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瘴気の魔王アリゲーリ  作者: こんたくみ
5幕.悪魔が悪魔であるために
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5-2.キャリバンには出来ない


 第九魔界から第八魔界を経由して、第六魔界へ。そして第四魔界へ赴き、第二魔界へ入る。時空の穴から出た場所は空。そのまま落下し水に沈む。第二魔界は世界が水浸しだ。

 真下に万魔殿が見える。接近を察知してこちらに向かっている斥候が、黒い点になって三つ見えた。そして近付いてきた斥候が、俺を見て目を剥いた。


「お嬢!?」

「うるせえ」

「なぜ戻られたのです?」

「うるせえ」

「ま、まさか、相手を見つけてしまわれたのですか!?」

「うるせえ」

「是非にも我々にお目通りさせてください。お嬢を慕う我ら、生半可なお相手では納得できません。順に手合わせをし、見極めさせていただきます」

「うるせえ」


 斥候を無視して、万魔殿の入り口に降り立つ。大理石の宮殿だ。非常に不本意ながら、旦那の一大事だし、四の五の言えない。万魔殿の中へ進んだ。

 万魔殿の中には空気がある。水の膜を通り抜ければ、地上の宮殿となんら差がない。侍女が慌てて出てきた。体を拭く布だけ受け取って、通路を進む。


「お待ちくださいキャリバン様!」

「うるせえ」

「シコラクス様にお会いするのでしたら、せめてこの着物をお召しになってからにしてください」

「うるせえ」


 一番奥へと進み、扉を開いた。それなりの広間。天井からは水に揺れる光が差し込む、水中のような空間。数段高い位置にある玉座に座す、俺のお袋。薄紫の薄い着物の裾は、床に長く沼のように広がっている。濡れて重くなったような長い髪に、くすんだティアラが傾いて乗っている。頭が椅子の領域から半分はみ出るくらいに、肘かけに体重を預けて頬杖を突いている。古くなった卵の黄身と白身のだらしなさ。


「キャリバン、どうしたのかえ?」

「うるせえ」

「おまえ、ここに戻ってからそれしか言葉を発していないのう。可愛げのない」

「うるせえ」

「良い男は見付かったかえ?」

「うるせえ!」


 意味がないとわかっていても、つい反発してしまう。反発しているうちはまだ安心できるのだ。だが旦那を助けるためには、それじゃいけねえ。ぐっと堪えて、俺は口を開いた。


「教えてもらいてえことがあんだよ」

「ほう、おまえが妾にか。男の落とし方は教えてやらんぞ。自分で学べ」

「うるせえ、そうじゃねえ。魂の戻し方だ」

「魂の戻し方? 時と場合に寄るがな。言うてみい」

「魔剣が魂を食らって、多分まだ魂は魔剣の中にある。肉体はまだ生命活動をしている。どうだ、魂を戻せるか?」

「ふむむ、それはむつかしいな。食われた魂は大抵の場合は四散して食らった悪魔と融合する。先ずは悪魔からその魂を摘出せねばなるまいが、いやはや、面倒」

「出来ないことはないんだな?」

「おまえのような野放図には無理じゃ」

「うるせえな。誰になら出来る」

「誰にも出来ん。妾が出来なくもないが、妾はここから離れられんし? ちょーめんどうだし? やってられっかあ、てなもんじゃ」


 にやにやと、含みのある嫌な笑みを向けてくる。怒りをこらえなければならなかった。


「それは怒りでのうて、恥じらいじゃよ、は・じ・ら・い♡」


 心の内を読んだお袋が、さらにむかつく笑いを見せた。だがぶちギレるわけにもいかず、ただ黙って睨みつけた。


「ほら言うてみい、言うてみい。お母さんに言うてみい。かわゆい娘のためなら、一肌脱いでくれるかも知れないぞえ」

「うるっ――!」

「どうした?」

「……その、助けてやってくれないか。頼む」


 懇願を口にすると、胸に湧いてきたのは、濡れた情熱のような気持ちだった。屈辱や怒りに燃えるかと思ったが、そんなことはなかった。旦那を助けて欲しいという気持ちだけが、純粋に力を持った。


「無理じゃな」


 そんな気持ちも、あっさりと砕かれてしまった。


「どういうことだ」

「どうもこうも、魂の抜け殻を人間界からここまで運ぶのにどれ程の危険があることか。その間その抜け殻がもつ(・・)とも思えぬ」

「やってみなけりゃ――」

「やらん方が良いと言うておる。可能性の話ではない。手段としてな。ゆで卵を作るのに海底火山へ赴くようなものじゃ。まったくあほらしい」

「ならどうすれば……いや、待て、なんで人間界から旦那を運ばなきゃならねえって知ってんだ? おい!」

「ほほほ、旦那とな。随分とまあ慕った呼び方をするのじゃな。実の母親ですらおまえだのあんただのだというに……」

「はぐらかすなよ、お前、俺を監視してたのか!」

「しておらん、しておらん。妾が見ておったのは別の者。そこにおまえが映り込んだだけじゃ」

「なに、てこたぁ、つまり――」


 お袋が旦那の存在に気付いて、それを監視していたことはさほど驚くに値しない。けれど旦那を監視して俺を見ていたということは、つまり、あの瞬間も見られていたってことか?

