10月20日-3
「準備いいか?」
「オッケーだよー! 出発センコーーー!」
「それを言うなら出発進行だろ…。まぁいいや、とにかく行くぞ!」
勢い込んでアクセルを大きく開けたとたん、スクーターの後ろからいっそう派手に煙がモクモクと撒き散らされたのをバックミラー越しに見ながら、僕たちは団地を後にして夜の国道に滑り出した。
走り出してからしばらくして、僕はふと気がついた。さっきからスピードメーターがぴくりとも動いてない。
…さすがは20年以上前の代物だ。
なんでもこのスクーターは、母さんが高校生のころに中古で買ったものらしい。そんな超オンボロの割にはエンジンだけはまだまだ元気のようで、僕と絵依子の二人乗りにも関わらず、すいすいと軽快に
走ってくれる。
こんな風に二人乗りで走る、なんていうのも初めてのことだったけれど、不思議とまるで怖くはなかった。
「どうだー? 絵依子ー」
「うーん! 気持ちいいーーー!!」
「じゃなくて…あいつらの気配は感じないかってー?」
今日は僕の練習のはずだったのに、早くも運転にすっかり慣れた僕は、いつの間にかすっかり本番気分だった。
「…この近くには…感じないなぁ……」
「そっか、まだ早いからかな…とりあえずこのまま真っすぐ走ってみるか」
「そうだねー。あ! 帰り、道がわからなくなった、なんてイヤだよ? あはははは!」
びゅうびゅうと吹き付ける風の音に紛れないようにか、いつもより大きな声ではしゃぐ絵依子が、僕の背中にぴったりと体をくっつけてきた。
手はしっかりと僕のお腹の前で結ばれている。夜の冷たい空気に晒された僕の身体に、じんわりと絵依子の体温が伝わってくる。
……それは何か、心までとろけそうな心地よさだった。
「……!! お兄ちゃん! 停めて!!」
キィィーーーーッッ!!
突然絵依子が叫んだ。僕はおかしな気分から目が覚め、とっさにブレーキを力いっぱい握りしめ、道路の脇にスクーターを急停車させた。
「どうした!? 何か感じたのか?」
「…うん。たぶん近くにいる…。それに…これは……」
目を閉じて感覚に集中しているらしい絵依子の表情が、にわかに険しくなっていく。
「だんだん近づいてくる…この近くの家の人を襲うつもりかも…」
「……! じゃあ、この辺で待ち伏せして、見つけたら速攻で倒そう! いけるか?」
「うん。それでいくよ! ……『錬装』ッ…!!」
スクーターから飛び降りた絵依子が、いつものように変身…『錬装』する。
見る見るうちに、これもまたいつものように白いゴスロリが、全身を覆うヨロイへと変化していく。科学だの物理だのに詳しくない僕でさえ、この変化…変形が、この世の法則を完っ璧に無視しているという事だけは分かる。
いろんなことにずいぶん慣れてきたと自分でも思うけれど、こればっかりはさすがにいつになっても見慣れることはないだろう…。
…それはとりあえず脇に置いておいて、僕は周囲の様子を確認した。田んぼや小さな林が近くにあり、家などはあまり多くはない。
上手く誘導して、人の住んでいる所から遠ざけないと、何と言ってもまだ夜の10時だ。誰かに見られでもしたら、おかしな騒ぎにもなりかねない。
「来た…! 道沿いに真っすぐ飛んで来てる…」
「よし! じゃあまず一発食らわせよう。それで倒せたら良し、ダメなら
何とか右の方の林に追い込むんだ! 出来るな?」
「…もぉ。簡単に言わないで欲しいなぁ…」
ふと…絵依子が僕の顔をじっと見つめ、少しして、くすくすと笑い出した。
「………?」
「な~んかお兄ちゃん、ドラマとかマンガの鬼コーチみたいだよね。いつもは頼りないのに。ふふふっ!」
「……頼りない、は余計だ。ほら、さっさと行ってこい!」
「は~い! じゃ行ってくるよ! 渡城コーチ!」
ビシっ! と大げさに敬礼すると、絵依子はオービスから一枚カードを抜いた。それを『見た』瞬間、絵依子の口元がほころんだ。どうやら『当たり』を引いたらしい。
すぐさま大きな翼を錬兵装した絵依子が、ふわりと夜空に舞い上がっていった。
あいつと違って、僕には怪物の気配というのは良く判らない。すぐそばにいるのなら判る、という程度のものだ。
もっとも絵依子が言うには、普通の人にはまず感じられないし、物によっては目の前に現れても、見えもしないし気づきも出来ないらしいので、それだけでもたいしたものなのだとか。
ただ、僕にしてもそうはっきりと見えるとは言い難い。特にこんな夜は、闇に紛れて見えづらいことこの上ない。
でも今日の怪物はいやにくっきりとした……まるで夜空にぽっかり開いた底なし穴のような、夜の闇の色とはレベルの違う黒さだった。そのあまりの黒さに引きずられたのか……僕の心の中にもかすかな暗雲が立ち込める。
空中に飛び上がった絵依子が、ぐんぐんと怪物に迫る。翼が生えたという事は、カードは天使か天馬…ペガサスのどちらかだ。
大きさから考えるとたぶんペガサスで、そのカードは翼と足を変化させる。つまり初っ端の一撃はキックと僕は見た。
あっという間に怪物のいる高さに達し、ごう、と風を裂く音がここまで聞こえそうな迫力で絵依子がキックを放った。
今まで通りなら、その一撃でたいてい終わりだ。だから僕は安心して見ていられるはずだった。
でも、次の瞬間、僕は……目を疑った。
その絵依子のキックを、圧倒的威力を備えた脚を、空中の怪物は…ひらりと音もなく避けた……!!
