8-3.雷魔の最期
容赦なく振られた錨はアユスルオキナの首を刈らんと唸りを上げた。ベチッ、という音と同時にゴキという音。アユスルオキナの体が壁まで吹き飛ぶ。絶命を免れぬ一撃に、しかしキャリバンは満足しない。眼光は徒に炯々、暗い光を灯している。口角の上がった口から零れる牙の隙間を、威嚇のような呼気が流れる。
アユスルオキナの体に電気が走った。激しい雷電の後、アユスルオキナは立ち上がり、その体には傷などない。けれども顔容は憤怒に満ち満ち、ここにキャリバンとアユスルオキナの激情がぶつかりあった。
「癪な娘よ、貴様がシコラクスの子でさえなければ、今頃は……」
「今頃、なんだよ。言ってみろ。俺ァ前からお前をぶっ飛ばしてみたかったんだ。良い機会だぜ、来なジジイ!」
「死んで詫びろ!」
雷の化身、瞬時に浮かび上がった単語はそれだった。文字通り雷と化したアユスルオキナはキャリバンの体を通り抜け、振り向きざまに髪を掴んだ。キャリバンは電撃に打たれて反応できず、為されるままになっている。
「どう嬲ってくれようか、え? 」
キャリバンは視線をアユスルオキナに向けながら、不敵に笑い、
「ジジイ、手がねえぜ?」
言い終わるときアユスルオキナの鳴杖が音高く床に倒れた。キャリバンを掴んでいない方の手へ、しかと向けられるアユスルオキナの険しい眼差し。
アユスルオキナの手首には、大人の手くらいの魚が喰いついていた。三匹、鋭い牙に、真っ白な眼玉。
「これは……魔術か!」
電気を放って魚を蹴散らす。その一瞬の隙、キャリバンは体を捻ってアユスルオキナの腕に噛み付いた。その一部を食い千切り、すぐさまアユスルオキナと距離を取る。アユスルオキナは電気を纏い、やはり体の傷は治ってしまう。
忌々し気にキャリバンを睨むアユスルオキナは、挑発的に笑みを浮かべた。落とした鳴杖に手を伸ばす。
「数匹の雑魚でなんになる?」
「節穴」
鳴杖に伸びたアユスルオキナの手が止まる。アユスルオキナの腕にびっちりと、魚の群が喰い付いていた。
「ぬおっ!」
驚き後ずさりしたアユスルオキナは尻餅を搗く。理由がわからないらしかったが、その片脚が食い破られていたためだった。
恐怖に染まった表情は無理もない。魚はどこから増えるのか、見る見るうちに増殖している。一匹一匹獰猛で、アユスルオキナの体を貪っていく。
俺の方まで溢れる魚を、ヴェルギリがむしゃむしゃ食べている。相当量を食すると、俺に戻って精気を分けた。俺はなんとか起き上がる。
「旦那、そいつの不死身は旦那と同じだ。食料、瘴気が尽きればそいつも終わる。倒し続けな!」
キャリバンが言い、俺は頷く。アユスルオキナは再度体を電気と化して、魚の地獄を脱出する。だがどこへ逃げても、アユスルオキナに魚が憑りついている。
「ううァア゛ア゛ア゛!」
おぞましいと感じるほどの、呪わしい悲鳴を上げて、アユスルオキナがキャリバンに突っ込んだ。術者を倒して食い止めようという魂胆に違いない。電撃を浴び、キャリバンが硬直する。
「死ィねぇ!」
高々鳴杖を振り上げるアユスルオキナ。だがそれを、真紅のビームが撃ち落とす。ミランダだった。
「ぐ……!」
目も当てられないほど喰われた顔には、怨嗟の色がありありと。
俺はヴェルギリを振り掲げた。瘴気は十分、溜めてある。
「離れろ、キャリバン!」
キャリバンはよろめきつつも、その場を離れる。
「おのれっ」
電気に化身しようとするアユスルオキナだったが、活力たる瘴気が尽きていたようだ。体についた魚を焼くにとどまっている。
