8-3
メルヴィンの鉱山を出た後、雪路はそのまま、ウェンディと一緒に仕立屋に向かった。約束では、今日、決闘用の軍服と、普段着が一着、仕上がるはずだったから。
「それに、誠さんと待ち合わせしてて」
「誠様と!?」
仕立屋への道を行きながら、ウェンディは目を見開いた。
試練が開始されたのは午前十一時だったけれど、終わったのは、午後の十二時半。土曜日なので、つい半時間ほど前から休日を開始した鉱夫や工女達が街中に溢れている。
「試練の後、仕立屋に服を取りに行く予定です、って話たら、それなら昼過ぎにそこに行く、って」
雪路はそう言ってから、あ、と、少し罰悪く肩を竦めた。
「ごめん、お昼ご飯、どんどん遅くなっちゃうね」
仕立屋に寄ってから昼食に行こうと話していたので、誠と会う分、時間が押してウェンディには申し訳ないと慌てるが。
「いえ、それは良いんだけど……」
ウェンディは苦笑いして首を振る。
「……あの誠様がわざわざ時間を合わせて来てくれるって……。一体、どんな用なの?」
「軍刀を、くれる、って」
雪路は見えて来た仕立屋の看板に視線を向けてそう言った。
「ほら、決闘用に。もしも〝毒林檎の試練〟を合格して読み取りの魔法が手に入っても、『肝心の武器がなくて、貴様どうやって戦う気だ?』って」
試練を受けると宣言した時、ならば試練が無事に終わったら軍刀でもくれてやる、と、そう約束してくれたのが誠だった。
「……仲良くなったわねぇ。最初は、あんなに苦手そうにしてたのに」
呆れと感心が半々の顔で、ウェンディは呟いた。
「誠様が雪路の本命だって、予想してる人が多かったのも納得だわ」
「それ、よく言われるけど……全然、そんな気ないのになぁ……」
苦笑いする雪路に、そうよね、と、ウェンディは笑う。
「本命は、別の人だものね」
「……もう一方的にはニヤニヤさせないぞー、私もたぶん、ウェンディの本命わかったぞー」
ニヤニヤするウェンディにムムッと言い返すと、あら、とウェンディは存外に平然と肩を竦める。
「何を勘違いしたか知らないけれど、私のは単なる憧れよ」
「えー?」
そうは見えなかったけど、と疑いの眼差しを向ける雪路に、憧れよ、とウェンディは急に静かに答えた。
「だって私、もう花嫁候補ではないもの」
「……え?」
「憧れでなければ、辛いだけだわ」
その言葉に、声を無くした。何と答えれば良いか分からなくて、急に、すぅと体の熱が引くような。
「……なんてね」
ふっと、ウェンディは元のように明るく笑った。
「ともかく、私は既に諦めてるの。からかおうなんて、百年早いんだから!」
そうして、戸惑う雪路の手を引くと、目前に迫った仕立屋の扉に小走りして、さっと、それを開いて。
「こんにちは。頼んでいたもの、取りに来ました」
明瞭な声で奥の店主に呼び掛ける姿。
怒っているわけでも、悲しんでいるわけでも、確かになさそうだった。
(……本当に、諦めちゃったのか)
おそらく嘘ではないのだな、と、雪路はそう悟った。たぶんウェンディは、本当に、一度ヘイダルに恋をして、そして、花嫁候補ではなくなった時に、失恋したのだ。
本人から拒絶されたのではなく、魔女の子息達と結ばれる資格を持つのは花嫁候補だけ、という、この世界の仕組みそのものによって、否応なく諦めざるを得なくなった。
(でも、諦めちゃったけど、好きじゃなくなったわけでは、ないんだろうな)
以前の、嬉しかったという呟き、先ほどの本人を前にした反応。それはたぶん、諦めたけれど、その気持ちそのものを無くしてしまったのとは、違う証。
憧れでなければ辛いだけ、とも言っていたけれど。だからきっと、辛くならないために諦めたのだろうけれど。でもきっと、諦めることと、気持ち自体が無くなることは、違う。
(……私、あんまり、そういう話しとか、素振りとか、しない方が良いのかな)
ウェンディの立場や心情を思うと複雑になってしまって、雪路は寄ってくる店主への挨拶が、少し遅れた。
今まで自分だけ、好きな人を思って堂々浮かれていたのかと思うと、引け目を感じてしまう。
しかし。
「雪路、私ね、だから、貴方のこと応援してる」
ポツリ、と。品物を取りに再び奥に引っ込む店主の方を見たまま、ウェンディは唐突に呟いた。
「もう憧れにしたつもりだけど……。でも、あの人のこと好きな花嫁候補が、魔女様の後継者になって……あの人の花嫁になるのは、出来れば見たくないから」
クスリと笑って、ウェンディは片目を閉じた。
「だったら、アントワーヌ様が本命の貴方が後継者になってくれれば安心できるし、それなら素直にからかえるもの」
「……からかうのはやめてよー……」