「………!!??」
真っ暗な夜、しかも空中に浮かんでいる絵依子の表情なんか見えるはずもない。でも、あいつの狼狽した顔が、僕には手に取るように想像できてしまった。
絶大な威力と言う事は、つまりはスピードもべらぼうに速いということに他ならない。なのにそれを軽々とかわされるなんて…今まで見てきた戦いではあり得なかったことだ。
「な…そ…そんなバカな……っ!」
思わず口から恨み言が漏れた。今までの戦いでは、怪物たちのスピードはみな似たり寄ったりだった。僕がバットで倒したヤツを除いて。
なのに…今日のヤツは今までのヤツとは桁違いに速いってことなのか…?!
空中ではなおも絵依子の必死の攻撃が続いている。でもその全てを、怪物はあざ笑うかのようにひょいひょいと巧みにかわし続けている。
…やがて攻め疲れたのか、攻撃がわずかに途切れた瞬間、怪物の放ったパンチが絵依子の身体を捉えた!
ズバ・・・ッッン!!
「あ…ぐぅっッ……!」
「…え…、絵依子ーーーーッ!!」
その一撃でバランスを崩し、見る見るうちに絵依子が地面に引き寄せられるように落ちていく。
「絵依子ーーーーーーッッ!!」
僕は弾かれたように駆け出した。絵依子が追い落とされた場所は…皮肉な事に、初めに言ってあった林の中だった。
「く……お…おのれッ……!」
「ブぶるルルぅぅゥぅ……ッっっッ…」
…林の中にたどりついた僕が見たものは、よろよろと立ち上がりながら怒りの言葉を吐く絵依子と、それを愉快そうに眺めている怪物の姿だった。
恐らく落下の衝撃を、木の枝と錬装してあった翼で上手くカバーしたんだろう。やがて、すぅ、とその翼が力を使い果たしたように消えていった。
とりあえずはそれほど大きなダメージを受けたようには感じられない絵依子の様子に、僕はほんの少しだけ安堵した……。
「大丈夫かっ! 絵依子っっ!!」
「……っ…」
僕の声に、ちらりとだけこっちを向いた絵依子が、すぐに無言のまま怪物に向き直った。
でも、怪物と対峙している絵依子の表情には、はっきりと焦りと不安の色が浮かんでいる。ここまで余裕のないあいつの表情を見るのは、すべての始まりのあの時以来……いや、初めてかもしれない…。
「…ふぅぅぅ……っッッ!!!」
呼吸を整えた絵依子が再びカードを引き、『見る』と、今度はたちまち右腕が巨大な槍へと変化していった。先日描いたばかりの、槍のカードによるものだろう。
「たぁりゃあああッッ!」
掛け声一閃。槍を構えたまま、絵依子がまっすぐに怪物に突っ込んだ!
…まずいぞ…。一発もらって頭に血が上ったのか…?
「ブグるるルるぅゥっっ!」
・・・ヒュッ!
案の定……結果は同じだった。絵依子の気迫のこもった渾身の一撃も、怪物は呆気ないほど簡単に避けてみせた。
……絵依子のスピードが遅いわけでは決してない。
こうして離れたところから見ているから、僕の目でも何とか追えるものの、錬装している時のあいつの動きは、はっきり言って人間離れしている。おまけに今はカードを使っての攻撃だ。今までのヤツなら受けることも避けることもできずに一撃食らっただけで消えていった程のパワーとスピードの攻撃だ。
でも、今日のこの怪物は……それ以上に速い!!
地上に降りてきた今だから、さっきよりも戦いがよく見える。だから疑念は確信へと変わった。今の絵依子が掠りも出来ないこの怪物は……今までのヤツなんか比べものにならないぐらい速い…!
「お、落ち着け絵依子っ! いつものだ! いつものやつだ!」
いつものカウンター戦法に戻すべく、僕は声を張り上げた。でも、僕の声が聞こえていないのか、それとも聞こえないほど頭に血が昇っているのか、絵依子はがむしゃらな攻撃を続けている。でもその怒涛の攻撃は…やっぱりかすりもしない。
「くそ…っ! まずいまずい…! このままじゃ…!」
……絶望的な気持ちに追いやられそうになる心を、僕は必死に奮い立たせる。
それでも絵依子は戦ってるじゃないか…!
ただ見ているだけの僕が……そんな簡単に諦めてどうするんだ!
…諦めるな。探すんだ。考えるんだ。あの時と同じように…。
あいつを倒す方法を……!!




