10-1
木曜日。雪路は仕事を終えた夕刻に、カレンやウェンディと合流し、約束通りにメルヴィンの鉱山を訪れた。
「やぁ、待ってたよ」
先に来ていたフロールが手を振って鉱山の入口で迎えてくれ、そのまま案内された先は、備品置き場。鉱山の主であるメルヴィンはそこで待っており、そして、その横にはもう一人、背の高い姿。
「久しぶりだね、雪路ちゃん」
ニコニコと、いつも通りに軽い調子で近付いて来たエリックは、気付くとポンポンと雪路の肩に手を回して、もう片手はカレンの手を取っている。
「君は……そう、カレン、カレンちゃんだ。いつか、お話しした事があったよね、園芸が趣味なんだっけ。うん、薔薇みたいな可愛らしい唇にピッタリの趣味だから覚えているよ」
この調子で花嫁候補全員の名前やら趣味やら、何かしら話題を記憶しているのだろうか、と。そこまでいくと才能というか、凄い努力だな、と思わず心から感心。
ただ、やはり、一見すると馴れ馴れしい程に肩に触れている手には一切の下心が感じられなくて、どこかよそよそしさすらある。
「赤毛の君は……工女ちゃんかな?もったいないなぁ、凄く可愛いじゃないか、ねぇ、名前は?」
「エリック」
コホン、と、メルヴィンが咳払いする。そして、雪路の肩を抱いてカレンの手を握ったまま、ウェンディに甘い笑顔を向けていたエリックの肩に、ポン、とフロールの手が乗った。
「エリック、君は少し女性に気安過ぎるよ」
「君達は固過ぎるんじゃないかなぁ?」
肩を竦めたものの、エリックは結局、観念したように両手を上げる。
「フロールから話は聞いています。衣類が不可抗力の事件で大量になくなったと」
メルヴィンは雪路に視線を向けて、それから、パチンと右手の指を鳴らした。
「丁度、どう処理した物か迷っていたので。お好きにお取りなさい」
ぶわり、と。幾千枚にも見える本の頁が部屋中を吹き荒れた後には、洒落た服を纏ったマネキンが幾体も立っていた。
「あ、ありがとうございます」
大量の頁の嵐に怯んだ目元を擦り、雪路は小さく会釈する。
「へぇ、備品の服を持ち出すって言うから、興味本位で来たけれど。これは中々、目に楽しいね」
エリックは腕組みし、碧眼で室内を見渡した。
「洋の東西、時代を問わず。まるで楽屋に衣装がズラリと並んだみたいだ」
どこか懐かしげな響きに、雪路は振り向く。
「楽屋?」
「ああ」
ハッとしたように肩を揺らしたエリックは、一瞬の間を置いて甘く微笑むと、とびきり大袈裟にウィンクを飛ばして見せて。
「俺は元々、ブロードウェイの役者なんだ。ふふ、実は凄く歌が得意なんだ」
その言葉に目を丸くした。
(……イメージ、ピッタリ……)
華やかな印象のあるエリックだから、ベルエポックの頃、アメリカのショービジネスの世界に生きていたと聞けば妙に納得。むしろ出来過ぎているくらいにピッタリではあった。
「エリックさんが俳優さんって、すごく似合いますね」
素直に言うと、だろう、ともう一度ウィンクして。
「でも勘違いしないで欲しいな。俺が君達の事、カワイイって褒めてるのは、演技なんかじゃなくて、溢れるほどの本心だからね」
「エリック」
どさくさで再び、手近にいたウェンディの肩を抱こうとした手は、ピシャリとメルヴィンに払い退けられる。
「花都 雪路、貴方は服を選びなさい」
「あ、はい、すみません」
クドクドとエリックに説教を始めるメルヴィンと、それをニコニコ眺めるフロールと。
兄弟順で言うなら三男で、この中なら一番上のはずのエリックが叱られる光景を視界の隅に、雪路はウェンディやカレンと衣装の物色を開始した。
「色んなのがあるわね」
ウェンディはザッと室内を見渡してから、雪路を振り返る。
「ちらほら、東洋系の民族衣装もあるみたいだけど」
「雪路は日本人でしょ、てことは、着物も着れる?」
ワクワクとした表情で、カレンは近くにあった白い振袖を指差した。
「あれ、すっごく綺麗ね!袖の花柄が凄くエキゾチックで良いし、あのベルト、ツヤツヤしていて綺麗」
「あ、帯のこと?ほんとだ、綺麗」
確かに、それは高級感があって、錦で織られた優雅な帯の着いた綺麗な振袖だったけれど。
「……でも、あれを一人で着付けは出来ないなぁ」
浴衣くらいなら、何とか自力で着れるけれど、と。雪路は苦笑いする。
「あら、そういうものなの?」
「あれは振袖って言って、特別な日に、結婚していない女の子しか着ない、手が掛かる着物なの」
説明すると、へぇ、とカレンもウェンディも感心して頷いた。
「じゃぁ、普通に洋服の方が良いかしら?」
「着るのは楽だし、失敗がないかも。そっちの方が」
頷いた雪路に、それなら、と二人は思い思いに良さそうなものを指差しては、あれはどうかと話始める。
「雪路は赤系の色が良いと思うわ」
「華奢だから、あまり華美だと逆に重たく見えちゃう」
