5-3.レギオニステラには救えない
魔王アリゲーリは、私の理想を具現する存在であるか。物事を確かめるには一にも二にも、己が目で見て手で触れるのが一番だ。片手に提げたアリドュスクロワを握り締める。時空を飛び越えた先には人間界。瘴気が薄くて息が詰まる。周りを見る。立ち並ぶ建物は家だろう。濃い瘴気を、少し離れた場所に感じる。脚が勇んで進む。期待と高揚に、失望への恐怖が織り交ざる。
瘴気の濃くなっている家の前に着いた。ご丁寧なことに、ミラーレの結界が張ってある。報告を受けていたアリゲーリの居場所と、座標も一致する。
アリドュスクロワを引き抜く。結界を叩き切る。一枚目の結界は囮だった。魔術の罠が作動して、瘴気の槍が私に雨と降り注ぐ。大した傷にはならない。次いで、二階の窓からミランダが飛び出た。両の掌が紅い瘴気を纏っている。問答無用と言わんばかり、掌を私へ向けて、破壊の奔流を打ち降らした。
ミランダの下方へ駆ける。アリドュスクロワの力を解放する。刀身が紅く焼け、地を走る炎が盛る。ミランダに向けて切り上げた。炎が家の壁を伝い、ミランダに移った。
「ミランダ!」
窓からミラーレも飛び出す。ミランダに抱き付くと、なにか呪文を唱えた。炎がミラーレの掌の上で、小さな玉になって収束する。封印術の一種だろう。片翼の焼け爛れたミランダは、ミラーレと共に墜落した。
目の前に落ちたミランダへ向け、アリドュスクロワの切っ先を突きつける。
ミランダの顔を見て、私は気が付いた。焼けたミランダの顔には片目がない。私が最後に見たときは、確かに両目があった。
「目的は、隆志さまの命ですか」
地に這いつくばるミランダだ。屈服ではなく、雌伏する獣のような瞳だ。鬼気迫る眼光に、むしろミラーレがたじろいでいる。
「場合による」
「場合とは?」
「貴様には関係がない。アリゲーリに会わせてもらおう」
「出来ません。隆志さまを危険には曝せません」
「力づくでも会わせてもらうぞ。貴様らは無事に済まないがそれでもいいな」
「隆志さまには絶対に――」
「ミランダ、待ちなさい」
ミラーレがミランダを遮った。そして私に言う。
「どうぞ、隆志さまと会ってください」
「姉さん!」
「命を奪うなど無駄だと、レギオニステラ様ならわかってくださるでしょう」
招きが罠ではないと判断した。ミラーレのミランダを言い含めるような態度は気に掛かる。だがそれは私への害意ではなく、保身によるものだと感じた。
「アリゲーリは?」
「この家の二階の部屋です。どうぞ」
家に入り、階段を上り、部屋の扉を叩く。返事はない。瘴気の濃さからして、この部屋で間違いないと思われる。
「アリゲーリ、入ります」
不躾だとは思いつつ、扉を開けた。
部屋には褥が設けられている。眠りにつくアリゲーリは、どこか様子が変だ。違和感の正体を考え、全く呼吸が、生気がないことに気付く。
「アリゲーリ、どうされました」
反応はない。私の後ろにミラーレが立った。
「隆志さまは魂を失った状態です」
「魂を? なぜ?」
「アユスルオキナ様たちと戦うために、魔剣に魂を捧げたのです」
「死んでいるのか」
「肉体はまだ、魔剣によって維持されています。しかし魂の抜けた状態が続けば、いずれは朽ちるでしょう」
「手立ては」
「その……」
ミラーレはミランダを見た。ミランダは体力を消耗しているらしい。壁に身を預けて目を瞑っていた。心配するミラーレの眼差しは、事実をミランダの前で告げたくないという意思を含んでいた。
「そうか、わかった。キャリバンは何処にいる」
「え、キャリバン様ですか? 何処かへ行ってしまわれました」
「ならば問題ない。奴の親は、かの大魔女だからな。助けを借りに行ったのであろう。私は奴が戻るまで待たせてもらう」
私はアリゲーリの傍らに座り込んだ。ミランダがミラーレを押し退ける。部屋に入るなり、私とアリゲーリの間に膝を付いた。
「なんだ」
「こちらの台詞です。なんのつもりなのです。なんのために来たのです」
「アリゲーリと、アユスルオキナ様に叛いた者共への制裁のため」
ミランダの瞳が紅くなる。アリドュスクロワを抜き打つ。鎖骨から肋骨まで刃が入った。血が部屋中に飛び散る。
ミラーレの悲鳴が響く。ミランダはアリゲーリの上に仰向けになって倒れた。アリゲーリの体から、ヴェルギリの触手が伸びて血を啜る。
「アリゲーリの肉体を維持するための糧になれ」
アリドュスクロワを血振りする。ミラーレに飛沫が付いた。
「失敬」
ミラーレは愕然として、その場にへたり込んでしまう。ミランダは力なく呟いた。
「隆志さまに、手は、出させません……」
気張るにも気張れない有り様で、どうして強がれるのだろうか。ミランダにここまでさせるのは、やはりアリゲーリの徳だろうか。興味が湧いた。
「なぜアリゲーリを守る? お前にとってアリゲーリとはなんだ」
ミランダは黙した。静謐な時が部屋に流れる。長さのわからぬ時間が過ぎた。ミランダは呟くように言った。
