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第8.5話 化け物の反撃


「宮務長官の不正予算承認、過去八年分。まとめ終わりました」


メルティアが、机の上に紙の束を置いた。


厚さ十センチ。


「八年分って、いつから調べてたんだ」


「晩餐会の翌日からです」


「あの時点で敵を想定してたのか」


「想定ではなく確信です。あの席で最も不快そうな顔をした人間が、最も権力を持っていました。行動を起こさない理由がない」


4人の天才のうち、怒らせたら一番怖いのはこの人だ。


そして今、彼女たちは怒ることができる。彼女たちのために怒るやつがいるから。



反撃の作戦会議は、ロゼッタの商会の地下室で開かれた。


円卓に五人。だが今日の空気は今までと違う。全員の目が据わっている。守りではなく、攻めの目だ。


「まずセルフィーネの辺境任務から潰すわ」


ロゼッタが帳簿を開いた。


「騎士団の運営資金の三割はウチの商会経由の税収で成り立ってる。そこを止めると伝えれば」


「脅しか」


「交渉よ。あたしはいつだって合法的にやるの」


ロゼッタが騎士団の経理部門に面会を求めたのは翌日のことだった。


カーテンなしで。


対面の席に座ったロゼッタを見て、経理部長は露骨に顔をしかめた。椅子を少し引いた。いつものことだ。化け物の顔を直視したくないのだ。


だがロゼッタは微笑んだまま帳簿を開いた。今日の彼女は、いつもの虚勢の笑みではない。勝ちを確信している人間の笑みだった。


「赤薔薇商会からの税収、止まるとどうなるかしら。年間予算の三割が消える。新兵の装備は買えなくなるし、北方辺境の補給線も維持できない。そうそう、辺境任務と言えば——副隊長のセルフィーネさん、即日で王都に戻していただけます?」


経理部長の顔色が変わった。


「それは、上層部の判断で——」


「判断材料を差し上げましょう。この辺境任務の発令経緯、宮務長官から騎士団長への私信の写しです。メルティアさん」


メルティアが封筒を差し出した。


「禁書庫ではなく公文書館から正規の手続きで閲覧しました。公的記録です」


経理部長がその手紙を読み、顔が青くなった。


セルフィーネの辺境任務は翌日撤回された。



次はメルティアの実家だった。


これは俺が行った。


ヴァレンシア公爵邸の門前で名前を告げると、あの黒服の使用人が出てきた。前回と同じ見下した目。


「また来たのですか。部外者には——」


「部外者じゃないです。メルティアの友人として、正式に面会を申し込みます」


使用人が鼻で笑った。


だが俺の後ろから、もう一人の声が響いた。


「あたしからも申し込むわ。赤薔薇商会会頭として」


ロゼッタだった。


「ヴァレンシア公爵家の主要取引先、七社のうち四社がウチの傘下よ。知ってた?」


使用人の顔から血の気が引いた。


応接間に通された。当主は出てこなかった。出てこられなかったのだろう。代わりに家令が現れ、メルティアの帰還要請を「当面保留する」と伝えた。事実上の撤回だった。


廊下に出ると、ロゼッタが言った。


「あんた、丸腰で公爵家に来る気だったの」


「メルティアの友人だって言いに来ただけだよ」


「それだけで勝てると思った?」


「勝てないけど、言うことに意味がある」


ロゼッタが呆れた顔をして、それから小さく笑った。


「馬鹿は嫌いじゃないわよ。……自分のために怒ってくれる馬鹿は、ね」



鍛冶組合の査察は、フィーネ自身が片づけた。


査察官が工房に来た日、フィーネは黙って作品を並べた。


ナイフ。剣。鎧の留め具。医療用のメス。農具の鎌。


すべてが一級品だった。刃の仕上げ、重心のバランス、素材の選定。どれひとつ文句のつけようがない。査察官は元鍛冶の職人上がりだったから、技術は見ればわかる。嘘がつけない世界だ。腕の前では、顔は関係ない。


「……これを、一人で?」


「はい」


「この医療用メスの精度は、王都の大工房でも——」


「一人で打ちました。あと、こちらが過去三年間の納品記録と顧客評価です」


フィーネが書類の束を差し出した。中身はメルティアが整理したもので、数字の並びに隙がない。


査察官は三十分で査察を終え、帰り際にフィーネの工房に自分の包丁の研ぎ直しを頼んでいった。


営業停止の話は消えた。



そして、仕上げ。


宮務長官への直接対決は、公の場で行われた。


月に一度の王宮評議会。本来は高官と貴族しか出席できないが、ロゼッタが商会代表として議席を持っており、随行者として全員が入った。


宮務長官は太った中年の男だった。金の装飾が過剰な衣服を着て、小さな目が脂肪に埋もれている。会場に現れた俺たちを見て、その目が不快そうに細くなった。化け物を四匹も連れてきたのか、と顔に書いてある。


「場違いな者がいるようだが」


俺が立った。


「発言の許可を求めます」


「許可しな——」


「赤薔薇商会の随行者には発言権があります。規則第十四条第三項」


メルティアの声が涼しく響いた。宮務長官の顔が歪む。


「手短に」


「宮務長官の過去八年間の予算承認に、不正の疑いがある案件が十七件。騎士団人事への不当介入が五件。商工組合への圧力が三件。すべて、公文書館の記録と照合済みです」


メルティアが書類を配り始めた。評議員たちの顔色が変わる。


宮務長官が立ち上がった。「でたらめだ! そんな——」


「でたらめかどうかは調査すればわかります」


セルフィーネが一歩前に出た。鎧はない。剣もない。だが、騎士団副隊長の肩書きは残っている。


「騎士団として、正式な調査を要請します」


宮務長官の目が泳いだ。評議員たちが互いの顔を見ている。空気が変わった。一人の高官が不正を隠しきれる場ではなくなっている。


「あたしからも」


ロゼッタが立った。


「商会として、過去の不当な圧力に対する損害賠償請求の準備があることをお伝えしておくわ」


宮務長官は何も言えなかった。


評議会は調査委員会の設置を全会一致で決議した。宮務長官は即日職務停止。




会場を出ると、晴れた空が広がっていた。


四人が並んで廊下を歩いている。俺の左右と、前後に。あの晩餐会の帰り道と同じ配置。でも意味が違う。あのときは包囲だった。今は、共闘の陣形だ。


「言ったでしょ、あたしたちを使いなさいって」


ロゼッタが八重歯を見せて笑った。


「今回の作戦、論理的には完璧でした」


メルティアが眼鏡を光らせた。ただし少しだけ口角が上がっている。この天才にしては珍しい、勝利の表情だ。


「査察官さん、来週また包丁持ってくるそうです」


フィーネが嬉しそうに言った。敵を味方に変えるのが、この子の天性だ。


セルフィーネが何も言わなかった。ただ、いつもの半歩前ではなく、俺の隣を歩いていた。


「強いな、お前たち」


「「「「当たり前でしょ(です)」」」」


四人が同時に言った。


声がきれいに揃って、全員が顔を見合わせて、一瞬の間があって——五人同時に吹き出した。


化け物たちの笑い声が、王宮の廊下に響いた。


すれ違う官吏が何人か振り返った。


誰も、顔をしかめなかった。少なくとも、今日は。


それだけで充分だった。

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