第18話 文化祭1日目終了
音楽が止む。
余韻だけが、まだ教室の空気に残っていた。
三人が静かに礼をしたあと、ワッちゃんが一歩前に出る。
「ご静聴ありがとうございました。」
はっきりとした声が、現実へと引き戻すように響いた。
「観客の皆様は、入れ替えにご協力お願いいたします。」
一瞬の沈黙。
それから、ようやく観客たちが我に返るように動き始めた。
「……やば」
「え、終わった?」
「もう一回見たいんだけど」
ふらふらと立ち上がる足取りは、まだ現実に戻りきっていない。
そのタイミングを逃さず、コバがすっと前へ出た。
「物販のクッキーはいかがですか。」
にこり、と営業用の笑顔。
「今なら三人のトレカがおまけで付きます。」
「えっ」
空気が一瞬で変わった。
「ちょっと待ってそれ欲しい」
「トレカ!?」
「どこ!?」
さっきまでの放心状態が嘘のように、観客が一斉に詰め寄る。
「おひとり様一点でお願いいたします!」
コバの声が被る。
「数に限りがございますので、順番にご案内します!」
その言葉で、慌ただしかった群れが一気に整列へと変わっていく。
自然と列ができる。
まるで訓練されたかのように。
「こちら300円になります!」
イッチが商品を渡し、コバがお金を受け取る。お釣りはワッちゃんが担当。
3人で手際よく会計をさばく。
クッキーとトレカを受け取る。
お金を払う。
その流れは、異様なほどスムーズだった。
そして最後に――。
「ありがとうございました。」
その横で、タケちゃん、イシイ、モリが一人ずつ、白手袋の手で短く握手をしていく。
握手は一人一瞬。
それ以上はない。
「わ、ほんとに触れた……」
「やば……」
「もう無理……」
名残惜しさを引きずりながらも、観客は順番に出口へと誘導されていく。
「写真撮影はご遠慮ください。」
イッチがやわらかく告げると、不思議と誰も逆らわない。
未練を残しながらも、列は秩序を保ったまま進んでいく。
こうして一回目の観客は、熱に浮かされたような表情のまま教室を後にした。
午後四時。
最後の観客が教室を出ていく。
「ありがとうございましたー!」
ワッちゃんの声が廊下に響き、扉が静かに閉じられた。
こうして、二年D組Fチームの初日の公演は終わった。
結果として、同じ内容のステージを三回回した。
一回二十分。
入れ替え制の公演。
想定以上の人気で途中から列が崩れ、物販は途中で在庫が尽きかける。
急遽、明日用に確保していた分まで投入する判断になった。
それでも足りない。
最後には整理券を配布し、「明日分の優先入場」として対応した。
怒涛の一時間だった。
熱気が抜けた教室は、急に静かになる。
コバが先導して男子三人は第二被服室へと避難するように戻ってきた。
「……ヤバい」
タケちゃんが椅子に崩れ込む。
「疲れた」
イシイも壁に背中を預けたまま動かない。
「顔、笑顔のまま固まってる気がする」
モリは頬を両手で押さえる。
「なんか、筋肉が戻らない」
さっきまでステージに立っていたとは思えないほど、三人とも一気に“高校生”に戻っていた。
一方教室に残ったワッちゃんとイッチは、黙々と片付けに入っている。
床を掃き掃除して、暗幕をチェック。
床に残ったテープの剥がし跡まで丁寧に処理していく。
「明日のクッキー、追加生産お願いできる?」
ワッちゃんがコバに連絡を入れる。
『了解。材料、今日の夜に仕込むね』
「助かる。今日はもう帰って大丈夫。」
『任せて。お疲れさま』
通話を切ると、ワッちゃんは軽く伸びをした。
「よし、撤収。」
教室から第2被服室に戻ったワッちゃんとイッチ。コバは一足先に帰り喫茶店で追加のクッキーの手配をしているはず。
男子三人はすでに着替えを終え、ジャージ姿になっていた。
軍服風の衣装はハンガーに戻され、舞台の熱気だけがそこに残っていた。
メイクを落とすと、鏡の中の顔は一気にいつもの高校生へと戻る。
さっきまであった“別人のような完成度”は、きれいさっぱり消えていた。
