10-3
引越しと言っても、寮に着いてしまえばそれほどするべき作業は無かった。元々、部屋の掃除はウェンディや寮監、工女達が始めてくれていたので、それにちょっと加わって。後は、数少ない荷物を、ひとまず配置。
その合間に、寮に来る途中で引越し挨拶と掃除の御礼にと買って来たクッキーやケーキを広げれば、寮監や工女達も近くの屋台街で買って来た料理を広げ、皆で少し遅い昼食となったり。
作業が全て終わった頃には、そのまま少し早いけれど皆で風呂に行き、また寮に戻った時には、時刻は丁度良い頃合だった。
「ねぇ、これ、背中、大丈夫?大丈夫?」
着替えた雪路が、自室の玄関でソワソワ問えば、大丈夫、大丈夫、と、カレンとウェンディが頷く。
「ちゃんとレースもリボンも綺麗になってる」
「髪の毛も、ちゃんと纏まってるわ」
「うう……、やっぱり、かえって慣れない格好はすべきじゃないような……」
背中側のリボンとレースで腰を絞った足首丈のフンワリしたワンピースに、袖口が少し広がったボレロ。久々にちゃんと結い上げた髪と。この世界では標準的なのかもしれないけれど、二十一世紀の日本の感覚からすれば、だいぶ時代映画の中のお嬢様のような服装。慣れない余所行きに、土壇場で雪路は不安が募る。
「ねぇ、わかりやすく気合い入れ過ぎじゃない、これ?」
「今更でしょ」
「慣れない格好って、それじゃ、着慣れてるからって、あの誠様風の軍服で行く気?」
恥ずかしいやらソワソワするやらで弱気になる雪路を、カレンとウェンディは呆れたように笑って励ます。
「大丈夫よ、似合ってる、似合ってる。ここは分かりやすく気合い入れるくらいじゃないと、相手もガッカリするわよ」
「むしろね、フルコースのディナー御馳走になるなら、それくらいは当然のドレスコードだから」
うーうーと唸る雪路は、そうして丸め込まれると、いよいよヒールのあるブーツを履かされ、グレーの柔らかくて品の良いコートを羽織らされ、ついに寮の外まで連行された。
「ほら、もう出た方が良い時刻よ」
「引率はしないわよ、楽しんで来なさいね」
銀のチェーンが付いた小さなバッグを抱えて、ウェンディとカレンに背中を押され。
「……う、うん……」
ようやくと、決心がついて、コクリと頷く。
「い、いってきます……」
不安と期待と半々で落着かないなりに。夕日の当たる門を潜り、見送る二人に手を振って、歩き出した。
(……うー……いよいよだ、当日になっちゃったよ……)
服を準備したり、どの化粧品を使おうかアレコレ悩んだり。髪型はどうしようとか、会ったら最初に何を話そうとか。考えていた時は、あんなに待ち遠しくて楽しみで、早く来ないかなと思っていたのに。
完璧な準備で迎えたはずの当日には、次から次へと不安が浮かんで来る。
(……靴の色、これで良かったかな?スカート、長過ぎて背が低く見えたりしないかな?)
結った髪は綻んできていないだろうかと、触れかけては、触り過ぎると余計に崩してしまうかもしれないと、やっぱり手を引っ込め。
道を歩きながら、フワフワと思考は止まらない。
(……何、作ってくれるのかな)
こうして自分が歩いている間に。あの人は、何をしているだろう、と。
(もう粗方、作り終わってる?盛り付けとか?それとも、ギリギリまであったかい物出そうとして、まだフライパンの前とか……)
銀の髪と金の瞳が脳裏に浮かぶ。
(今日は片付けは手伝うぞ、前は上手く流されちゃったけど)
うんうん、と小さく雪路は頷いた。
(アントワーヌさんだって、週末は疲れてるだろうし)
それなのに、時間を割いてくれる、と。突拍子もないお願い事をきいてくれる、と。その事実に、知らず少しだけ頬が緩む。
(……ちょっとだけ)
そんなわけないと、思うのだけれど。そんなに都合良くいくわけがないと、冷静にしようとする自分の一部は言うのだけれど。
「……でも、ちょっとだけ、期待してもいいのかな……?」
ウェンディやカレンが言うように。〝脈がある〟なんて。少なからず、もしかしたら、特別扱いしてくれている、なんて。
もしそうなら、嬉しくて嬉しくて、死んでしまいそうなのだけど、と。
思ってしまって、それに一人で羞恥やら罪悪感やら期待やら入り乱れ、うう、と思わず頬を押さえる。
(……すごい、すき)
こんなになってしまうくらいに。だから、早く会いたくて、そして、これから絶対に会えるのだと思うと幸せで。
知らず、早足になった時だった。
パチン、と背中に衝撃があって、思わず前に体勢が崩れる。
「わ」
咄嗟に浮遊魔法を発動して転倒を避けた所で、衝撃を受けた背中に遅れて痛みがやってくる。
「な」
殴られたような痛みの正体を探ろうと振り向きかけた刹那、バシャリと真横から勢い良く水柱に撃たれ、浮遊魔法で前にのめったまま十センチほど浮いていた雪路は今度こそバランスを崩す。
撃たれた方と反対側の足を咄嗟に地面に付いたものの、高いヒールの靴は瞬間的に平衡を保つには適していなくて、そのままクテッと足首が曲がった。
(まずい、捻る!)
瞬間的に、これは下手に逆らうより、転んでしまった方が安全と悟って、重力に従って。
「いったた……」
びしょ濡れになって、顔を上げた先。
「調子に乗るなって、言ってんのよ」
取り巻きを従えたイザベラを確認すると同時、電光が走った。