俺は黒龍を放った。アユスルオキナを飲み込んで、瘴気の奔流が広間に満ちる。舞い飛ぶ粉塵、しばしの静寂。
視界が晴れて、そこにいたのは、ミラージュだった。ミラージュはアユスルオキナの前に立ち、黒龍を防いでしまったらしかった。ミラージュは倒れ伏すアユスルオキナを見下ろしている。
振り向いたミラージュの手と口元は、アユスルオキナの血液に染まっていた。
「ごちそうさまっ。それじゃあ、私、次の階層で待ってますから」
紅い瞳が俺を睨め、霧のように消えてしまった。後には、俺とミランダ、そして立ち尽くすキャリバンがいた。
「あ、旦那――」
「下がりなさい!」
俺とキャリバンの間に、ミランダが割って入る。ミランダは明らかにキャリバンを警戒していた。
「ンだよ」
「貴女、今までどこにいたんですか」
「……お袋に、捕まってた」
「お袋? シコラクス様にですか? なぜ?」
「それは……」
言い辛そうに口を噤み、一度俺に視線を向けて、それっきり下を向いてばかり。たまに頭を掻いてみたり、落ち着きなく立ち方を変えてみたり。
「キャリバン、シコラクスは無事なのか?」
俺が言うと、キャリバンは小さく頷いた。
「野暮用を済ませるとか言って、どっか行きやがったけどよ」
「貴女は今回のこと、どこまで知っているのですか」
「……なんにも。お袋がなんか企んでるらしいのは知ってる」
「そうですか。実はレギオニステラが裏切りました。貴女を信用できますか?」
問答を繰り返しても、あまり意味はないと悟ったのだろう、ミランダは警戒の原因、それを問い質した。キャリバンは嘲笑を浮かべてミランダを見遣る。
「どっかの誰かと違ってな、俺は絶対に旦那を裏切らねぇ」
「この……!」
「止せミランダ……なんにせよ、仲間と合流できて良かった」
場の空気も一段落して変わり、ミランダも警戒を解く。ヴェルギリは歓迎するぞとばかりにキャリバンへ触手のようなあれを伸ばすが、キャリバンはいやな顔して避けた。
ヴェルギリを避けつつ俺の傍に寄ったキャリバン。
「……あのさ、隆志の旦那」
「ん、どうした」
「…………」
キャリバンは口を結んだまま、戸惑うような表情をした。言うに言えない、そんな顔だった。
「旦那は、仮初だったとは言え、どうして俺との結婚を承諾してくれたんだ?」
目を合わせずにそう言われた。
「今に訊かなきゃだめなんですか? それ」
不満げにミランダが口を尖らす。俺は返答に窮して、少々黙る。そうして
「お前のことが好きだから、とか?」
言った後、キャリバンは一瞬だけ、ほんの一瞬だけ嬉しそうにして、目に諦めを滲ませた。
「そっか、悪いな、変なこと訊いて」
俺やミランダを背に、先へキャリバンは進み出す。不満そうに「んー」とミランダは唸る。
「様子が変ですよ。もしや、貴女も隆志さまの真実とやらを聞いたのですか? シコラクス様から」
ミランダは何気ないつもりで言ったのかもしれない。キャリバンは分かりやすく肩を跳ねらせた。
「図星ですか。ではその真実とやら、隆志さまにお話しした方が良いのでは?」
「うるせえよ。話しても無駄だ」
「な! な、なんてこと言うんですか! 今のは隆志さまへの無礼に当たりますよ!」
「うっせえな! 無駄なんだよ!」
振り返ったキャリバンの目には、涙が零れていた。はっとして、キャリバンは目元を拭って、せかせかと歩いて行った。ミランダは呆然とする。
「私、そんなにひどいこと言ったでしょうか……」
「どうだろうな。なんにせよ、一人で先を進ませるわけにはいかない」
俺はアユスルオキナの亡骸を見た。それから、キャリバンを追うように、俺たちは次の階層へ進んでいった。




