06.お母さん、グエンさんと話す
グエンさんはリースマン家の家令です。祖父の代から三代この家に仕え、奥向きのことを支えてくれています。
『お父さまと、お母さまは私が十六の年に水害に遭って死んでしまったの。私はまだ、学生だったから、当時婚約者で、すでに学院を卒業していたブライアンが婿修行ということで。グエンと二人、この領の采配をしてくれたわ』
まあ、クソ旦那もいい時期があったというの?
『ふふふ、二年はちゃんと働いてくれた。私が学院を卒業し、結婚して、自分が爵位を継げないと分かった途端に働かなくなった。ブライアンったら自分が伯爵になれると思っていたみたい』
ブライアンは入り婿よね。どうしてなれると思ったのかしら。
『私が伯爵にならないと言えば、ブライアンに継ぐ権利があるのよ。中継ぎではあるけれどね。……でも、グエンがそれに反対して、わたしに伯爵になれと言ってくれた。だから私は伯爵位を継いだの。……グエンはあの人の腹の底に気付いていたのね』
『ローランが生まれて、ソフィアがお腹にいることがわかると、ブライアンは自分に社交を任せて欲しいと王都に行った。それから、この八年間この領には帰ってきてないわ』
「なんて無責任な……。ちょっと待って、八年って、じゃあ、ソフィアは父親に会ったことがないの?」
『……そうなるわね』
「こう言っては何だけど、グエンさんって人を見る目があるのね」
『どうかしら、領主になった私は、目の前の仕事で一生懸命で、考えなしに旦那に送金して、子どもたちに我慢を強いて、ただ仕事をこなすだけの人形だったのよ。それなのにお金は増えないし』
「そんなこと、子どもを産むのも育てるのも、とっても大変だし。領を経営するのも、大変な仕事だわ。まだ、二十代の女の子がそれをひとりでどうにかしてただなんて、並大抵の努力ではできなかったはずよ」
アリシアさんは、大きくため息を吐いた。
『大変だった。ほんとに……』
「よく頑張ったわね。リースマン領はあなたのおかげで今の生活を送れているのよ。……そして、クソ旦那はやっぱり、カラカラに乾燥させて、ポップコーンにしたいわ」
『誰が食べるの?』
「やだ、わたしは遠慮するわ」
『……私も』
ふふふっと笑い声が聞こえます。
『でもね、大変だったけど、それだけではなかったと思う。今改めてよしこさんを通して、この領を見ていて思うの。……この領をもっと富ませたいって、やっぱり心から思うもの……ローランもソフィアも宝物だし』
アリシアさんと話しながら、屋敷の中を歩き回りました。
「それにしても、グエンがいないわ。彼はどこ?」
『そうね……あそこかもしれない』
アリシアさんが教えてくれたのは、アリシアさんの祖父の書斎です。彼にとってそこは聖域みたいなものだそう。
そして、扉を叩いて中に入ると、グエンさんがいました。
「……グエン」
すでに薄暗くなった室内で、グエンさんは火も付けず窓の外を見ていたようでした。
「アリシア様」
彼は振り返ってにっこりと笑いました。
「……ここだと思いました。ここはグエンの聖域ですものね」
「大げさな……ですが、そうですね。ここは私の大切な場所です。辞令をもらった日。訃報を受け取った日。ローランさま、ソフィアさまが生まれるのを祈りながら待った日。すべてこの部屋でした」
「今はどうしてここへ?」
「そうですね。では端的に申します。あなたは誰ですか?」
ひゅっと息を呑みました。暗がりの中、グエンさんの目だけが光って見えます。この言葉通りを受け取れば、彼はわたしに気付いているということでしょう。
『大丈夫、グエンは理不尽を強いるような人ではないわ』
アリシアさんの声が響きます。
「わたしは……アリシアさんに頼まれた、よしこです」
「……そうですか」
「はい」
「では、よしこ様。ひとつお尋ねしても?」
「なんでしょう」
「アリシア様はどこにいかれたのでしょう」
それはとても答えにくい質問でした。この方は二代に渡り領主を見送った人、そして、大切に育てた三代目もまた、彼をおいていなくなった。それを告げなければならないのはやるせないです。
「いえ、すみません。答えにくい。それが答えですね」
「ごめんなさい、でも信じられないかもしれませんが、彼女は側にいます。ローランのことも、ソフィアのことも心配しています。領についても良くしたいと心から願って力になってくれています……」
言葉に詰まりました。どんなに言い募っても、この人に証明することはできません。
「……ごめんなさい」
今言える言葉は、これだけです。うつむいてドレスをぎゅっと握りました。わたしはアリシアさんの振りをしているけど、アリシアさんではありません。
ふいに頭を撫でられました。
「アリシア様があなたを頼ったのでしょう。私はそのことがうれしいです」
グエンさんを見上げました。とてもやさしい目です、そして、うるんでいました。
頭を撫でる手つきは、わたしの記憶ではなくアリシアさんの体が記憶していたようです。体の奥から湧き上がるようなうれしさを感じました。
ああ、この人はアリシアさんの特別な人なのだと、しみじみ感じました。
「グエンさん、わたしがここにいてもいいでしょうか」
「はい。よしこさん。……アリシア様が認めたのなら問題ないでしょう。アリシア様はちゃんと人を頼れたのですね。それがうれしいです」
『……っ』
喉をひきつらせて、アリシアさんが泣いています。今思えばおかしいことです。アリシアさんは一番頼りになる彼をどうして、最初に頼れと言わなかったのか。
アリシアさんは彼がわたしをアリシアさんではないと、気づくと分かっていたんですね。
アリシアさんはグエンさんを悲しませたくなかった。
どうしましょう。わたしも涙が止まりません。