あれでもない、これでもない、と。総レースのワンピースや、艶やかなマーメイドラインのロングドレスや。何色が好きだとか、それなら靴下はどうすべきとか。
話し合っているうちに、マネキンの群の奥の方まで分け入って。
「あ、そういえば、下着はどうするの?」
コルセットだけを身に付けた何体かの間で、カレンが首を傾げる。
「え?」
「ほら、下着もバラバラにされちゃったから、今、急ぎで間に合わせたのを使ってるんでしょ?」
この世界の文化は、ほぼ十九世紀半ばの文化が基準になっているらしい。当然に下着もその辺りが基準になるから、雪路がこの世界で最初に苦戦した深刻なカルチャーショックは、下着としてのコルセットの着脱であったりする。
「ほら、これなんか可愛いわよ」
マネキンの着ている白いレースのコルセットを指すカレン。それならコッチも大人っぽいくて良いわ、と、ウェンディも黒地に赤のレースが入ったコルセットを示して。
「え、でも、ほら、見えるものじゃないし。持って帰るのに嵩張るから、それは気長に仕立屋さんのを待つよ」
雪路は何の気なくフルフルと首を振った。
けれど、途端に、二人はピクリと眉を揺らす。
「駄目よ!どうせ気合い入れるなら、靴下から下着まで徹底すべき!」
ウェンディが断言し、それに、とカレンが声を潜めて耳打ちしてくる。
「あのね、貴方、自分が片思いしてる相手の、しかも相手も自分に好意があるかもしれない状況で、その家に、週末の夜に行くのよ?」
「え」
ピタリと、固まった雪路に、ポンと肩を叩いたウェンデが、グッと胸の前で両手の拳を握り、頷いた。
「万一は、考えた方が良いわ」
「え、え、え、万一って?え?まさか、え……」
頭の中で二人の言わんとするところに辿り着いて、咄嗟に茹で上がる顔を抑え、やや掠れた声で首を振る。
「ない、ない、ないよ、そんな」
「それはね、そんな反応する貴方相手に。ないとは思うけど」
カレンは腕組みして、ううむ、と唸った。
「エリック様とかニコロ様とか、あと、意外とフロール様とかに比べれば、かなり落ち着いていそうだし、万一もないとは思うけど」
「でも、逆に言うと、誠様とか、ヘイダル様とか、メルヴィン様に比べるとねぇ……」
ふむふむと顔を見合わせる二人に、待って待って、と許容量を越えた想像で大混乱の雪路が、意味もなく両手を上下していると。
「んー?何の話?」
ヒョコリ、と、マネキンの向こうからエリックが現れる。
「今、俺の名前、可愛い声で呼ばなかったかい?」
「え、ええ、いえ……」
慌てて、少し気恥しく三人は首を振る。
「ちょっと世間話をしていて」
「ふぅん?」
エリックは深くは追求せず、服は決まった?と首を傾げる。
「どれも可愛いけど、普段着には少し嵩張るからね。余所行きが欲しいって聞いたんだけど、急ぎで何か予定が?」
「えっと……」
雪路は咄嗟に少し視線を逸らす。正直に言っても悪い事ではないのだけれど、何となく気恥しいので、小さく頷いて、曖昧に返す。
「ちょっと、土曜日に……」
「土曜って、君達、引越しだって聞いたけど?」
「あ、夕方から出掛けるんです」
すると、へえ、とエリックは頷いた。
「デートか」
「え」
図星を突かれて肩を震わせる雪路に、ニッコリと微笑み、大袈裟に胸に手を当てる。
「嫉妬してしまうよ!君みたいな可愛い小野小町ちゃんとデートなんて、どこの誰かな?」
その声に、慌てると同時、どこかフルリと冷たい感触を覚えた。
(……なん、だろう?)
笑顔のはずなのに、鋭い棘に似た何かを感じる。それは探る様でもあり、威嚇するようでもあり、けれど、それを隠してしまおうとしているような、薄ら寒い計算も、きっとあって。
気恥しさだけでなく、奇妙な怖気のようなものが掠めて言葉を詰まらせていると、こら、と少し怒気を含めた声が聞こえてきた。
「だから、貴方は何をしているんですか!?」
現れたメルヴィンは、やや頬を赤らめてエリックを睨む。
「この辺りは、紳士が近付いて会話に加わるべき区画ではありません!」
「ああ、下着……コルセットの区画だから?」
「わ、分かっているなら立ち入るんじゃありません!」
クシュンとクシャミをしながら、メルヴィンはエリックのスーツの首根っこを掴んで強引に離れて行こうとした。
「たかがマネキンがコルセットを着てるだけじゃないか、まだ女の子が着てる訳じゃない。意識し過ぎは、かえってムッツリなんとやら、だよ、メルヴィン?」
「お黙りなさい!確かにマネキンが着てますが、そこから選んでいる御婦人がいるんですよ!貴方にはデリカシーとか遠慮が無いのですか!?」
「へぇ、つまり君は、あの中のどれかを可愛い御婦人がこれから身に付けるかもしれないって、そんな想像をして照れてるの?ムッツリだなぁ」
「そういう事じゃありません!」
ワァワァ言い合う声が遠ざかり、雪路は無意識にウェンディやカレンと顔を見合わせる。
「……仲が良いのね」
ポツリ、とカレンが呟いて、同時に三人で吹き出した。




