廻り始めた運命の輪
美少女さんが、何かを思い出したかのように僕の顔を見た。
魔王の殺害を宣言したときに見えた、瞳の奥の黒いものは鳴りを潜め、おそらくは平常心のそれに戻っている。
「言い忘れていたわ。貴方が元の世界に帰る方法も、アーネリエにならアテがある。貴方もさっさと元の世界に帰りたいでしょう?」
「まあ否定はしませんが」
「なら私達の利害は一致しているはずよ」
今は疲労と動揺が勝っているからか、そこまで気にならなかったが。気力を取り戻したあたりで、ホームシックを発症してもおかしくなさそうな事情なのは確かだ。
「……アナタねえ、『よくわかりません』みたいな顔してるんじゃないの。他の勇者は大体みんな、魔王討伐にノリノリだったらしいのに……もう少しやる気になってくれても良いんじゃない?」
「僕だけ開始数分で火刑に処されてるからじゃないですかね」
「それはそうかもしれないけれど!」
なーんでこんなのが勇者に選ばれたのよ……と嘆いているのが聞こえる。僕だって知りたい。
僕よりもあなたの方が、よっぽど勇者に向いているだろうに。
「兎に角、命助けた分の借りは返して貰うわよ!せめて転移結晶とポーションの値段分は働いてもらわないと。アレほんと高かったのよ!」
「ちなみにおいくらだったんですか」
「全部でざっと8……数字言っても仕方が無いわね。大体でいいなら、そうね……」
「王都の一等地に家が3軒は建つわ。もちろん庭付きで。」
日本で例えると東京の一等地の庭付き一戸建てくらいだろうか。ソレが3軒。
大体5億円くらい?
「……わかりました。腹を括ります」
「わかればよろしい」
流石に僕に5億円を踏み倒せるような胆力は無い。
僕の中で「借金5億円」という言葉が重くのしかかった。
まあ仮にここで無理矢理ごねたとして、死が早まるだけなのは確実だし。目的と方法はどうであれ、彼女に命を助けてもらったことには変わりない。
魔王討伐だなんてしんどいし怖いし、何よりトラックに轢かれるような痛い目にもう一度遭いたくはないけれど。できる限りのことはやってみるとしよう。
どうせ他に行くところもないのだ。
「そういえば、名乗りがまだだったわね。私はミュリエール・フーヴァー。好きに呼んで」
じゃあミューさんで。
「ミューさん、とお呼びしても?」
「初めての区切られ方ね……まあいいわ。」
ダメ元で訊いたらまさかのOKを貰えた。やったね。
脳内だけに留めるつもりだったが、こういうことならありがたくそう呼ばせていただこう。
身体の疲労も大分マシになってきたので、なんとか上半身を持ち上げて、自分も名乗りを返す。
「大賀夏海です。好きに呼んで下さい」
「タイガナツミ……勇者タイガね。偽名は考えてあるの?」
「偽名?」
「貴方は追われている身なのをお忘れ?身分を偽る必要があるじゃない」
偽名。
クラスメイトに昔つけられたあだ名に『タイガー』があったのを思い出した。「似合わねー」と笑われつつも、なんだかんだでよく呼ばれてたっけ。
タイガー、英語でトラ……
「じゃあ『トラ』でお願いします」
「『トラ』ね。これからはそう呼ぶわ」
安直では?と言われるかと思ったが、案外そんなこともなかったみたいだ。
……そういえば、僕はずっと日本語を話しているつもりでいるが。この世界の言語はどうなっているのだろう。
まさか別世界の人々も日本語を話しているとは思えないし、これもまた何か勇者パワー的なものが働いているのだろうか。
「よろしくお願いします、ミューさん」
「よろしく、トラ」
片や偽名、片やあだ名の世にも不思議な名乗りをひとつ。
これから僕は「トラ」として生きることになる以上、少しでも慣らしていかなければ。
「さてと。まずは魔王をどうこうする前に、トラの装備を整えないとね。そこからはひたすら鍛錬。宿した力の正体も把握しておかないと」
「装備……となると、ここからどこかの街に向かうんです?」
「その通り。でも、もう私達は国中に手配書が渡っているだろうから。とりあえずの目標は、北東に歩いて国境を越える事ね」
ミューさんは方位磁針らしきものを片手に、遠くにある街道の分岐点を指さし。
こっちの道を進むわよ、とそこから指を右にズラした。
「隣の国……ウィルケッタ連合でも手配されてたらお終いだけど、おそらくは大丈夫でしょう。少なくとも、殺されることは無いはず」
話を聞いている限りでは、勇者殺しって国際指名手配犯になっていても何もおかしくなさそうだが。
ミューさんが大丈夫と言っているなら多分そうなのだろう。そう思うことにした。
「とりあえず貴方の服は変えておきたいし、どこかで補給は挟みたいのだけれど……とりあえず、大きな街は避けましょう。だからここから次の丁度いい大きさの村まで……歩いてあと3日はかかるわね」
「その間の食事のアテはあるんです?」
「水なら街までの道中に川がある。浄化魔術があるから大丈夫よ」
「食事は?」
「…………」
沈黙が返ってきた。
「……兎に角行きましょう。もう休憩は十分よね?」
急がないといけないのは事実だが、なんか誤魔化されたような気がする。
僕達の喫緊の課題はそれらしい。
「まだ足が動きません」
「諦めなさい。そのうち慣れるわ」
マントを被り直したミューさんに、座っていたのを無理矢理引っ張り上げられた。つらい。
さっさとマント着て、ほら水も分けてあげるから、とさっきのマントと水筒を差し出されたのは、優しさなのか単なる荷物の押しつけなのか。
トラックに轢かれて地球から追放されて以来、数時間ぶりの水が喉にしみる。
「さあ、行くわよ」
「ここから一歩も動けません」
「荷物も無いのに甘ったれてんじゃないわよ、勇者タイガ」
確かに僕の荷物はポケットの中のスマホとティッシュくらいしかありませんけど!
木の支えを得てなんとか立ててはいるものの、ぷるぷると足が震えている。一歩でも進めば倒れそうだ。倒れる。倒れた。
「……あーもー!」
僕の惨状に耐えかねたミューさんがおぶってくれた。ごめんなさい。ありがとう。
「オトコの癖に妙に軽いわねコンチキショー!」
今時「オトコの癖に」とかそういう言葉はよろしくないですよミューさん。
そうして僕達は、数多の困難を抱えつつも。
ミューさんは祖国奪還のために、僕はミューさんへの借りを返すために。
長い長い冒険への第一歩を、なんとか踏み出したのだった。
まあ今歩いているのは僕じゃなくてミューさんなんだけど。




