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善悪とリスクリターン

 黒い点の正体をよく見る為にマントのフードを深く被り、比較的背の高い草の中を屈んで進む。

 厳密に見ればマントと草の色味が違うとはいえ、夕暮れ時の今ならこれでも簡易的な迷彩効果はあるはずだ。緑のマントはこういう時に便利だね。


 僕達が街道の方へと歩みを進め、そして黒い点……いや、馬車がこちらに近付いてくるにつれて、その詳細が見えてきた。


 何の装飾もない、布の屋根が張られただけのシンプルな馬車。馬車の中に人が入っているかは分からないが、運転席に座っているのは黒い服の御者さん一人。

 そして猛烈な土煙を気にすることもなく、御者さんは馬を全速力で走らせている。まるで何かから逃げるように。


「見えにくいけれど、後ろに居るのは魔物の群れよ。この辺りでオオカミ型だから……グラスハウンドかしら」

「……追いつきそうじゃないですか、アレ」


 更にほふく前進もどきでじりじり進んでみれば、土煙の中の影がハッキリと見えてきた。

 数は4……いや5か。

 馬車と群れとの距離はかなり詰められており、このペースならあと3分も経たずに追いつかれてしまいそうだ。


「…………」


 助けた方が良いのでは?

 そう思う一方で、力も無ければ武器も無い僕がそう口にして良いのだろうか、という考えが脳裏をよぎる。

 そう考えて黙っている僕を見てか、特にそんなこともないのか。ミューさんが先に口を開いた。


「丁度良かった。このまま襲われるのを見届けたら、奴等が去った後に残った荷物を拝借しましょう」


 はい?


「グラスハウンドは生きているものと新鮮な肉しか食べないのよ。多分あの馬車の中に干し肉のひとつくらいはあるだろうし、何より今の私達にはお金が無い」

「あの人には悪いけれど、このまま犠牲になってもらいましょう」


 ……はい?


「ちょっと待って下さい、このままあの人を見捨てろってことですか?」

「だからそう言ってるでしょうに」


 まさか彼女からそんな旨の言葉が出るとは思っていなくて。思わず確認の言葉が口をついて出てきた。

 このまま見捨てろだって?


「まさか助けに入るつもり?」

「人が死ぬのを見たくないですし。それに助けたお礼に馬車に乗せてもらえるかもしれないじゃないですか、方角一緒ですし」

「そうなる保証はどこにも無いわよ」

「でも可能性はある」

「その可能性の為に無理をする気?貴方さっき倒れたばかりでしょう」

「上手く行けば馬車に乗れるかもしれない。リスクリターン的には悪くないでしょう」


 ただでさえ冤罪で重罪人に仕立て上げられてしんどい目に遭っているというのに。

 本物の殺人者になるつもりはない。少なくともまだ!


 こうして話している間にも、馬車と魔物との距離は縮まっていく。

 決断を急がないと。

 説得しようとつらつらとそれらしい言葉を並べ立てていれば、明らかに苛立った様子でミューさんが意見を返す。


「貴方何か勘違いしてない?貴方の居た世界はどうだったか知らないけれど、今のここは善意だとかを期待できるような世界じゃないの」

「魔王軍に追い詰められて人類滅亡の危機にある。それで皆に心の余裕が無いということなら、それは理解しています」

「なら何故分からないの。徒歩ならともかく相手は馬車、私達が戦っている間にそのまま走って逃げられるのがオチよ」

「確かにその通りかもしれませんけど」

「そもそもあの馬車の目的地が、私達と同じとは限らない。逃げる最中にたまたまこの方向に走っちゃっただけかもしれないじゃない!」

「それは……」


 言葉に詰まる。


「……もう少しだけ待って、絶体絶命の所に駆けつければ。劇的な演出ができると思いませんか」

「これで感激しない人なんていませんよ」

「…………」


 沈黙が場を支配した。


「妙な所で頑固よね、アナタ」


 ミューさんがうつ伏せになっているのをやめて、片膝を地面につけてしゃがみこんだ。

 やけっぱちで捻り出した言葉が効いたのか?


「分かった。貴方の言う通り、あの人を助けましょう。でも条件がある」


 彼女は冷たい声でそう呟くと、マントの下に隠れた肩掛け鞄から、何かを取り出して僕に押し付けた。

 ……ナイフだ。


「トラ。貴方も戦いなさい」


 押し付けられたナイフをゆっくりと鞘から抜いてみれば、磨かれた刃に僕の間抜けな顔が映りこんだ。


 ミューさんの手を取ったあの日から、いつかこの時が来るとは知っていたが。

 それは思いのほか早く来てしまったようだ。

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