8-2.大魔女の子
絶えず粉塵を噴き上げる火山に、切れ目ない黒雲に覆われた天井。硬く黒く平らな岩の地面に、寒暖入り混じる妖しい風。
第三魔界の階層に降り立ったミランダは物憂げに振り返り、俺は告げられた名前に引き付けられて前を見る。
アントニウス、あいつが今回の件に関わっているのなら、その意図するところはなんであるか。シコラクスとの関連は。
けれども事件の根幹となる疑問の前に、超える必要のある壁がある。七柱魔は全て倒した、ならば、この階層で待ち受ける悪魔は誰だ。もしや、ミラージュではあるまいか。七柱魔の魂を喰らい、次々力を取り込んだ奴だ。その力は計り知れず、目的も知れない。しかもミランダと姉妹であるという。どんな戦いになるのか想像もつかない。
俺とミランダは歩みを進め、その足取りは、お互いへの気遣いで支えられていた。俺はミランダとミラージュが争うことを心配し、ミランダは俺とアントニウスの因縁に不安を抱いているらしかった。相見互い身、持ちつ持たれつ、励まし合い助け合いしながら、疲弊した体を引き摺った。
ふとミランダが言う。
「隆志さま……」
「どうした」
「敵が、いませんね」
この階層に来るまでは、呆れるほどに襲ってきていた悪魔の姿が、今はない。待ち受ける敵の覚悟を感じずにはいられない、圧迫感のある静けさだった。
そうして難なく辿り着く、第三階層最後の間。この先に敵がいるのだろう。七柱魔に劣らぬ敵が。俺たちは扉を開けた。
広間の奥に立っていたのは、老獪そうな男。禿げた頭に胸まで続く白髭、狼のような眼。紫紺のローブは無縫。アユスルオキナだ。
「そうか、七柱魔の後なら、お前が来ても不思議はないな」
アユスルオキナは俺の言に顔の険を増し増して、手にあった鳴杖を大きく打ち鳴らした。遊環の音は雷。空気を揺るがし、ミランダは反射的に縮こまった。
「貴様が吾輩に与えた屈辱、万殺してもまだ足りぬ――貴様の四肢をもいで捨て置いて、貴様の前でその婢を辱めてやる。それからキャリバンもその場に引きずり出し、散々喚かせてから殺してやるわ」
「ピキー!」
ヴェルギリが怒って鳴いた。俺も同意見だ。
「元はといえば、お前が撒いた種でもあるだろう。今回の目的はなんだ。自分の配下をあたら犠牲にして、なにがしたい」
「黙れぇ!」
アユスルオキナの口から怒号と一緒に、雷が出た。狙ったものではないらしく、こちらに届くことはなかったが、直撃したら命が危険だ。
「貴様は黙って吾輩に殺されておればよいのだ、死ぬのは貴様だ、そうだ、他の有象無象が死に絶えようと、吾輩は死なん、吾輩は生き延びる!」
鳴杖をアユスルオキナが振り回す。広間中に、電気の柱が現れた。物凄い閃光に目が眩む。ミランダは恐怖で動けなくなっているようだ。いつ感電するかわからない。
「行くぞ!」
アユスルオキナが突っ込んでくる。鳴杖を強か打ち付けてきた。ヴェルギリで防いだが案の定、強力な電気が流れる。
「……ッ!」
ヴェルギリの触手のようなあれを地面に打ち込み、雷を逃がしていても防ぎきれない。アユスルオキナが足を上げ、俺はわき腹を蹴られてよろめいた。さらに鳴杖で突いてくる。攻撃には一々電気のおまけが付いてくる。
瘴気を溜めて、ヴェルギリを地面に突き刺した。地面が抉れて瘴気が溢れ、アユスルオキナはふらついた。ヴェルギリを持ち替えて、突きの態勢。一気に踏み込む。アユスルオキナは跳ね飛びながら反転し、俺の背を押し飛ばした。俺は無様にも転んでしまう。
「どうした、その程度かッ! 瘴気の魔王よ!」
