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河川敷で缶チューハイを飲んでる地味なお姉さん、どう見ても人気女優なのに俺の前では絶対に認めない  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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エピソード14 次に会ったら、たぶんもう誤魔化せない

 月曜日は、朝から妙に空が高かった。


 秋が近づくと、空はただ青いだけじゃなくなる。

 輪郭がはっきりして、遠くまで見えそうで、でも触れようとするとちゃんと遠い。

 そんな感じが、今の自分たちに少し似ていると春日悠真は思った。


 会社の最寄り駅を出て、オフィスビルまでの道を歩く。

 通勤の人波。コンビニの前にできる短い列。

 週明けの空気はどこも少し重たい。


 でも今日は、それだけではなかった。


 昨日の夜の余韻が、まだ胸の奥に残っている。


 ――春日くんと、これからもちゃんと会いたい。

 ――偶然っぽい顔するのはやめたい。


 しらいさんは確かにそう言った。

 恋だと名前をつける直前の、けれどほとんど隠れていない気持ちで。


 自分も同じことを返した。

 だからもう、前みたいには戻れない。


 それが怖いかと聞かれたら、少しだけ怖い。

 でも、それ以上に、次に会うのが待ち遠しい。


 オフィスに着いて、パソコンを立ち上げる。

 メールを開く。今日やるべきことを確認する。

 画面を見ているのに、頭のどこかでは別のことを考えてしまう。


 次に会ったら、何を話すだろう。

 河川敷か、途中の寄り道か、それともまた外か。

 あの続きになるのか。

 それとも、何もなかったみたいに少しだけ笑って、ごまかしたようなやりとりから始まるのか。


「春日」

 三崎の声が飛んでくる。

「何」

「お前、今日また分かりやすいな」

「最近それしか言わないな」

「だって毎日更新されるから」

「何が」

「顔」


 三崎はコーヒーを片手に、わざとらしくしみじみ頷いた。


「前は“今日をやり過ごしたい顔”だったのに」

「ひどい」

「今は“次がある顔”してる」

「……」

「ほらな」

「お前、本当に嫌なとこだけ鋭い」

「嫌なとこだけじゃない。たまには役に立つ」

「今のところ一回もないけど」

「ひど」

「事実だろ」

「でもまあ、なんか良かったじゃん」

「何が」

「そういう顔できる相手ができたんだろ」


 軽く言うくせに、たまにこういうことを言うから困る。


 悠真は返事をせずにキーボードへ向き直った。

 でも、その言葉は思ったより深く残った。


 そういう顔ができる相手。

 たぶん、今のしらいさんはそういう人だ。


    ◇


 昼休みの終わり、スマホが震えた。


 画面を見る。

 しらいさんからだった。


『今日、河川敷行ける?』


 たった一文。

 なのに、それだけで心臓が少し跳ねる。


 悠真はすぐに返す。


『行けます』


 送って、数秒。

 すぐ既読がついて、返信が来た。


『よかった』


 その二文字の破壊力が、最近ちょっとおかしい。


 悠真はスマホを伏せて、息を吐く。

 よかった、か。

 そう言われるのがうれしいのはもちろんだが、それ以上に、彼女も少しだけ同じ気持ちで会おうとしているのだと分かるのがうれしい。


 午後の仕事は、思ったよりちゃんと片付いた。

 もちろん楽だったわけではない。

 上司の確認待ちで止まった資料、先方への返信、急な数字の差し替え。

 でも、終わったあとに会える相手がいると思うと、不思議と手が止まりにくい。


 会社を出たのは八時前だった。

 コンビニで、しらいさんが好きそうな小さなスイートポテトと、自分用の水を買う。

 何かを持って行くことが、もう自然になっている。


 河川敷へ続く坂道を下りる。

 夜風は前より少しだけ冷たい。

 秋の入口だ。


 ベンチには、しらいさんがいた。


 今日の彼女は、キャップにいつもの黒いパーカー。

 見慣れた河川敷の姿。

