第二章:死んだ音とバケモノの歌声、職人魂の復活
施設内へ足を踏み入れたダニー。車椅子に揺られ、ただぼんやりと空欄の時間を潰しているシニアたちの死んだ魚のような目、覇気のない表情。
それらを目にした瞬間、ダニーの背筋に冷たい戦慄が走る。
(……待てよ。なんだこれは……。俺は、数年後の自分の姿を見ているんじゃないのか……?)
目標を失い、情熱の火が消え、ただ惰性で生きていく未来。目の前の光景に強烈な恐怖がこみ上げ、同時に、そんな未来に怯え無気力に沈んでいた自分自身に対する猛烈な怒りが怒涛のように湧き上がってきた。
(ふざけるな……! 俺はこんな風に終わってたまるか! こいつらだって、こんな終わり方を望んでるはずがねぇ!!)
恐怖と怒りが導火線となり、胸の奥で眠っていたロックのマグマが激しく逆流し、爆発した。
「お前ら!! 生きながら死んでんじゃねぇ!!」
静かなロビーに、チャペルの天井を揺らすほどのダニーの大声が響き渡る。
「おいおっさん! 俺の仕事の邪魔すんじゃねぇよ!」と焦るロイ。だが、ダニーは力ずくでロイの首を抱え込み、シニアたちに向かって叫んだ。
「カタギのフリすんな! こいつはかつて俺の教室で爆音ドラムを叩き込んでやった期待の男、ロイだぞ!!」
「やめろって! 恥ずかしいだろ!」
真っ赤になって暴れるロイ。その時、ロビーのソファでお茶をすすっていた小柄なおばあちゃん・クララが、嬉しそうに目を細めてロイを見つめた。
「あらあら、相変わらずロイちゃんはいい男ねぇ。……ふふ、もう少し私が若かったら、放っておかないのに」
ロイは即座に振り返り、呆れ顔でツッコミを飛ばした。
「『もう少し』って何年だよ! 50年遡ったって俺まだ生まれてねぇぞ!!」
「あら、失礼ねぇ」と楽しそうにクスッと笑うクララ。二人の息の合った掛け合いに、ロビーには久々の温かい爆笑が広がった。
◇
その日の夕方、施設内のチャペルで定例の夕べの祈りが行われた。ダニーが覗き込むと、アーサー神父がパイプオルガンを演奏していた。
重厚で美しい演奏だ。……だが、どこか「ルーティン作業」のような無味無臭さが漂っていた。楽譜通りに間違いなく鍵盤を叩いているだけで、そこに熱も魂も乗っていない。「神への祈り」が完全に形骸化している様子を、ダニーの鋭い耳は見逃さなかった。
(……なんだ? 巧いが……音が完全に死んでやがる)
その時だった。神父の無機質な伴奏に合わせて、最前列に座っていたクララが静かに立ち上がり、讃美歌を歌い始めた。
その瞬間、チャペルの空気が一変する。
さっきロビーでロイをからかっていたチャーミングなおばあちゃんの口から解き放たれたのは、ステンドグラスを激しく震わせるほどの圧倒的な声量と、ド直球のソウル・ハイトーンだった。
「……な、なんだあの声はーーーっ!?」
あまりの音圧に目が飛び出そうになるダニー。讃美歌が終わるやいなや、ダニーは壇上に駆け上がってクララの両手を掴んだ。
「おばあさん! あんた何者だ!? 聖歌隊のレベルじゃねぇぞ! 完全にソウル・レジェンドの声だ!!」
クララはクスッと上品に微笑むと、瞳の奥にメラメラと情熱を宿らせて言った。
「あら、わかる? 若い頃は小さなジャズクラブで歌っていたのよ。でも……歳をとってからは誰も私の歌なんて聴きたがらないし、ここで大人しく讃美歌を歌うのがお決まりだったの」
長年「おとなしい年寄り」として抑圧されてきた不完全燃焼の情熱。ダニーはクララの手を強く握り返し、熱っぽく叫んだ。
「年齢なんて関係ねぇ! あんたの声は今が一番バケモノ級にクールだ!! 俺と一緒に本物のロックをやろう!!」
クララは一瞬目を見張り、それから少女のようにパッと表情を輝かせた。
さらにダニーは、オルガンから離れようとするアーサー神父の前に立ちはだかる。
「おい神父! あんたの演奏、技法は完璧だが音が完全に死んでたぞ! 『言われた通りに弾いてます』って顔してんじゃねぇ! あんた、本当はそんな退屈な祈りがしたいわけじゃねぇだろ!?」
図星を突かれたアーサー神父は一瞬ハッとし、気まずそうに目を逸らした。