 顔が酒を飲んだみたいに熱くなる。いや、でも、からかわれたり恥じ入っている場合じゃねえんだ。なんとかして旦那を助ける手段を聞き出さねえと、家来の名折れだ。


「おやおや、顔を赤らめてどうしたのじゃ? もしや、あのことを思い出しているのか?」

「う、うるせえっ! んなことはどうだっていいんだよ、旦那を助ける方法を教えろ!」

「え~いやじゃ。どうしてもと言うなら、あのことの感想を聞かせておくれ」

「か、感想っ!?」

「うむ!」


 どれほど俺をコケにすりゃ気が済むんだこの狸ババアは。


「ほらほら、聞かしておくれ」


 だけど、旦那が助かるためなら……。


「言わなきゃ教えてやらんぞぉ」


 俺が恥ずかしいくらい、なんてことない!


「そ、その、だな。は、ははは、初めてだったから、緊張してよくわかんなかった」


 俺はお袋を正視できず、うつむいて、半ば叫ぶようにそう言った。


「もちっと詳しく」

「く、くわっ!?」


 お袋はいつの間にやら身を乗り出し気味だ。目をわくわくと輝かせている。言いたくない、けど仕方ない。


「もっと生々しく、どこにどう触れてどうなったという風にぃ!」

「な、なま……。え、ええと、俺から旦那をひきょせて、そいで、だ、だだ旦那の頭を押さえてっ……」

「それで、それで?」

「く、くちっ、唇を、あ、合わせて、舌をっ! もう勘弁してくれ!」


 耐えきれず、俺はうずくまって頭を抱えた。お袋は玉座から降りて、裾を踏んずけて転んだ。「いてて……」などとぼやきながら、手と膝で体を起こす。膝を擦って俺に顔を寄せた。


「あいつはどうじゃった? お前に接吻されて、どう反応した!?」

「別に、ただ驚いてたけど……」

「なんじゃマグロか? あいつらしくもないというかなんというか、つまらんのう」

「なあ、もういいだろ。いい加減に教えてくれ」

「そうじゃのう。妾の目が及ばぬところで、おまえがどんな淫行に手を染めていたのかも知れたしのう」

「は?」

「忘れたのかえ。おまえがあいつと、ぶっちゅう(・・・・・)とやったあの場所は、エーリアル避けの結界が張ってあった。流石の妾も、あれを飛び越えて念視するなど出来ぬわ」


 もう我慢できなかった。俺は錨を取り出して、お袋に叩き付けた。水の詰まった革袋みたいな感触。軽く宙に浮き、玉座の近くに体を打ち付ける。


「ひえ~、でぃぶい(・・・・)じゃあ。家庭内暴力じゃあ。積み木崩しじゃあ」

「うるせえ! よくも散々恥をかかせくれたな、狸ババア!」

「暴言に暴力、妾はそんな非行少女に育てた覚えはないわえ」


 首と手首と足首に、鎖が巻き付いたような感覚がして、重みで床に倒れた。拘束の魔術だ。


「どこで教育を間違ったかのう。心根は純粋だというに、照れ隠しが強烈すぎていかぬわ」

「くだらねえこと言うなら黙れ! さっさと旦那を助ける方法を教えろ!」

「はいはい、そう睨むな。よいか、あいつを助けたくば、信じて待て」

「信じる? なにを」

「奇跡を。それ以外にあいつを助ける者などおらんじゃろう」


 俺への拘束が解かれた。お袋は玉座に戻った。


「ゆけよ、おまえの主の許へな」

「結局なんにもならなかったじゃねえか」

「そんな顔するでない。詫びに一つ助言をくれてやろう」

「助言?」

「もちっと女らしい言葉遣いにするのだな。落とせる男も落とせぬわ」

「くだらねえ」

「ならもう一つ。男を落とすのは獣を落とすのと同じじゃて。罠を張り、誘惑しておびき寄せる。奇跡が起こってあいつが助かったら、練習台にするが良い」

「じゃあな。もう来ねえから」


 俺はお袋の溜め息を背後に聞きながら、時空の穴を通った。




「――それにしても、あいつはなにをやっておるのやら。悪魔に戻る気にでもなったのか?」




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