7-5.悪魔の道程
第七魔界は岩の世界だ。ただ岩山だけが延々と続く。岩と岩が積み重なって構成されたような世界だ。
「少しばかり休憩するか」
「はい」
ミランダと共に、岩陰に座り込んだ。少々冷える。
「隆志さま」
「どうした?」
「これ見てください」
ミランダが手首を差し出してきた。ミランダの手首に嵌まった魔術の手枷の発光が、若干だが弱まっている。
「解けてきたということでしょうか」
「多分な。第六階層まで下りたら完全に解除されるだろう」
「そうですか、それまで我慢ですね……」
「ちょっとくらいなら力を使えるんじゃないか?」
「やってみます。えいっ」
ミランダの手から、真紅のビームが出て、目の前の岩の表面を削った。
「悪くないな」
「目眩ましにはなりそうです」
それから落ち着きのある沈黙が流れた。いつまでもこうしていられたら良いのにと思えた。思えた、思い、これは能動的な思いだった。積極的に世界を感じ取ろうという意志だった。今まで思うことすらできなかったなにかが、自分の中に芽生えていた。切っ掛けは先程の戦闘か。いや違う。さっきの戦闘は意志を意識する契機ではあったが、意志そのものの切っ掛けではない。種はもうずっと前から蒔かれていたのだ。
「あの、隆志さま」
「なんだ?」
「最近、その、なんだかぼーっとしておられることが多いように感じます。今も」
「ああ、すまん。考え事をしていたんだ」
「……隆志さま」
ミランダは真剣な面持ちだった。
「私では力不足でしょうが、悩みがあればお聞きします!」
それは俺にとって思ってもみない申し出で、しかしあながち的外れな申し出でもなく、要らないけどあっても良いような気がして、一瞬だけ考えた。そしてそのために、なんだか絶妙に間が抜けてしまって、俺は可笑しくなって、笑った。
「わ、私、なにかおかしなことを言ったでしょうか?」
「いや、じゃあ乗ってもらおうかな、相談」
「は、はい!」
「昔の話なんだ」
俺は自分の考えを整理するように、過去から現在へ、順序立てた。アリゲーリの歴史と、俺の今までを。
「アリゲーリは第九魔界で生まれた。兄弟や親のない悪魔だった。ただ偶然ヴェルギリが側にいた。ヴェルギリも生まれたばかりで、だから俺とヴェルギリは兄弟みたいなもんだ。俺とヴェルギリは協力して襲ってきた悪魔を倒して、それからフムヴィウスに登ったんだ」
「フムヴィウスって、あのエーリアルちゃんがいたっていう山ですか?」
「そうだ」
「どうして登ったんです?」
「さあ、今でもわからん。ただ悪魔としての本能に従っていたんだと思う。悪魔だったとき、俺は自分がなにをしているかなんて、意識したこともなかった。自分がどんな悪魔か全くわからなかった。例えばミランダ、お前は……」
「誘惑と献身の悪魔です!」
ミランダは胸を張って答えた。
「とまあ、普通は自分の特性からそういうことが分かるんだが……献身?」
「すみません、盛りました」
「まあしてないこともないんじゃないか、献身」
「えへへ」
「……ともかく、俺は自分で考えるということが出来なかった。だから自分がどういう悪魔かわからなかった」
「今はわかるんですか?」
「人間になって、考える力を得た。人間は考える力が標準装備なんだ」
「人間はすごいですね! 隆志さまはそのために人間になったんですね! あれ? でも考える力がなかったら、考える力を得ようとも……」
「そこなんだよな。今からアリゲーリがどういう経路を辿って人間になったか話すが、きっと気持ち悪いぞ。動機が見当たらないからな」
「隆志さま……」
そうして、俺はアリゲーリの歴史の、概略を話した。
アリゲーリは生まれてすぐ、フムヴィウスに登った。そしてエーリアルと戦い、敗れた。それから第八魔界へ下りた。動機はわからない。第八魔界の悪魔を出会った奴から倒して回り、魔王を倒した後、第七魔界へ。第七魔界でも同じことをした。その頃には、たくさんの魂を喰ったヴェルギリは高位悪魔にひけをとらない強さになっていた。そして第七魔界で、ベアトリという武具を手に入れたアリゲーリは、第九魔界に戻り再びエーリアルに挑んだ。行動から考えればアリゲーリはエーリアルを欲したように思える。だが実際には、エーリアルを欲したことなんて一度もなかった。それは実感としてそうなのだ。アリゲーリは呼吸をするように、それが避けえない、生物としての活動のように、エーリアルの許へ向かったのだ。そしてアリゲーリはエーリアルに勝利し、以後エーリアルの所有者となった。
