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第5話 四面楚歌の晩餐


「あら、蒼い化け物じゃない。久しぶり」


「……赤い化け物か。相変わらず目に毒だな」


晩餐会の会場入口で、ロゼッタとセルフィーネが火花を散らしていた。


俺はその二歩後ろで、逃走経路を探していた。


赤薔薇商会の大広間は想像以上に豪華だった。シャンデリアが五つ。白い布のかかった長テーブルが三列。給仕が忙しなく動き回り、招待客がグラス片手に談笑している。


この世界の上流社会は、見た目以外は俺の世界の立食パーティとそう変わらない。


ただし、この会場に四人の化け物が集結しているという点を除けば。


セルフィーネは護衛として来ている。白い騎士礼装に着替えており、普段の戦闘服より華やかだ。銀髪を後ろで一つに束ねていて、正直に言うと見惚れる美しさだった。


ロゼッタは主催者として深紅のドレスを纏っている。赤い巻き毛を片側に流し、宝石のイヤリングが揺れている。こちらも目を奪われる華やかさだ。


招待客たちは二人を見るたびに顔をしかめ、距離を取っている。この世界最高の美女が二人並んでいるのに、誰も近づかない。


「あなたの隣は私の定位置です。護衛ですから」


「はいはい。あたしは主催者として賓客の隣に座るわ。つまり隣よ」


「護衛の方が近いに決まっている」


「出資者の方が偉いに決まってるでしょ」


俺を挟んで左右から睨み合う二人の間で、空気が軋む音が聞こえる。比喩ではない。セルフィーネの握力でグラスの脚が悲鳴を上げている。


「こんばんは」


静かな声が割り込んだ。


メルティアだった。黒髪をいつもより丁寧に梳かし、紺色のドレスに眼鏡。王立学術院の顧問として招待されたらしい。手には小さな手帳を持っている。


「あの手帳、何?」とロゼッタが訊く。


「本日の出席者リストと、各人の政治的立場、資産状況、過去の発言傾向をまとめたものです。あなたの商会の取引先も含まれています」


「……それ、いくらで買える?」


「売り物ではありません。ただし、彼の隣の席と交換なら考えます」


メルティアの目が、レンズの奥で光った。この天才、自分が何を言っているか分かっているのだろうか。いや、分かっていてやっている目だった。


三人の視線が交錯する。氷と炎と静電気が同時に発生している。


そこへ、小さな影が駆け込んできた。


「す、すみません遅くなりました! 納品に来たんですけど——」


フィーネだった。革のエプロンこそ外しているが、亜麻色の髪はいつものお団子で、頬にはすすが一筋残っている。手には布に包まれた何かを抱えている。


「あなたの礼装用のナイフを仕上げてきました。晩餐会で使えるように刃を——」


フィーネがロゼッタとセルフィーネとメルティアを見た。


三人がフィーネを見た。


沈黙。


「……あなたも、そうなの?」


ロゼッタが言った。「そうなの?」の意味を全員が理解していた。「化け物」の顔をした才色兼備、美慧之女、美しく有能な女たち。


フィーネが小さく頷いた。


四人の視線が交わった瞬間、奇妙な空気が流れた。敵意ではない。共感だ。同じ世界の同じ側で、同じ痛みを知っている者同士の、言葉にならない了解。


だが、それは一瞬だった。


「で、あんたも彼の隣に座りたいわけ?」


ロゼッタの問いに、フィーネは顔を赤くして首を横に振った。


「わ、私は納品に来ただけで——」


「じゃあ帰っていいわよ」


「帰りません」


即答だった。フィーネ本人が一番驚いた顔をしていた。


結局、円卓に五人で座ることになった。俺を中心に、右にセルフィーネ、左にロゼッタ、正面にメルティア、斜め向かいにフィーネ。包囲網としか言いようがない。


食事が始まると、四人の攻防は熾烈を極めた。


セルフィーネが俺の皿に料理を取り分ける。「護衛の務めです」。ロゼッタが即座に上等なワインを注ぐ。「主催者の義務よ」。メルティアが料理の成分を解説し始める。「この魚は良質な脂肪酸を含み、脳機能の向上に——」。フィーネが俺のナイフの角度を直す。「こう持った方が切りやすいです」。


食事をしているのか戦争をしているのかわからない。


だが、こんな四人を見て笑っている招待客は一人もいなかった。


むしろ周囲のテーブルからは、嫌悪に満ちたひそひそ声が聞こえてくる。


「化け物ばかり集まった席だな」

「目障りだ。食欲が失せる」

「あの男も物好きだな。あんなのに囲まれて」


聞こえている。四人全員に聞こえている。


セルフィーネの箸が止まった。メルティアが手帳を握りしめた。ロゼッタがグラスを置く手が硬くなった。フィーネが膝の上で拳を握った。


慣れている。慣れているから、反応しない。何年もそうして生きてきたから。


その沈黙が、俺には耐えられなかった。


椅子を引いて立ち上がった。


「おい」


声が出ていた。大広間に響く声量で、自分でも驚いた。


ひそひそ話をしていた一角が、こちらを見た。


「俺の大事な人たちを侮辱するな」


静寂が落ちた。


四人が同時に俺を見た。


セルフィーネの目が見開かれた。ロゼッタの唇が震えた。メルティアの手帳が膝から落ちた。フィーネの目に涙が浮かんだ。


だが、四人の表情に、もう一つの感情が走ったことに俺は気づいていた。


大事な人たち。


「たち」。


複数形であることの意味を、四人全員が同時に噛みしめていた。全員が特別。全員が等しく大事。それは救いであり、同時に——独占できないという宣告でもあった。


晩餐会の後、夜風に当たろうとバルコニーに出ると、賢女メルティアが先にいた。


「一つ、指摘してもいいですか」


「何?」


「あなたは全員に同じ優しさを配分しています。それは数学的に、誰も完全には満たされないことを意味します」


夜空を見上げたまま、メルティアが言った。レンズの奥の瞳に星が映っている。


「わかってる。でも、誰かを選ぶってことは、誰かを切り捨てるってことだろ?」


「……はい」


メルティアが目を伏せた。


「わかっていても聞きたかったのです。あなたの口から」


バルコニーの扉の向こうに、三つの気配があった。聞こえていたのだろう。誰も入ってこなかった。


帰り道、四人が珍しく横一列に並んで歩いていた。俺を中心に、左右と前後に。護衛でも包囲でもない、不思議な距離感。


宿に着いて扉を閉め、一人になった瞬間、気づいた。


今日の自分の行動を振り返る。着ていた服はロゼッタが送ってきたもの。髪を整えたのはセルフィーネが持ってきた櫛。会場での立ち回りはメルティアの情報に従い、腰のナイフはフィーネが打ったものだった。


もう一度いう。俺の生活に、俺が自分で選んだものが何一つない。


住んでいるのはロゼッタの物件。護衛はセルフィーネ。知識はメルティア。装備と健康はフィーネ。


全部、誰かが決めている。


善意で。愛情で。純粋な好意で。


だからこそ、断れない。断る理由がない。一つ一つは親切で、一つ一つはありがたくて、でも全部足すと——


鳥籠だ。


俺は、善意で出来た鳥籠の中にいる。

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