雪路はちょっとだけ気を取り直して笑った。
たぶん、雪路の戸惑いを悟ったウェンディのフォローなのだろうけれど。でも、それも嘘ではない本音なのだろうと思った。それならばこそ、逆に下手な遠慮の素振りはいらないだろうと、気を取り直せる。
ただ、一抹、やはりスッキリとしない何かは残るけれど。
(……そうか、〝ここ〟では、花嫁候補じゃないと、魔女様の息子達には、届かないんだ)
ふとした時に感じる、地球、雪路が今まで知っていた世界との、違い。
最初の日に、魔女は自分の正式な後継者となった暁には、好きな息子を夫として与えてやると言った。あるいは、いつかヘイダルも言っていたのだ。花嫁候補達の多くは魔女の後継者となることで得られる力と名誉への欲求にも増して、〝目当て〟の子息を得る為に試練に挑むと。
(……でも、思えば、それって……)
それではまるで、魔女の子息達は賞品のようだと、ふと思った。そして実際問題、花嫁候補達の後継者争いを煽り、地球への帰還願望すら弱める最高の賞品、参加者を引き付けるトロフィーとして、彼等が機能している事にも気付く。
(……この世界は、そういう仕組みなんだ)
今更のように改めて認識して、何だか薄ら寒い気持ちがした。
(たとえば、花嫁候補の誰かが試練を全て合格して、魔女様の後継者になったとして……)
その花嫁候補に夫として指名された時、魔女の子息達には、拒否権は無いということになる。
(〝婚約者〟を、選んで応援することは許されているみたいだけど……)
その〝婚約者〟は、花嫁候補の中から選ばねばならない。たとえば工女達の誰かを愛しいと思っていても、彼等には、その相手を選ぶ選択肢はないのだ。
だから、ウェンディは工女になった時点で失恋したのだと、ようやくと思考は出発点に戻り、雪路は小さく眉を寄せた。
この世界では、工女は魔女の子息に恋が出来ない。そして、魔女の子息もまた、制約の中でしか自らの伴侶を選べないのだ。
そう思って、雪路はふと不安になった。
(……アントワーヌさん)
彼にも、拒否権は、ないのだ。この世界で魔女に次ぐ力を持つ彼ですら、魔女の後継者になった誰かから夫として指名されれば、おそらく従うしかないのだろう。
たとえば、彼に執心しているイザベラ。あるいは、彼を〝目当て〟にしている花嫁候補は多いから。
(……あの人が、誰かの、旦那さんになっちゃう……)
想像して、血の気が引くような心許ない気分になった。そんなのは絶対に嫌だと、反射的に頭の中で叫ぶ声があって、それが嫌なら自分が試練を誰より早く合格しなければならないぞ、と、冷静に答える声がある。
(でも)
そうして、冷静に答える声に、もうひとつ気弱な声が、反論するのだ。
(……そんな風に、もし、私が一番に試練を合格して魔女様の後継者になったとしても……)
雪路が夫に指名した時、彼はどんな顔をするだろうかと、肺が軋んだ。拒否権がないのを知っていながら、自分の好意を押し付けるなんて、そんなの、きっと許されないと、思う。
(……もしも、嫌そうにされたら)
拒否権が無いことを嘆かれたら。失望されたら、嫌われたら。
(……それじゃ、意味がないよ)
好きだから、他の誰かの横で花婿になって欲しくない。でも、だからと言って無理矢理に自分の方に引っ張って、結果嫌われては本末転倒だ。形式だけは結ばれたとしても、そんなの、嬉しくも何ともない。
取らぬ狸の皮算用、あくまで試練を合格出来たらの話ではあるのだけれど、試練を合格しなければ誰かに取られてしまうかもしれないのだから、そこは何として取らねばならない皮、合格しなければならないのが確かなわけで。しかし、合格して指名したら嫌われるかもしれない、と、思考は悪いループにはまる。
結果、スッキリしないものを一抹抱えたままの雪路に、ウェンディは困ったように笑って。
「ごめんね。何だか、余計な事を考えさせちゃった」
「あ、いや、これはウェンディのせいじゃないというか……」
きっかけではあるけれど。ウェンディの思いや状況を考えて、今まで改めて考えて来なかったこの世界における歪みみたいなものに気付いたといったところ。
(……遅かれ早かれ、これはぶつかってた問題だろうし……)
雪路はううむと頬に両手を当てる。
「……今はとにかく、ひとまず決闘を乗り越えないとだよね……」
このまま悪いループで考え込んでも仕方ないのだけは確かだった。よりにもよって明日は決闘なのだから、今だけは保留こそが最善だろう。
グリグリと頬を押す雪路に、あらら、とウェンディは笑った。
「ほっぺた潰れちゃうわよ?」
「何をしているんだ、貴様は」




