第8話 化け物の居場所
「メルティア様は本家にお戻りいただきます」
朝食の席に、見知らぬ男が立っていた。
仕立てのいい黒服に金のブローチ。貴族の使用人だとすぐにわかる佇まいだった。背後にはさらに二人の護衛。
メルティアがスプーンを持ったまま固まっている。
「お嬢様の頭脳はヴァレンシア公爵家の資産です。このような場所で浪費されることを、当主はお許しになりません」
資産。
人間を、資産と呼んだ。
「帰りません」
メルティアの声は静かだった。だが、スプーンを握る指が白い。
「お嬢様のご意思は問題ではございません。当主のご命令です」
「私の意思は問題ではない。ええ、昔からそうでしたね」
メルティアの声に、初めて刃のようなものが混じった。
「離れの部屋に閉じ込めて本だけ与えたことを、『育てた』と呼ぶ家が、今さら何の用ですか?」
使用人の顔が強張った。だが一歩も引かない。
「穏便にお願いしたいのですが。さもなければ、学術院への働きかけも——」
「帰ってください」
俺だった。気づいたら立ち上がって、使用人と メルティアの間に入っていた。
「どちら様で?」
「ただの迷子です。でもこの人に帰れと命令する権利は、あんたにはない」
使用人が俺を見た。値踏みするような目。取るに足らないと判断したらしく、鼻で笑った。
「部外者には関係のない話です」
「関係ある。この人は俺の——」
言葉を探した。友人。恩人。仲間。どれも嘘じゃないが、どれも足りない。
「俺の大事な人だ」
メルティアのスプーンがテーブルに落ちた。
使用人は肩をすくめて去っていった。だがその目は「また来る」と語っていた。
それが始まりだった。
同じ日の午後、セルフィーネが騎士団から召喚命令を受けた。
「北方辺境の魔獣討伐。即日出発。任期は未定」
セルフィーネが命令書を握りしめている。紙が皺だらけだ。
「断れないのか?」
「騎士団の命令は絶対です。ただ——」
セルフィーネの蒼い瞳が細くなった。
「今まで一度も辺境任務を命じられたことがない。私が化け物だから、前線に出すと兵の士気が落ちるという理由で。それが今、突然」
「仕組まれてる?」
「そう考えるのが自然です」
ロゼッタからも連絡が来た。
赤薔薇商会の主要取引先三社から、同時に契約見直しの通告。理由は「商会の運営方針に対する懸念」。具体的には、化け物の会頭が男を囲っているという噂が広まり、信用問題になっているという。
「あたしの顔で商売できたのは、顔を見せなかったからよ。カーテンの向こうにいる限り、能力だけで評価してもらえた。帳簿の数字に顔はないから」
ロゼッタが帳簿を閉じた。音が重かった。
「でもあんたが来てから、あたしはカーテンの前に出た。顔を晒した。対面で商談した。それが気に入らない連中がいる。化け物は化け物らしくカーテンの向こうにいろ、ってね」
フィーネの工房にも、王都の鍛冶組合から査察の通知が届いていた。
「営業許可の再審査だって。今まで一度も来たことないのに」
フィーネが通知書を丸めてゴミ箱に投げた。初めて見る荒っぽい動作だった。
四方から、同時に。
偶然じゃない。
メルティアに調べてもらった結果は明白だった。
「晩餐会の出席者リストと照合しました。メルティアの実家、騎士団の上層部、ロゼッタの取引先、フィーネの鍛冶組合。すべてに共通する接点が一つあります」
「誰だ?」
「王宮の宮務長官。晩餐会であなたが立ち上がった直後に、露骨に不快な顔をしていた人物です」
化け物が集まって一人の男を囲んでいる。それが上流社会の秩序を乱すと判断した人間がいる。化け物は一人ずつ孤立させて、能力だけを搾り取って使い潰すべきだ。群れさせるな。連帯させるな。まして人間扱いするな。
そういうことだった。この世界の差別は、個人の悪意ではなく、構造として機能している。いや、差別というのは、どこだってそうだ。ここでも、おれがかつていた世界でも。
四人を集めた。五度目の円卓。だが今日は、俺が話す番だった。
「お前たちが今まで俺を守ってくれた」
四人が黙って聞いている。
「剣で。頭で。金で。技術で。そして心で。守ったのは全部お前たちだった。俺は守られてただけだ」
セルフィーネが口を開きかけた。「それが私の——」
「役目、だろ。知ってる。でも今度は俺が動く」
「あなたに何ができるの?」
ロゼッタの声にトゲはなかった。純粋な問いだった。
「力はない。金もない。頭もよくない。でも一つだけ、お前たちにできなくて俺にできることがある」
四人が俺の言葉を待っている。
「この世界の常識に縛られてない。化け物がどうとか、美しいがどうとか、俺には関係ない。だから言える。正面から、公の場で。化け物の何が悪い、と」
沈黙が落ちた。
セルフィーネの目が揺れた。この世界で生きてきた二十二年間、誰も言ってくれなかった言葉。
メルティアが眼鏡を押さえた。レンズの奥が光っている。計算や論理ではない光だ。
ロゼッタが鼻を鳴らした。でも口角が上がっていた。
フィーネが一歩前に出た。
「私も戦います。私の手は、壊すためじゃなくて直すためにあるんです」
「一人で戦うつもり? 馬鹿ね」
ロゼッタが立ち上がった。
「あたしたちを使いなさいよ。金なら動かせる。騎士団の上にだって手は届く。鍛冶組合なんてウチの取引額で黙らせられるわ」
「論理的な反論材料なら、私が揃えます」
メルティアが手帳を開いた。
「宮務長官の過去の人事介入記録、不正の疑いのある予算承認、すべてまとめてあります。晩餐会の出席者リストと一緒に整理したとき、念のために」
「念のためが怖いんだよ、お前は」
セルフィーネが剣の柄から手を離した。初めて見る仕草だった。
「私はあなたの剣でした。でも——」
「でも?」
「今は、あなたと並んで立つ剣になりたい」
目が合った。蒼い瞳が真っ直ぐこちらを見ている。守るための目ではなく、共に戦うための目。
円卓の空気が変わった。
「主人公を囲い込む」から「主人公と共に戦う」へ。
鳥籠の壁が、内側から壊れ始めている。
その夜、メルティアが顔面蒼白で宿に駆け込んできた。
「帰還の条件について、偽の情報を掴まされていました」
「偽?」
「実家から提供された資料の一部が改竄されていた。帰還にはこの世界での記憶を代償にする、という記述。あれは嘘です」
「じゃあ本当の条件は」
メルティアが唇を噛んだ。眼鏡の奥の目が、今までに見たことがないほど揺れている。
「まだ、わかりません。嘘を取り除いた先にある真実を、今から探します。時間はかかるかもしれません。でも今度は、誰の資料にも頼らず、自分の目で確かめます」
声が震えている。
「でも一つだけ確かなことがある。実家は——私を使って、あなたをこの世界に繋ぎ止めようとしていました。私を、餌にして」
メルティアの目から、一筋の涙がこぼれた。
この天才が、初めて泣いた。
俺はメルティアの肩に手を置いた。何も言わなかった。言葉より先に、手のひらの温度を伝えたかった。




