あとがき ~ そしてちょっと残念な「諸説あり」
さて、無量義経の教えを充分に理解し受け入れられた人は、いよいよ「究極の大乗仏教」とされる法華経(=妙法蓮華経)へと進むことができる……のだそうですが、皆さまは如何でしたでしょうか。
ちなみに筆者は充分に理解できた自信ありません。orz
なおこのシリーズは仏教経典の内容を初心者向けに、ジョークも交えつつ紹介する趣味のエンタメ作品であり、信者さんの布教目的でもなければ専門家の学術研究資料でもない点、重ねて確認させてください。
なので仏教に詳しい方にとっては不満の残る翻訳ではないかと思います。その場合、できましたら、より正しい現代語訳や注釈解説を自ら手掛けて下されたく。筆者もそれを教材として、あらためて勉強させていだきたいと思います。
ただ、翻訳に重要な間違いがあればこっそりと教えていただけるのは大歓迎です。こっそりと加筆修正して、「実は最初から知ってたよん」というフリができるから、あまり恥をかかずに正すことができてたいへんに有難く;
ところで、あまり詳しくない皆様にはちょっと残念なお知らせもありまして。
このお経については、実は「偽経」説があるのです……すなわち「インドから伝わった経典の翻訳ではなく、ブッダの名前を借りて古代中国の人が書いたイミテーションのお経」という可能性が指摘されているのであります;
その根拠は、おおまかにまとめると3つ。
1)翻訳者は相当に優秀な学者のはずなのに経歴も他の事績も伝えられてない
2)インド人名義とインド文献にしては中国人っぽい発想と表現が多い
3)原本も、それが存在した痕跡もインドでは見つかっていない
というようなことが挙げられてました。
これ以外にも「父母恩重経」や「盂蘭盆経」など、中国で書かれた疑惑の囁かれるお経はいくつかあるのですが……;
といっても根拠はほぼ状況証拠であって、この無量義経についてもまだ偽経確定というわけではありません。あるいは今後にインドのどこかで原本が発掘されるとか、ダルマカーダヤーシャ先生の他の事績が発見されて実在が確認される、なんて可能性も残ってはおります。
また『妙法蓮華経(法華経)』には、たとえば序品に
「この時(=遠い過去)に日月燈明仏というブッダは、無量義/教菩薩法/仏所護念という名の大乗のお経を説き給った」
といったような記述がありまして、「これは『たくさんの意味がある教え』と解釈するべきでなくそのまま『無量義経』のことで、少なくとも法華経より前に無量義経が説かれていた証拠となるから、『無量義経』はメイドインチャイナの偽経などではない」という説もありました。なるほど、そう読んだ方が素直という気もします。
ともあれ筆者は現段階では、このお経への信仰を、否定も、否定の否定もしません……真偽を確定できる確実な材料を持っていませんゆえ。
ただ、信じるにしろ信じないにしろ「こういう指摘もある」という事実は一応知っといた上で考えた方が客観的だろうと思い、隠さずに触れさせていただきました。
中国には古人の名前を借りて著されたニセ著者書物が多数存在してけつかります;
現代でも海賊版や偽ブランドがいろいろ発生してる国ですけど、古代からそういうものが多かったのでしょう。
しかしこと古典の書物に関しては、仮に著者がニセモノであったとしてもそれだけで無価値と決まったものでもないのです。
たとえばニセ著者疑惑のある医学書でも特定の病気に効きめのある漢方薬とか予防法とかが紹介されてたり、著者とは時代が違うじゃんという記述のある兵法書にも実際の戦争で役に立った戦略や戦術が論じられていたりなど、実学として読む価値のある書物が多数あるのです。
内容に価値があったからこそ、たとえ偽書であろうと時代を超えて伝えられ古典となったのでしょうしね。
ついでに言えば、宗派によっては「特定のお経以外はすべて偽経」と主張される場合もありますし、文献学でも歴史上のシャカムニ=ブッダの本当の言動を記録してるお経は、膨大な大蔵経の中のほんの数%しかないというのが定説のようで;
それでも宗教的聖典として今も多くのお経が読まれているのは、人々の苦しみを減らすために役に立つ方法や考え方が書かれてる、ブッダがそれを教えてくれた話の記録なのだと信じられているからでありまして。
この無量義経も現代まで信仰され読誦され続けてる経典ですから、もしも偽経だったとしても、修行の役に立つ教訓や、仏教を理解するための重要なヒントなどが含まれていることでしょう。
ゴースト著者さんがもしいたとしても、おそらくは長年にわたり仏教を研究し「お釈迦様は本当はこう言ったかったに違いない!」という信念を得て執筆したか、あるいはキツイ修行の末に現れた幻覚でブッダの説法を見て「これはぜひとも後世に伝えねば!」と思って記したか、そういう動機だったのでありましょう。
また偽経説といっても証明済みではなく「その可能性がある」というレベルであり、逆に「本当にブッダが語ったことの記録」だったという可能性もまだゼロと決まったわけではありません;
その辺の事実をはっきりさせたいなら、研究の進展を待つか、ご自身の目と足で真実を追求するかしかないしょうが……宗教としてなら「信じるか信じないかは、以下略」でいいと思います(説法品第二にある「水の喩え」のように)。
ともあれ、日本の仏教思想に一定の影響を与えた経典であることだけは間違いなく、研究する価値のある文献ではありましょう。
お経として一般的にはそれほど有名でないタイトルと思うのですが、とある新興団体で配布されてたお経本に略式の読誦が含まれてたり、伝統宗派と思われる読経を動画サイトで見つけたりしたことから、現在でもしばしば読誦されてることを知り興味が湧きまして、若干の相違のある2種のテキストを入手できた機会に、あらためてじっくり読んでみて、てきとー訳をさせていただいたのでした。
趣味レベルの素人ゆえ翻訳の質は低く、また専門家の先生によるもっと優れた解釈/注釈が他にもございましょうが、とりあえず今回は雰囲気だけでも、お楽しみいただけましたら幸いであります。
(^^;A
おしまい。