8-2
何やら楽しそうに騒がしく、少女二人が立ち去ってから。
「……俺も何か片付けを手伝うか?」
振り向いたヘイダルは、そこで、メルヴィンが何やら苦い顔をしていた事に気付く。
「……メルヴィン?」
「……ヘイダル」
メルヴィンは眼鏡のブリッジを押し上げ、視線だけをヘイダルに向けた。
「貴方は、彼女……花都 雪路がアントワーヌとどんな関係かご存知ですか?」
「なに?」
ヘイダルは眉を片方上げて怪訝を示した。
「どんな関係か?……顔見知り、ではあるようだが、まあ、通常通り、花嫁候補と魔女の子息、だろう?」
「……あの人は、決闘の観戦に現れたことなど、殆どありません」
メルヴィンは幾らか低い声を出した。
「花嫁候補に対しても、鉱夫や工女に対しても、いつでも一定の距離を置いていた。あの人はこの街の裁判官です。魔女様に次ぐ力を持ち、滅多に現れない魔女様にかわり、実質的な統治を担う人ですから」
だから誰に対しても一定を保とうとしている、と、メルヴィンは呟く。
「それが、明日の決闘、花都 雪路に会いに行くと、約束するなど……」
「確かに珍しい事だが……。そういう話の流れになる事だって有り得るだろう」
ヘイダルは首を傾げる。
「何か規則に反するわけでもないだろう。引っかかる事でもあるのか?」
すると、眼鏡の奥の琥珀の双眸は悩むように視線を彷徨わせた。
「……彼女は誠やニコロと仲が良いと聞いていました。あるいは、今回の試練の申請は、フロールを通して私に届いた」
「ああ?」
「だから、以前に誠やニコロ、フロールを目当てにしている花嫁候補達から受けの良かった、彼等の幻を配置したんです」
それでヘイダルは少し笑ってしまった。
「なんだ、お前は自分のトラップが外れて気に食わないのか?」
生真面目で冷静そうに見えて、実は負けず嫌いな魔女の四男。なるほど、そういう事かと納得すると。
「……それも、ありますが……」
メルヴィンは少し迷ってから、口を開いた。
「……断られたんです、アントワーヌに」
「ん?」
聞き返すと、複雑そうな顔で語る。
「〝毒林檎の試練〟に際し、誰か本物として幻に混ざってくれませんかと、皆に聞いたのですが……」
誠は何やら忙しく、ニコロはまた何かミスをしてバタバタしていた。エリックは興味がないと肩を竦め、フロールは元より体が強くないので、長時間身動きできない〝毒林檎の試練〟の本物役は基本的に引き受けない。
「……それで、私自身を除けば、アントワーヌか貴方が必然として残ったのですが……」
「アントワーヌは断ったのか?」
「ええ。そして、その理由が……」
メルヴィンは腕組みして、呟くように言った。
「〝約束した日ではない〟から、と」
どういう意味かと、言われた時には首を傾げたが、今となって理解した。
「あの人は、花都 雪路が林檎を選ぶ根拠とした通り、彼女との約束によって、今日ここに来なかった」
「なるほど」
雪路の根拠は、偶然ではあるが単なる直感の枠を超えて、本当に根拠として正解だったのか、と。ヘイダルは少し目を丸くした。
「……規則には、違反していません」
メルヴィンは何か煮え切らない顔で唸った。
「……しかし……あの人が、誰かを事のほか気にかけるなど……今までなかったので……」
メルヴィンはブツブツと声を尖らせる。
「……竜を倒したり、あの誠が気にかけたり……そして今度は、あのアントワーヌが親しげにしている……。彼女が来てから、変わったことばかり起きます」
「そうだな」
同意するヘイダルに、ふぅ、と、溜息を吐いたメルヴィンは、眼鏡を外して、手の中のそれをジッと凝視する。
「……私は、これでも今の状態に満足していますからね」
色々あったが何とかここまで来た、と。ポツリと呟く横顔。遠い日の大英帝国から、突如、見知らぬ世界に連れ去られて来て、もう随分と、月日は流れてしまっている。
「……帰るべき場所はとっくにありません。だから、この世界には、平和でいて欲しいんですよ」
やれやれと呟き、宙から取り出した布で眼鏡のレンズを拭くと、メルヴィンはヘイダルを振り向いた。
「……とまぁ、ただの愚痴です。すみません、お付き合いありがとうございます」
眼鏡を掛け直し、いつものように冷静に言い放つ顔を、ヘイダルは少しの間見詰めた。
帰るべき場所はとっくにない。
それはヘイダルにとっても、そして、魔女の子息達全員にとっても、同じことだった。
そして今、この鉱山世界は、上手くいっている。かつて最も悲惨な状態だった頃から、少しずつ、少しずつ、変えて来たのだ。まだ問題は多いが、少なくとも、信頼できる〝兄弟〟がいて、居場所がある。
地球に帰るべき場所がないなら、この居場所を、この世界の今を守ろうとするのは、当然の心理だろう。
「……ああ、気持ちは分かる」
ヘイダルは頷いて、再度、片付けの手伝いを申し入れた。そうしてメルヴィンと並んで歩き出しながら、少しだけ、複雑な気分で坑道の暗い影を見る。
(帰る場所)
連れ去られて来た時、奪われたのは、誇りだ。美しい砂の海、その海を、どこまでも自由に航行する、砂海の航海者たる誇り。自由こそを財産とした砂海の航海者であることへの自負は、あの日あの時から、奪われて久しい。
(……ここには、俺の海が、ない)
しかし、帰るべき場所があり、それを捨て難いと、安寧を保ちたいと願う気持ちも、今や確かに存在する。
だから。
(……結局、俺も、現状維持を選んでどれくらい経つかわからん……)
ふぅと溜息を吐いて、ヘイダルは首を左右に振った。
(……根っこにはいつも故郷が……望郷があるが……だからこそ)
届かなくなったその愛しいものの穴を、この世界に埋めていて欲しいと、思うのかもしれなかった。そして、ヘイダルに限らず、望郷の穴を埋めるほどに平穏で豊かな今のこの鉱山世界を守りたいという思いは、きっと、魔女の子息達全員に共通の思いだから。
(……だから、メルヴィンも、幾らか警戒しているのか?)
アントワーヌの行動は、良くも悪くも、ヘイダルを含めたこの世界の多方面に影響力を持つ。故に、ただでさえイレギュラーを連発している雪路が絡んだ結果として、彼までもが想定外の言動を取ったことに対して、現状を守りたいメルヴィンは動揺したのかもしれない。
なるほど、と少し納得して、ヘイダルは再び小さく息を吐く。
(お前の選んだ相手は、些か立場が厄介だぞ、雪路)
そう思って、ちょっと雪路を応援してやりたい気待ちになっている事。不意に自覚して、ヘイダルはムッと、口の端を曲げた。