 でも、前よりその“見慣れた”が少しだけ特別になっている。


「こんばんは」

 悠真が声をかける。

「こんばんは」


 彼女は今日は、いつもの“遅い”を言わなかった。

 代わりに、少しだけ視線を上げて、ほんのわずかに目元をやわらげる。


「来た」

「行きますよ」

「うん」

「……何ですか」

「いや」

「何」

「今日、何かちゃんと来る感じしたから」

「何ですかそれ」

「分かんないけど」

「雑だなあ」

「でも本当」


 悠真はベンチに座る。

 少しだけ距離を空ける。

 でも今日は、その距離が昨日までよりずっと意味を持って見えた。


「これ」

 コンビニ袋を差し出す。

「何」

「スイートポテト」

「……」

「何ですか」

「最近、芋系で固めてくるね」

「好きかなって」

「好き」

「ならよかった」

「……またそれ」

「口癖なので」

「知ってる」


 彼女は袋を受け取って、小さく笑った。

 そこで一瞬、言葉が切れる。


 前なら、その切れ目はもっと気軽だった。

 今は違う。

 何を話しても、たぶんその奥に別の意味がついてくる。


「春日くん」

「はい」

「昨日のこと、考えた?」

「……考えました」

「どのへんまで」

「かなり」

「かなり」

「しらいさんは」

「かなり」


 その返しが揃ってしまうことに、二人とも少しだけ笑う。

 笑いながらも、逃げていない。


「私ね」

 しらいさんが言う。

「うん」

「昨日のあと、帰ってから少しだけ寝つけなかった」

「……」

「別に、重い意味じゃなくて」

「うん」

「頭が静かにならなかっただけ」

「……分かります」

「分かる?」

「俺も、似たような感じでした」

「そっか」

「何か」

「うん」

「次に会ったら、たぶん前と同じにはできないなって思って」

「……」

「それで少しだけ、緊張してました」

「……私も」


 彼女は炭酸水のペットボトルを膝の上で転がした。

 今日は缶チューハイではなく、ただの炭酸水だった。


「今日は飲まないんですね」

「うん」

「珍しい」

「今日、酔ったふりしたくないから」

「……」

「何その顔」

「いや」

「何」

「真正面だなって」

「今日はそういう日」


 そう言い切る声は、静かだけどはっきりしていた。


 風が吹く。

 川面の黒が少し揺れる。

 遠くの橋を走る車の音が、長く伸びて消えていく。


「春日くん」

「はい」

「私たち、今たぶん」

「うん」

「次に何か言ったら、かなり変わるとこにいるよね」

「……そうですね」

「怖い?」

「少しは」

「うん」

「でも」

「でも?」

「変わらないままでいるほうが、今はもう難しい気がします」

「……」

「しらいさんは」

「うん」

「どうですか」


 しらいさんはすぐには答えなかった。

 手の中のペットボトルを少しだけ握って、前を向いたまま、ゆっくりと言う。


「怖い」

「……」

「でも、変わらないふりをするほうが、もっと怖い」

「……」

「だって、今もう春日くんに会いたいの隠してないし」

「うん」

「会えたらうれしいのも、会えないとちょっと落ち着かないのも、かなり分かってるし」

「……」

「それなのに、何でもない顔だけしてるの、もう無理」


 そこまで言ってから、彼女は少しだけ笑う。


「だいぶ言ったね」

「かなり」

「かなり?」

「かなりです」


 悠真は、自分の喉が少しだけ渇いているのに気づいた。

 水を開ける。ひと口飲む。

 それでも、胸の奥の熱はあまり引かなかった。


「しらいさん」

「何」

「俺も、たぶん同じです」

「……」

「もう何でもない顔だけするの、難しい」

「……」

「河川敷に来るの、待ち合わせみたいに感じるし」

「うん」

「途中で呼ばれたら、うれしいし」

「うん」

「外で会う約束があるだけで、一週間の感じ変わるし」

「……」

「それを、ただの知り合いみたいに扱うのは、かなり無理があります」


 しらいさんはそれを聞いて、少しだけ目を細めた。

 夜のせいで輪郭は曖昧なのに、表情だけはなぜかはっきり伝わってくる。


「春日くん」

「はい」

