9-24
屋台街の方へと楽しげに去って行く少女三人の背中を見送って。
「俺達も適当に夕飯を取って帰るか」
横のフロールに視線をやったヘイダルは、ふと、遠くを見詰める姿に、動きを止める。
「……フロール?」
「工女達は、今、幸せなんだろうか」
ぽつりと、フロールは呟いた。その視線は街の遥か向こう、永遠に続く鉱山の稜線を見たまま動かない。
「……実際に目にしてみると、僕からすれば不便そうに見えて仕方がない」
「まぁ、改善の余地はあるな」
ウェンディという工女のかわりに閉めた鉄柵の重さを思い出し、ヘイダルも頷いた。あの小柄で、赤毛の工女は、いつもあんな門を閉めるために、ああして踏ん張っているのかと思うと、少し心配になる。
「寮等の改修には補助金を出すようにするのも良いかもしれん」
「……地球に帰るよりは、ここにいる方が良いと、言っていた」
呟くヘイダルに対し、独り言のようにフロールは勝手に続けて。
「それなら、ここを平和に保とうとしてくれるだろうか。それとも……ここを自分達にとってより良いものにするために、闘おうとするだろうか」
その言葉に、ヘイダルは少しだけ眉間に皺を寄せた。
「……やはり、お前はそれが今も引っかかるのか」
フロールが、建物の増改築の管理を緩める事に反対だと言った時、真っ先に浮かんだ事がある。
(……反乱の拠点に成り得る場所を、作られるかもしれない、と)
魔女の五男は、そう、警戒しているのか、と。
「……俺やニコロ、メルヴィンに、誠、エリックも」
ヘイダルは腕組みしてフロールの方に体ごと向き直る。
「幸運にも、この世界で、遭遇したことはないが……」
「僕が見たのが、最後だからね」
フロールは、静かに視線を山の稜線から足元に落とした。
「最後の〝反乱〟だった。最後の、あれでも、だいぶ小規模になったものだって、そう聞いたよ」
その出来事を、ヘイダルも話で知ってはいる。しかし、その出来事を本当に覚えているものは、最早この世界に、魔女を除けばフロールと、そして、アントワーヌしかいないのだ。
「死ねば、人々の記憶にも残らない」
フロールは小さく呟いた。
「僕等、魔女の子息の記憶にしか、残らない」
だから、古くからいる鉱夫や工女達も、その出来事を覚えてなどいないのだ。そうなるように、魔女はこの世界に、そういう恐ろしい記憶のルールを創った。
「……魔女に反乱した鉱夫や工女達の叫びを、信念を、悲しみを、覚えているのは、僕達二人だけだ」
長い溜息を吐いて、フロールは両手の平を見詰める。
「……あの時から、僕は何もしていない。いや、この世界に来る前から、僕は何もしていないんだよ」
フロールは、帝政ロシア末期の貴族だった。一九〇○年代の初め、ロシア各地で帝政への反乱が起きる中、体の弱さから床に伏せて、窓を見上げるだけの貴族の青年だったのだ。
「特権階級がいつまでも進歩なく利権を享受しているだけでは、絶対に、国家はいつか停滞して、民の怒りは暴力になって爆発する。絶対的な権力、支配機構は、いつだって最後は腐敗して、凄惨な血の流される日がやって来る。そんなこと、ロシアにいた頃からわかっていた」
フロールは首を左右に振る。
「皮肉だけれど、こちらに来てからやっと何かを出来るだけの体力も力も手に入れたのに。僕は、最初に見たあの反乱で怯え上がって、すっかり保守派の特権階級になってしまったらしい」
鉱夫や工女達の生活を向上させねばという思いは確かにいつだってあった。けれど、その裏にある思いは、かつてロシアの病床で思っていたような、人々や理想に寄り添った物ではなくなってしまったように、思うのだ。
「反乱を起こされないためには、もう二度と、あんな事が起きない為には、どうするか。僕はきっと、その方法として、自分の精神の安寧を守る方法として、鉱夫や工女達の生活向上を目指したんだ」
あくまで特権階級の視線で、いつしか行動していたのだと、フロールは自嘲する。
「……我ながら臆病者だ。反乱の時だって……僕は、怯えて見ていただけだ。目を閉じて、見たくないって叫んで……。……アントワーヌひとりに、なにもかも、やらせた」
「それでもお前は結果的に、今の状態を作るのに貢献した」
ヘイダルは、ポンと、フロールの肩を叩く。
「その頃よりも、今はきっと良くなっている。お前が見た反乱が最後になった、それはつまり、そういうことだろう?」
ヘイダルはかつて、地球では反乱を起こした側だったのだ。そのヘイダルからすれば、地球にいた頃から反乱される側だったフロールの心境は、完全には理解できないけれど。
「それが真からの理想によるものでも、現実の恐れに直面して出た回避策としてのものでも、辿り着く先で皆が平和なら、どちらもきっと悪いものではない」
素直にそう思って肩を再度叩けば、そうかな、とフロールは苦笑いする。
「……それでも、少しずつ、変わっていかなきゃならないだろうと、改めて思うよ。その方がきっと、本当の意味で、この世界の為になる」
そうして、いつもの調子を取り戻して、クスリと肩を竦めた。
「工女達と同じように、僕も、もう地球には帰れないからね」
帝政は崩壊し、更に、その後に出来たというソ連さえ解体してしまったと、聞いている。
「さすがに、今あるらしい〝ロシア〟は、帰る場所とは言い難くて……」
だから、この世界を良くしていかねばと笑うフロールに、そうか、と、ヘイダルは頷いた。
「……ならば、やはり、ひとまず改修の助成金を」
「君、よほど、あの赤毛の子が心配なの?」
呟きを割って小首を傾げたフロールに、は?と聞き返して。
「いや、そういうわけでは……」
やや慌てて首を振るヘイダルを横目に、ふぅん、と。すっかり調子を取り戻した曲者の五男は、どこか楽しげに鼻を鳴らして頷いた。




