるのか……)
道具を受け取った少年―リンは内心うんざりしながらもそれを顔には出さず、いつものように愛想のいい返答を返しておく。
毎日同じやり取りをしていれば、声の調子や愛想笑いの質も磨かれるというものだ。
「ふんっ!朝までにぴかぴかにしておけよ。塵一つでも残ってたら承知しねぇからな」
そう言い残し、店主は金の入った巾着を片手に、酒場の二階にある自室へと帰っていった。足音が遠ざかり、二階の戸の閉まる音を最後まで聞いたところで、リンは行動に移る。
「じゃあ始めるか」
小声で気合を入れ、腕まくりをすると慣れた手つきで掃除に取り掛かった。
まずは、食器からだ。机の上にある食器類を流しに持っていき、水につけておく。その間に、見通しの良くなった机の上のごみを捨てていき、雑巾で机やいすを磨きながら端の方に整列させる。次に、箒で床を軽くはいた後、モップで水拭きをして―――
リンはここ何年かで染み付いてしまった掃除の技術を駆使して、あっという間に店内を綺麗に仕上げていった。
最後に、まとめたゴミ袋を外に捨てに行き、他にやり残しがないか確認した後、店内の明かりを消す。
店主いわく、明かりもただではないとのことで、あまり長いこと点けておくと減給されてしまうためだ。
明かりを消すと、窓の外の星がよく見えた。
外は、まだ暗い。ちょうど真夜中と早朝の狭間の時間のようだ。
店内は、まだほんのりと暖かいため、リンは適当な椅子に腰をかけ、太陽が顔を出すまで待つことにする。
これがいつもの日課だ。
いつも小うるさい店主は寝静まっており、態度のでかい客や、頭のおかしな客のいない空間は静かで心地がよい。
いつもは、疲れて少し眠ってしまうことが多いが、今日は不思議と目が冴えていた。
そして、こういう夜は、決まって思い出すことがある。
(あれから六年か……)
目を閉じれば、鮮明によみがえる記憶。
思い出したところで特にどうということはないのだが、あの激動の一日だけはどうにも忘れられなかった。
今思い返せば、あのときの自分はすごい奴だったなと、どこか他人ごとのように感じてしまう。
自信に満ちており、出来ると信じて疑わなかった自分は、ものの見事に成し遂げたわけだ。
そんな昔の自分が、今の自分をみたらなんて思うだろうか。
奴隷ではないものの、少ない賃金を貰い、毎日媚びへつらいながら生きている自分をみて満足してくれるだろうか。
これが、あの日命を懸けてまで手に入れた現実だ。
六年前の自分が、未来の自分に何を望んでいたのかは、今となっては分からない。だが、こんな自分ではないことはなんとなく分かる。
結局のところ、現実を知らない子供が、分不相応に夢をみていただけに過ぎないのかもしれない。
せっかく暖かかった空間は、いつの間にか冷え切っており、外の空気と同じ気温になりつつある。
そろそろ帰ろうかと思い、ため息とともに重い腰を上げた。
窓の外を見れば、ちょうど太陽の光がこぼれようとしているところだった。
リンは目を細めて、夜から朝へと変わる瞬間をじっと待つ。
(……帰るか)
太陽の光が街を照らしだしたことを確認すると、リンは空っぽのリュックを背負う。
そしてそのままキッチンへと向かい、パンや飲み物をばれない程度に拝借してリュックにつめると、裏口から酒場を後にした。