「……余計なお世話だ。私はただ、務めを果たしているだけだよ」
「嘘つけ! クララの声に引っ張られた時、一瞬だけ指先が荒々しく跳ねたのを俺は見逃さなかったぜ。あんたの奥底にも、まだ鳴らしたがってる『爆音』が眠ってる! あんたも一緒に行こう!!」
◇
こうして二人を強引にスカウトしたダニー。
だが、バンドを組むにはまだまだパーツが足りない。「次はいかつい重低音を鳴らすベーシストだ!」と息巻くダニーは、ベースを弾けそうなシニアを探してロビーをウロウロし始めた。
「おいクララ、あのイカツイジジイはどうだ? 指先がゴツいし低音出せそうだぞ」
ロビーの隅っこで、気難しそうな顔をして新聞を読んでいる老人・ウィルに狙いを定めるダニー。だが、隣にいたクララがハッと目を見張り、愛おしそうに目を輝かせた。
「あら……! アナタ、もしかしてウィルさん……!? ニューヨークのあの『テーラー・ウィル』のウィルさんね!?」
ウィルは新聞で顔を隠しながら、苦い顔で怒鳴った。
「おい、余計な声をかけるなババア。俺はもう引退したんだ」
「待て待て、ベーシストじゃねぇのか!?」と戸惑うダニーを余所に、クララは胸の前で手を組み、うっとりと昔を懐かしむように語り始めた。
「やっぱり……! 私ね、若い頃にジャズクラブで歌っていた頃、アナタが作ったドレスにずっと憧れていたのよ。当時の高級ファッション誌の表紙を飾っていてね、洗練されていて、本当に素敵だった……。でも、当時の私の稼ぎじゃ逆立ちしても買えなかったの」
「……っ」
ウィルは新聞を少し下げ、絶句した。クララは少女のような純粋な瞳で、ウィルをまっすぐ見つめる。
「まさかこんなところで出会えるなんて……。夢みたいだわ」
「伝説のテーラー……!? ファッション誌の表紙だと!?」
ダニーの目が怪しく輝く。ベース探しは一瞬で吹っ飛び、ダニーはウィルの前に膝をついて熱っぽく身乗り出した。
「マジかよジジイ!! クララがずっと憧れてたなんて本物のデザイナーじゃねぇか! 俺たちが世界一クールに見える激ヤバなステージ衣装を作ってくれよ!!」
だがウィルは、自虐的な冷めた笑いを浮かべて首を振る。
「……ふん、昔の話だ。今の世の中を見てみろ。安くて使い捨てのファストファッションばかり流行りやがる。誰も俺の手仕事なんて求めてねぇよ。流行を追うだけのペラペラの服が持て囃されて……何がおしゃれで、何に価値があるのかさえ見失っちまった」
自分の誇ってきた技術が時代に置き去りにされた虚無感。それを聞いたダニーは、ウィルの肩を両手で力いっぱい掴んだ。
「流行なんざ知ったことか!! 流行を追うのは他人の目を気にしてる奴らだ! あんたの手で仕立てた服にはな、安物には逆立ちしても作れねぇ『ソウル』が宿ってんだよ!! クララを見てみろよ! 何十年経ってもあんたの服に魂を奪われたままだぜ!? あんたの服を着てステージに立つのが、このバケモノボーカルの長年の夢なんだ!!」
「ダニーの言う通りよ」とクララが柔らかく微笑む。「半世紀越しに、アナタの服を着て歌えるなんて……私、考えるだけで胸が躍るわ」
長年のファンからのピュアな憧れと、ダニーの熱いパッション。二人の言葉が、ウィルの胸の奥で燻っていた職人魂に激しい火をつけた。
ウィルは新聞をゆっくりと机に置くと、眼鏡の奥の瞳に鋭い光を宿らせた。
「……チッ、本当にうるさい奴らだ。……おい、おババ」
「クララよ」とクララがクスッと笑う。
ウィルは不敵な笑みを浮かべ、仕立て屋の鋭い目つきでクララを採寸するように見つめた。
「半世紀待たせたお詫びだ。世界で一番イカした、お前だけの最高の衣装を仕立ててやる。……俺の本物の仕事に、震えて眠れ!!」
◇
頼もしい衣装担当をゲットしたものの、振り出しに戻ったのはベース探しだった。ダニーは施設の中庭にあるベンチに腰掛け、隣にベースを立てかけて頭を抱えていた。
「くそっ……あいつらの音は最高なんだよ! クララのハイトーンも、神父のオルガンも本物のソウルだ! 老人だからって舐められてたまるか! なのに……低音がねぇと、あいつらの魂を半分も届けてやれないんだよ……っ!!」