それからもやることは変わらなかった。下の魔界へ下りて、戦う。それだけだった。但し気付いた時には、シコラクスやアントニウスを筆頭として、アリゲーリの軍団が出来上がっていた。アントニウスとは第六魔界で戦い、それ以後いつの間にか仲間になっていた。アントニウスは元々第二魔界の魔王だったらしいが、アリゲーリの噂を聞きつけて単身アリゲーリに挑みに来たのだという。一緒にいるとき、あいつはかなり冷静で計算高いような雰囲気だったが、わからんものだ。
そうして、アリゲーリの侵攻は第三魔界で止まった。第二魔界には既に、アントニウスではない魔王が君臨していたが、シコラクスがどんな手管を使ったのか、先行して墜してしまっていた。そして第二魔界の魔王をやると言い出した。侵攻できる魔界は第二魔界で最後だった。何故なら、第一魔界は魔界ではなかったからだ。
それを知ったのは、先遣隊として第一魔界に降りたシコラクスとその配下だった。第一魔界に降りて、帰ってきたのはシコラクスだけだった。それも、魂を半分失った状態で。それがどういうことなのかは、想像が付きにくい。ただシコラクスは、人として大事な部分を確実に失ったと言っていた。正確には、置いてきてしまったとも。それでもシコラクスだけが戻ってこれた理由は、一対のペンダントだった。シコラクスはその片割れをアリゲーリに渡していた。対という概念の片方が上の世界にあり、それが縁になったため戻ってこれたのだと、シコラクスは言った。
第一魔界は混沌の世界だった。自我が容易く掻き消える世界だった。全ての原初であり、終末だった。そこではあらゆる存在が容認され、同時に否定される。あったものがなくなり、なかったものがある。言葉で捉えるのは、いや、なにものにも捉えることのできない世界だ。そんな世界で自らの存在を保つ方法が、縁という概念だった。
それからしばらくは平穏が続いた。どのくらい平穏だったかというと、戦争らしい戦争は起こらなかったし、アリゲーリとシコラクスの結婚話まで持ち上がっていた。とはいえそれは、丁度今回の俺とキャリバンのように、勢いとその場の流れに応じただけのようなものだったが。ともかくその程度には平和だったのだ。
そして、アリゲーリは人間になることを思い立つ。動機もなにもないままに。
方法はあった。第一魔界は全ての存在が行き着く場所であると同時に、全ての存在が出立する場所だ。そして縁の概念。人間に強い縁を持って第一魔界に飛び込めば、高い確率で人間に転生できると思われた。
人間にゆかりのあるものはシコラクスが提供してくれた。あのときシコラクスはなにを思っていたのだろうか。そしてアリゲーリは第一魔界に消え、人間界で間央隆志となった。
「そういうことが、あったのですね……」
「ああ」
長い話だったが、ミランダは真摯に聞いてくれた。
「人間になって、生まれてきた意味を探す。アリゲーリはシコラクスにそう言っていた。確かに俺は人間としてこの世に生まれてから、そのために行動していた部分もある。けれどそれも段々曖昧になった。トーチャンが死んでからは、はっ、ニートだ。なにもしちゃいない」
「隆志さまは、生きる意味を探して悩んでいるのですか?」
「いや、最近は、なんとなく、自分のことがわかってきたんだ。多分、お前が俺と会ってから、なにかがあったんだと思う。まずはそれを知りたい。自分がなぜ生きているのかを知らなきゃ、いかに生きるべきかもわからない。なぜ生きているのかを知る鍵が、お前やキャリバンなんかとの間にあるように今は思う」
「私なんかが、隆志さまのお役に立てれば嬉しいです」
「お前はその自分を卑下する癖をなんとかした方が良いな」
俺とミランダは立ち上がった。
「そろそろ行くか」
「はい」
先を目指さなければならない。




