05
高いと言った前言は撤回する。この値段はその人たちには安い。払えない値段ではないけれど、何度も依頼できない内容。
なかなか良い値段設定だとは思うけど、自分ならば絶対払えない値段にするのに。
優しいのは彼女なのでは?
目尻を怒らせてメニュー表を握る女に、元男爵令嬢は柔らかい笑みを浮かべてこちらの手を握る。
「ほら、お姉様。チョコケーキが溶けてしまいますよ」
などと、ケーキに誘導されて仕方なくぱくりと食べて飲み込む。怒りは飲み込めないけど。
「安心してください。嬉々として私に謝罪なく、悪びれた顔もせずに送った王族のメニューはもう、目も当てられないようにしておきました」
ぺっかぺっかの笑顔で毒を吐く聖女。彼女の言葉を聞いた貴族夫人はおろおろとした顔をして、がしりと相手の繊細な手を掴む。
「だめ!」
思わぬ言葉に夫も親友も目を丸くする。喜ぶと思っていたし、賛同すると思っていたのに?
「だめ……」
今度は力無くヒョロリとした声で止めてくる。
「ですが、立場をわからせておかないとですね」
「そうだよ?今も鼻高々にうちの貴族が聖女だってあちこちで自慢してる王様なんだから」
聖女筆頭候補と結婚した男が色々言い募る。首をそれでも振る夫人。
「嫌なことを……してきた相手を……助けることは……あなたの、負担になるじゃない。折角、あなたを助けられたのに……苦しい思いをしてほしくないからよ」
切実な願いにこの空間の全員の心がグッと掴まれていく。甘い汁を吸おうとするものたちをやり込めるくらい気が強いことは、わかってはいるけれど、それとこれとは別問題。
告げると彼女は感極まった様子で口元に手を当て、夫に向かって「奥さんを私にくださいませんか?」と言い出す。
「うんうん。僕の奥さんだから重婚は法律違反かな〜?」
何を言われるのかわかっていたから返事が早い。
「まあ、そう言わずに。とふざけている場合ではないですね」
小さな女性は瞼を緩く閉じさせて、こちらへ目を向ける。
「平気です。例え、あちらでなにか嫌な目にあっても弾き飛ばす権力も得られました。今やあちらの国で私より高い頭はないのです」
サラッとすごいことを言い出した。まぁ、でも、言う通りなんだろうな。
「あなたは何一つ悪いことなんてしていないのに、悪者にされてしまって。また悪役みたいなことをしに行かなくていいの」
つまり、言いたいことはこれだ。彼女はたまたま学園で出会って恋をした二人の片方の婚約者だっただけの端役。主役になりえないのに、嫌な目にだけは遭う。
そんなのって、理不尽以外の何ものでもない。悪役にならないはずの婚約者。ちゃんと条件や契約を守っているのに、不誠実な男のせいであれこれ言われるなんて。
普通なら、婚約者を想うことは強制させられないが切実にお金を払ってもらっている意識を持って、本来の学園行きの援助を思えば勉学に励まねばいけない。
あの男の両親も、恋愛をさせに学校に学ばせに行かせたわけではないのだし。あの両親も被害者なのかも。
しかし、息子が領地経営をやりくりしている間に、ポカをやらかして。回収する頃には契約が殆ど守られておらず、しまいには助けてくれた恩義ある家の、娘の将来の入学予定の学園では特大の噂が一人歩き。
あんなの、一年後に通わせられるわけがないと誰でも理解できたのに。なにが一年後には別れるから、だ?
別れても別れなくてもすでに、被害にあっている聖女だった女の子。学園に通い出したら下位貴族なので、後ろ盾もなくもて遊ぶに最適な役柄。
半分が見ているだけなら、もう半分は面白そうだとなにかしら手を出すことすら、婚約者の男も浮気相手も考えやしない。
そんな学園に男爵が通わせるわけもなく、タイミングよく自分たちが帝国への留学を打診したので、渡りに船だとめちゃくちゃ喜んだらしい。
行ってきますの挨拶は、地獄行きを覚悟していた女子生徒は、晴れやかな気持ちでこちらへやってきたということだ。
「本当に感謝しております。だから、私は遥か上から相手を叩けるところまで登ったので、今こうしてやっているのです」
メニュー表を指差し、唇に持っていく。秘密ですよ?と言外に述べると薄く笑う。
逞しさに苦笑してから、苦しむことがないのなら、それなら別に言うことはないと頷く。
聖女(仮)も夫も笑みを浮かべて納得した顔で紅茶を飲んだ。二人は知っている。
あの国は今、必死に聖女候補に頭を下げて許してもらおうとしていることを。子供が生まれてすくすく育ったものの、子供はすぐに熱を出す。薬も必要である。
子供の時は割引をされる価格も、ある程度の年齢になって値段が元に戻り手に入らなくなり。子供になぜ、あの薬が飲めないのか、聖女をうちの領地に派遣してもらえないのかと、説明を求められていることを。
自分たちが学生時代にした安易な、ただの婚約者を裏切って不誠実なことをした恋人たちを応援しただけと。子供に言えるわけがない。
社交界にいなくても子供にもツテはあるのだから、いずれ遅かれ早かれ耳に入る。
その時、親と縁を切りたがる世代が増えることになるだろう。
将来が不安定になって、ようやくそこで後悔がさらに膨れ上がった末に、あの時なんで応援したのかと。過去の学生時代を死ぬまで延々ともしあの時に戻れたら、を繰り返すことしかできない。
いくら後悔しても高くついた代償を、ずっと詰られて生きていくしかないのだ。
聖女は笑う。
黒い笑みと白い笑みを。