シニアたちを一人の「イカしたミュージシャン」として誰よりも敬い、完璧な音を響かせられない歯痒さに本気で腹を立てているダニー。
そこへ、施設へボランティアに通っていたお寺の無口で強面な住職・クー(60代)が通りかかり、立ち止まった。
チラリと厳格な法衣の僧侶を見上げたダニーは、ベンチの横に置いたベースとクーを交互に見比べ、胡散臭そうに首をひねる。
「……なんだ? あんた、これ弾けんのか?」
クーは無言のまま立てかけられたベースを引き寄せると、そのまま抱え込んでゴツい指先を弦に叩きつけた。
「ベベンッ!!」
空気を切り裂く凶暴なアタック音。長年修めた琵琶の技法を応用した異次元の琵琶スラップだった。あまりの爆音と威厳に満ちたテクニックに絶句するダニー。
クーはベースを抱えたまま、一切の感情が読めないシワの刻まれた厳格な顔でぽつりと呟いた。
「……弟が、ずっと声を閉ざしている」
ダニーは目を点にして首をかしげた。
「……あ?」
静寂。クーは一切表情を変えず、ただじっとダニーを見つめている。数秒の間が空いた後、クーは再びボソッと呟いた。
「……お前になら、心を開くかもしれん」
「……え?……何? どういうこと……?」
「……ここの者達のように」
クーがポツリ言った言葉に、ダニーは顔をしかめて頭を抱えた。
「さっきからお前、主語が抜けてて何言ってるかさっぱり分かんねぇんだよ! 弟がどうしたってんだ!?」
困惑するダニーを完全に無視し、クーは弦に指をかけ、地鳴りのような重低音を響かせた。
「ベベンッ!」
言葉ではなく音で「ついてこい」と告げるクーの背中に、ダニーは「話を聞けよ! なんだよ急に!」と叫びながらも、その圧倒的な低音と内に秘めた熱い想いに惹きつけられ、彼をバンドへ引き入れたのだった。
◇
楽器隊が揃ったところで、ダニーが自慢げに書き下ろしのダサい新曲『ヘブン・ゴー・ゴー・ファイヤー』を熱唱する。弾き終えてドヤ顔をするダニーだったが、静まり返る室内に冷ややかな風が吹き抜ける。
ロイが「クソダセェな!」と吐き捨てると、クララも困惑気味に口元を抑えた。
「ごめんなさいねダニー……私、こんなの歌いたくないわ」
さらにアーサー神父までもが、眼鏡を押し上げながら苦々しい顔で告げる。
「……これは正気で作ったのですか?」
メンバー全員からの不評にショックを受けたダニーは、すがるような目で黙って立っているクーに向き直った。
「お、おいクー! あんたなら分かるよな!? この曲のロックでソウルフルな良さがよぉ! な!? 何か言ってやってくれよ!」
ダニーに促され、これまで一言も喋らなかったクーがゆっくりと前に歩み出てきた。無表情のまま楽譜を見つめると、信じられないほど滑らかな口調でマシンガン毒舌を吐き始める。
「……リズムのタメが皆無。ベースラインに至ってはルート音を愚直に叩いているだけで、ビギナーでも3秒で飽きる退屈さだ。サビの転調も脈絡がなく、何より『地獄をぶっ飛ばせ』という歌詞の精神性が浅すぎる。聴く者に感動を与えるどころか、脳の貴重なリソースを無駄に消費させる有害なノイズであり、音楽に対する冒涜、ひいては人間の耳に対する暴力と言ざるを得ない。さらに言えば——」
「ちょッ……ちょっと待て! もういい! もうわかったから! たのむからそろそろ勘弁してくれぇぇぇ!!」
味方だと思っていたクーからの容赦なさすぎる追撃に、頭を抱えて悲鳴を上げて制止するダニー。ロイがニヤニヤしながら追い打ちをかける。
「泣くなよ先生」
「泣いてねえ!!」
涙目になりながら意地を張るダニーに対し、クーは「……フッ」と小さく鼻で笑うと、言葉を打ち切って抱えたベースの弦を叩きつけた。
「ベベンッ!」
そこにパイプオルガン、ハイトーン、爆音ドラムが重なり、圧倒的にクールな「和洋折衷の爆音ロック」が一瞬で部屋を満たす。ダニーは目元をぐっと拭うと、手のひらを返してギターを構え直した。
「……最高じゃねぇかよ!! よし、お前らが作ったそのリフに、俺の最高のシャウトを乗せる!! これで完成だーーーっ!!」
「作詞作曲は人任せかよ!」ロイのツッコミが響くのだった。