「今日、すごくちゃんと話すね」

「今日は、そういう日なんでしょう」

「……うん」

「たぶん」

「うん。たぶん」


 彼女はスイートポテトの袋を開けて、一口だけ食べた。

 甘い匂いが、夜風に少しだけ混じる。


「おいしい」

「よかった」

「やっぱり言う」

「言いますよ」

「知ってる」


 少しだけ笑う。

 でもすぐに、その笑いは消えた。


「ねえ」

「はい」

「今日、ここで全部言わなくてもいいと思うんだ」

「……」

「何か」

「うん」

「今の感じ、すごく大事だから」

「……」

「急いで形にするより、次にちゃんと持っていきたい」


 悠真は、その言葉に少しだけ驚いて、それから納得した。


 たしかにそうだ。

 今ここで言おうと思えば、言えてしまうかもしれない。

 好きだ、と。

 あるいはそれに近い言葉を。

 でも、今夜の空気は“勢いで言ってしまう夜”ではなかった。


 ちゃんと分かった上で、次に進む直前の夜。


「……そうですね」

 悠真はうなずく。

「うん」

「俺も、そのほうがいい気がします」

「……そっか」

「今の感じ」

「うん」

「かなり大事なので」

「……」


 しらいさんは、そこでほんの少しだけ安心したように息を吐いた。


「春日くん」

「はい」

「今日、同じこと思ってくれててよかった」

「俺もです」

「うん」


 その“うん”には、少しだけ震えがあった。

 でも、それは不安の震えだけじゃない。

 何かが近いと分かったときの、静かな緊張みたいなものだった。


 しばらく、二人で何も言わずに座っていた。


 河川敷の夜は相変わらず静かで、でも今日は前より少しだけ息が詰まる。

 嫌じゃない。

 むしろ、心地いいくらいだ。


「春日くん」

「はい」

「次、いつ会える?」

「……」

「何その顔」

「いや」

「何」

「それ、かなり大事な聞き方だなと」

「大事だよ」

「……」

「だめ?」

「だめじゃないです」

「なら」

「明後日」

「日曜?」

「はい」

「空いてる?」

「空けます」

「……」

「何ですか」

「今の、かなりだめ」

「何で」

「うれしいから」


 しらいさんは、少しだけうつむいて笑った。


「日曜」

「はい」

「夕方」

「うん」

「河川敷じゃないほうがいい」

「……」

「ちゃんと話したいから」

「……分かりました」

「うん」

「行きます」

「知ってる」


 その一言の重さが、前より少しだけ変わっている気がした。

 行く。

 会う。

 ちゃんと話す。

 そこにもう、偶然の入り込む余地はない。


 立ち上がるタイミングは、ほとんど同じだった。


「今日は帰る?」

 悠真が聞く。

「うん。これ以上いると、何か言っちゃいそうだから」

「俺もかもしれません」

「……そっか」


 二人で土手の上まで歩く。

 今日は会話は少なかった。

 でも、それで十分だった。


 別れ際、しらいさんは足を止める。


「春日くん」

「はい」

「今日のこと」

「うん」

「忘れないで」

「忘れませんよ」

「うん」

「日曜も」

「行きます」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

「……うん」


 彼女はそこで少しだけ迷ってから、静かに言った。


「次に会ったら、たぶんもうごまかさない」

「……」

「私も」

「……はい」

「だから」

「うん」

「春日くんも、ちゃんと来て」


 悠真は、まっすぐうなずいた。


「行きます」

「うん」


 それ以上は何も言わなかった。

 でも、言わなくても分かることがもうかなり増えてしまっている。


 彼女が歩き出し、夜の街へ溶けていく。

 悠真はその後ろ姿が見えなくなるまで見送って、それからようやく息を吐いた。


 次に会ったら、もうごまかさない。


 その言葉は、怖いくらいまっすぐだった。

 でも、逃げたいとは思わなかった。


 むしろ、早く次が来てほしいとさえ思っている。

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