「……普通だな」
イシイがぽつりとつぶやく。
「さっきの俺、どこ行った?」
「そこだよ。」
ワッちゃんが笑う。
「ただ、ちょっとだけ引き出しただけ。」
第二被服室には、さっきまでの熱気は残っていなかった。
代わりにあるのは、やり切った後の静かな疲労と、少しだけ現実に戻ってきた安心感だった。
しかし、文化祭はまだ終わっていない。
今日の校内公開は、あくまで“前日”に過ぎない。
本番は――明日。
一般公開日。
校外からも人が来る、本当の意味での文化祭だ。
第二被服室の空気は、ようやく落ち着きを取り戻しつつあったが、その静けさとは裏腹に、外の世界は別の速度で動き始めていた。
「やばい」
「見た?」
「2年D組のダンス」
「ガチでプロだった」
校内のあちこちで、同じ言葉が繰り返される。
スマホの画面には、誰かが撮った短い動画。
照明が落ちる瞬間。
軍帽が宙に舞うカット。
センターの、真顔のまま視線を突き刺す一瞬。
切り取られた数秒だけで、空気を支配していた。
『ば・く・れ・つ❤︎』
そのフレーズと共に流れる映像は、校内SNSのタイムラインを一気に埋め尽くしていく。
「これ同じ学校の生徒ってマジ?」
「え、普通にアイドルじゃん」
「明日行くしかない」
「整理券あるって聞いた」
「もう並ぶ?」
投稿は投稿を呼び、興奮は増幅していく。
まだ本番ではない。
それなのに、すでに“事件”として扱われ始めていた。
誰かが上げた動画には、こうコメントが付いていた。
『二年D組Fチーム、文化祭の概念壊しに来てる』
それに対する返信は、もはや迷いがない。
『明日絶対行く』
『このクラスだけレベル違う』
『これ見ないと損するやつ』
しかし、その熱はまだ“外側”の出来事だった。
第二被服室に戻った六人は、スマホを見る余裕すらなかった。
衣装の片付け。
メイクの落とし残しの確認。
明日の段取り。
ただそれだけで頭がいっぱいで、校内SNSがどうなっているかなど、気にする余白はなかった。
そもそも、見ていない。
意図的に遮断しているわけでもない。ただ、今はもう“手元の現実”だけで精一杯だった。
一方その頃。
二年D組のクラスメイト間では、空気が少し違っていた。
陽キャグループがスマホを囲んでいる。
「……は?」
一人が声を漏らした。
「何これ、バズってんだけど」
画面には、ダンス動画。
暗転、スポットライト、軍帽が舞う瞬間。
そして、センターの無表情。
「いやいやいや」
別の男子が笑う。
「なんであいつらがこんなウケてんの?」
「意味わかんなくね?」
最初は笑い混じりだった。
だが、タイムラインをスクロールするほどに、その表情が変わっていく。
『二年D組Fチームやばい』
『ガチで今日一番だった』
『明日整理券ないと無理』
知らないアカウント。
他クラスの投稿。
そして、拡散された短い動画。
どれも同じ温度で“称賛”していた。
「……いや待てよ」
一人がスマホを握り直す。
「これ、うちのクラスの文化祭だよな?」
「うん」
「なのにさ」
視線が鋭くなる。
「なんであいつらだけ話題になってんの?」
沈黙。
その沈黙の中で、誰かが舌打ちをした。
「は? 意味わかんね」
別の男子が笑いを引きつらせる。
「たまたまだろ」
「映像が良く撮れただけじゃね?」
だが、その声にはもう余裕がない。
教室の奥では、ネオンやバルーンの準備をした側のグループが、無言で動画を見ていた。
そして一言。
「……これ、明日やばくね?」
その一言で空気が変わる。
「いや、やばいじゃなくてさ」
さっきの男子が立ち上がる。
「なんであいつらが“主役扱い”になってんの?」
苛立ちが混じる。
焦りが混じる。
そして、説明できない違和感が残る。
文化祭はまだ初日。
だが、クラスの中ではすでに“見えない順位”が塗り替えられ始めていた。
そしてその変化を、六人だけがまだ知らないまま――明日へと時間が進んでいく。