調子づいたアユスルオキナが呵々と笑い、雷の雨を降らせる。ヴェルギリが瘴気で防いでくれてはいるが、消耗が早い。
「吾輩は第三魔界の魔王! 吾輩はアユスルオキナ! 雷霆の悪魔ぞ!」
一際激しい雷光が閃いた。アユスルオキナの鳴杖が、雷そのものとなり手に握られる。そしてアユスルオキナは振りかぶった。
轟、という雷鳴。雷の矢に貫かれ、体が内側から焼けるような感覚。頭が真っ白になる。体に力が入らなくなり、そのままうつ伏せに倒れ込む。
「フハハハ! やったぞ! 吾輩が倒したのだ、生き残ったのだ! やったぞ、やったぞ」
アユスルオキナの声が遠くに聞こえる。
「ヴェル、ギリ……」
作戦は、お前任せだ。
「まだ生きておるか? アリゲーリ。さっきの話は撤回だ。このままお前の心臓を喰らうこととする」
俺の力を奪うため、俺の臓腑を喰らわんと、アユスルオキナが近付いてくる。そうして俺に手を伸ばす。瞬間――
「ふゥぐ!?」
アユスルオキナは仰け反って、何歩も後ずさった。俺の体から、ヴェルギリの体が伸びている。もっちゃもっちゃと咀嚼するのは、アユスルオキナの手首から先。ごくんと嚥下しヴェルギリは、すぐに精気に還元し、俺に分け与えてくれた。俺はぼろぼろながらも立ち上がり、ヴェルギリを構え直した。
アユスルオキナは空になった手首から雷を放出させる。やがて電気の光が形を成して、そこに元と同じな手が出来た。
「おのれ、剣風情が」
「ピッキー!」
「吾輩を喰らったからと言って調子に乗るなよ!」
「ピキー」
「吾輩はまだ真の力を解放していない!」
「ピキ!?」
「変身をあと二回残しているのだ!」
「ピキー!?」
「驚いたか!」
「ピキキー!」
アユスルオキナとヴェルギリが睨み合い、名状しがたい緊張感が間合いに流れる。ぴりぴりと肌をつつく電気の感覚。
実際のところ、まともにぶつかり合ったところで、勝ち目は薄い。ヴェルギリはあくまで悪魔。電撃による痛手は蓄積される。これまでの戦闘での痛手も同じこと。そして俺も同様だ。なんとか隙を突き、一瞬で勝負を決めるというのが、理想的かつ現実的だが、アユスルオキナに隙がない。電気というのは強力だ。回避は極めて困難で、威力もかなり強力で、しかもあいつは常時電気を纏っていやがる。
俺は中段に構えていたヴェルギリを、脇構えにする。こうなれば、一気に仕掛けて相打ち狙いだ。こちらの有利は俺とヴェルギリ、一人に見えた二人掛かりの点にある。卑劣なぞとは言ってくれるな、人間の身で頑張っている。ヴェルギリだって、独りでする戦いはとても苦手だ。一人と一体、この組み合わせで一人前だ。
アユスルオキナが雷霆を振りかぶる。
「ッつェりあ!」
裂帛の気勢、俺は無心に、踏み込んだ。奴の懐に潜り込むのが俺の役、そこから先はヴェルギリだ。
電撃に打たれた俺はつんのめり、地面に向かい倒れ伏す。それでも距離は潰してやった。力を振り絞ったヴェルギリが、アユスルオキナに喰らいつく。
「させぬぅん!」
アユスルオキナの体に電気が纏い、ヴェルギリを襲う。万事休すだ。
アユスルオキナの背後で、時空の穴が開く。唐突だった。
月蝕のような瞳が、暗黒の空間にゆらめいていた。灰色の髪の房が見えた気がした。
ヴェルギリを払い落としたアユスルオキナが振り返る。
「シコラクス!?」
咄嗟にそう言うアユスルオキナ。だが違う。闇に佇むそいつは、生え揃った牙だらけの口を開いた。
『Abyssus abyssum invocat』
はっきり唱えてキャリバンは、武器の錨を大きく振った。




