21.お母さん、頼まれる
テーブルの上の焼き菓子を一つつまんで、口に運びます。フィナンシェのような焼き菓子ですね。バターの香りがしてほろりと口の中で溶けました。ナッツの香りがふわりとするところが、プロのお仕事って感じがします。
それをしっかり咀嚼して、飲み込みました。
「はて、頼みたいこと?」
「はい」
公爵様は、紅茶をテーブルに置いて手を組みました。なんだか急に深刻な雰囲気を作られてしまいました。
「わたしは今まで子どもを理由に社交を最低限にしてきました。その子どもも、下の子が十二歳になり学院に入る年齢になりました。手が離れるならと親族から公爵家当主として社交をしろと強く求められています」
「まあ」
当主らしく? とは。
『アレク先輩は、再婚をすすめられているのだわ』
えええ。それは親族だからって余計なお世話じゃ?
『貴族ってそういうものよ』
「……再婚されるの?」
公爵様の眉が、ほんの少し上がりました。
「確かにすすめられている。だが、私は亡き妻以外を妻に迎えるつもりはない」
まあまあ、うちのクソ旦那たちに爪の垢でも飲ませたいわね。
『アレク先輩とセレン様は学園にいた頃から本当に仲睦まじくてね』
アリシアさんは懐かしそうな声を出した。
『ずっと、うらやましくて』
少し悲しそうな声。ブライアンはそんなころからアリシアさんを悲しませていたのかしら。
私は励ますように自分の手をきゅっと手を握りました。
「だがそれを分かってくれる女性がなかなか現れなくてね」
公爵様は困ったように笑った。
「……それは難しそうですね。だって、公爵様に微笑まれて、恋に落ちない人などいないわ」
アレクセイ様の顔はほんとにつくりものめいてきれいな顔です。女の子たちがこの人の特別になりたいと思うのは仕方がないことではないかしら。
そう深刻に考えていたのに、公爵様はまたぷっと笑いました。なぜ、笑われるのかしら。
「……失礼。いや、君があまりにも真顔で言うものだから」
「?」
「君は、私に微笑まれても恋に落ちてはいないだろう?」
「ええ?」
思わず首を傾げてしまいました。あら、アリシアさんは先ほどからずっとふわふわしているわよ。
『……よしこさん?』
ごめんなさい、既婚者に言う冗談ではなかったわね。
『ほんとに憧れていただけなのよ』
「……君は先ほどから。私が何を言っても普通に接してくれている」
「そうかしら?」
「ああ、皆、料理人より私を連れて帰りたがるからね」
「まあ、不思議ね」
公爵家の料理人ならきっと引き抜きたい家もたくさんあるはずだわ。
『……』
公爵様はしばらく私を見つめていましたが、やがて小さく息を吐きました。
「私がみつめても倒れないところも素晴らしい」
「まあまあ」
皆さん倒れるの?ご病気を疑った方が良いのでは。
『……』
アリシアさんも黙ってしまいました。
「そんな君だから、頼みたい」
公爵様はぐっと前に出ると、わたしの両手を握りながらおっしゃいました。
『……ひっ』
あら、アリシアさんが帰ってきた。
「私のパートナーになってほしい」
「え?」
公爵様は困った顔をした。
「私の公妾になってほしい」
『えええええええ?』
アリシアさんうるさいわ。
公妾って……ポンパドール夫人? え、あらやだ。艶めいた……そういうの?
「……公妾、ですか?」
公爵様は、握った私の手を離さないまま続けます。
「誤解しないでほしい。私は亡き妻を裏切るつもりも、君に妻の代わりを求めているわけでもない」
『それはそうよ!』
アリシアさんが即座に叫びました。
「公妾は、私の社交上のパートナーになってほしいという意味だ」
「あららら……わたし、この会食が終わったら領地に帰る予定ですの」
「……知っている」
まあ、何と真剣なお顔。
「だから……その……お断りさせていただくことも?」
「……君の領地が困っていると聞いた」
あらやだ……ここにも知れ渡っているなんて。
「我が公爵家が後ろ盾になれば、君の領の再建もスムーズになるだろう。それに、月々の手当ても出せる」
まあ。それは雇用契約のお話かしら。って、アリシアさんがまた無言だわ。
「アリシア・リースマン」
『うっ……』
あら、アリシアさんがダメージを負っているわ。こんなキラキラしい顔が真剣にお願いするのだから仕方ないわ。でも、こういう大事な話は、いったん持って帰ってじっくり考えなきゃ。この世界にはクーリングオフなんてないのよね。
『ないわ。公妾のクーリングオフなんて聞いたことない』
「……いったん一人で考えさせてください」
「ああ、もちろん。だが断る言葉を考えるのではなく、できれば前向きに考えて欲しい」
そう言って、また少し微笑まれました。そしてやっと、公爵様が手を放してくださいました。よほど真剣だったのね。少し手が震えてらしたわ。
わたしは少しぬるくなった紅茶を飲みました。
邸を辞す際に公爵様はまたしてもエスコートしてくださいました。長い脚なのに私に合わせて歩く気遣いは、さぞやモテるでしょうねと思いました。
「アリシア・リースマン。今日は本当にありがとう。そう言えば伝え忘れていたが、今日の君は……精霊のようだね」
そう言ってきれいな笑みを浮かべられました。わたしでさえ、ちょっと、動悸がしました。
『……ひぇ』
どうしましょう、公妾。これって新たな難題だわ。