「隆志さまは、隆志さまです。隆志さまを守ることが、私の存在意義に繋がるんです」
「曖昧だな。もっと他にないのか。例えば、アリゲーリはお前にとって守護者であるなど」
「守護者……」
そう呟いたのはミラーレだった。ミランダは弱々しく、唇を引いた。精一杯の自嘲に見える。
「その通りですね。隆志さまは、いつも私たちを、守ってくれます」
ミランダの言葉が、決定的な宣告となり私の耳に入る。先ほどの興奮は達成感に成り代わった。
やはり、私の見立てに狂いはなかったのだ。アリゲーリは守護者だ。私の理想だ。
兜を脱いだ。
「なにを、する、つもりです」
「傷に障るぞ。お前はもう喋るな」
アリゲーリの手を取り、手の甲に口付けする。簡易な契約だ。私はアリゲーリに忠誠を誓う。
ミランダが傷にも関わらず起き上がろうとした。
「成程な。見上げた忠誠心だ。私は信用できないか」
「と、当然でっ、う、ゲホッ、エ゛ホッ」
ミランダが血を吐いた。魔剣による傷は治りが悪いらしい。ミランダの治癒が促進されるよう、幾許かの瘴気をミランダに注いだ。
「アリゲーリが目覚めたとき、貴様がその有り様では悪印象だろうからな」
「なにを、馬鹿なっ」
「私をどうするかは、アリゲーリの判断を待たせてくれ。じきにキャリバンも戻ってくるだろう」
噂をすればだ。時空が歪み、キャリバンが現れ出でた。
「なんでテメエがここにいる」
キャリバンは獰猛で凶悪な表情を浮かべた。武器の錨を手に持った。私はそれを手で制す。
「今は貴様たちの味方だ」
「あぁん?」
「いや、貴様たちの味方ではない。アリゲーリの従僕だ」
「なんのつもりだ!」
「貴様と似たようなものだ。アリゲーリに心酔したまでのこと」
キャリバンはミラーレに視線を向けた。私を指差す。
「信用できんのか?」
暗い声音で言った。
「私には、わかりません」
ミラーレはうなだれた。キャリバンは怪訝な目をする。仰向けのミランダを見て、それから部屋を見回した。錨を振り上げる。
「やっぱ信用できねえ」
振り下ろされた錨。アリドュスクロワを抜き放つ。刃が錨の衝撃を受け止める。衝撃と火が部屋に舞った。錨の勢いが完全に死んだところで、横へ払う。キャリバンに追撃の意思はなかった。
「ここでは暴れられんよな」
キャリバンは舌打ちをした。その場にあぐらをかく。キャリバンは私を睨んでいる。私の方も面白くない。
「言っておくが、罪もない悪魔を殺戮した貴様に対して、私は怒っているからな」
「罪もないだと? ざけんなよ、旦那を罠に嵌めただろうが」
「大半の悪魔は無関係だった」
「うるせえ、そんなの俺には関係ねえ」
キャリバンには、なにを言っても無駄だと改めてわかった。
「仕様がない。今はそれより、アリゲーリのことだ。大魔女の許へ行っていたのだろう」
「だからなんだよ」
「とぼけるな。なんらかの手立てを用意してきたはずだ。早くアリゲーリの魂を戻せ」
「無理だ」
「なんだと?」
「奇跡を信じて待てだとよ」
「ふざけるな。貴様、本当に大魔女の許へ行ったのだろうな。あの大魔女シコラクスだぞ。古来より第二魔界を統べる女王だぞ」
「うるせえよ、黙れ」
キャリバンの面持ちは暗鬱だった。それが意味するところは一つしかない。
理想は死ぬのか? 挫折はすべての終わりではない。捕えた魚を逃がしたら、その大きさを惜しむのと同じか。しかし手の内にないものを正確に量ることなどできはしない。もしなにか完全なものを手にしたとしても、それを取り零せば元々なかったのと同じだ。いや、夢見た分だけ、悲痛は残るか。つまりは諦めきれないのだ。諦められない。
「手立てを、探すぞ」
「ばぁか。あの大魔女シコラクスだぜ。古来より第二魔界を統べる女王だぜ。その魔女女王が言ったんだよ。無理だってな」
「うるさい、黙れ」
私の体に力が籠もった。目の前の憎たらしい女を斬ってやりたい。黙れ、私の理想を否定するな。
ミランダが動いた。腕を自分の目に置いた。
「そろそろ、隆志さまのお母さまが帰宅する頃です。皆、この家を離れてください。瘴気が濃すぎます。隆志さまのお母さまは普通の人間です。この瘴気の濃さに耐えられません」
「貴方はどうするの」
「護衛は必要です。今は間違いなく私の瘴気が弱いので、私が家に残ります」
「護衛が務まるのかよ」
「命に替えても隆志さまは守ります」
誰もが沈黙した。キャリバンが時空の穴を通ってどこかへ消えた。私はミラーレを見た。不安な眼差しは私に向いている。窓から部屋を出る。
あてどなく彷徨った。どこか見晴らしの良い場所へ行きたかった。街を見下ろせる小高い山に着いた。そういえば初めて見る人間界の太陽は、既に半分以上も沈んでいた。
私はなんのためにここに来たのだ。この場所に、人間界に、なにを追ってきたのだ。理想を追うのは愚かなのか。運命というものがあるのなら、私を導きはしないのか。この不条理に対する感情を、怒りと呼ぶなら、私は怒った。
運命への怒りは、咆哮となる。咆哮は、夕陽に融けてなくなった。




