5-1.ミラーレは知らない
最も賢い身の振り方は、強い庇護を与えてくれる者に従うことだ。そして、自身より格上の相手には決して手を出さぬこと。私と私の妹を守るため、今までそうしてきた。
私を動かしたものは、一時の感情に過ぎなかったかも知れない。ミランダはミランダの行いによって罰を受けていただけだ。黙ってそれを受け入れていれば良かったのに。
庇護をかなぐり捨てた私たちは、これからどうやって生きていけば良いのだろう。どうすれば妹を守れるのだろう。
家屋の外に、結界の印を描き終える。この印を直線で結べば、家を囲んだ五芒星の形になる。この結界は、許可しない悪魔の侵入を妨げる働きがある。高位悪魔にはほとんど効果がないだろうけど、下位や中位の悪魔には十分だろう。
高位悪魔が三体に、伝説の魔剣が二振り、この家の中の瘴気は、人間界とは思えないほど濃くなっていた。下位悪魔くらいなら自然発生しても不思議はない。
私は家に戻って、階段を上った。都合良く、家にいるのは私たちだけ。人間に近付かれてはたまらない。きっと瘴気で体を壊す。
「隆志さま、隆志さま!」
部屋の方から、ミランダの声が聞こえてきた。目が覚めて良かった、と思うのも辛くなってくる。可哀想なミランダ。
部屋の扉を開けると、ミランダが隆志さまの体を揺すっていた。キャリバン様は気怠そうな目を私に向ける。
「済んだか?」
「はい」
キャリバン様は立ち上がった。
「どちらへ?」
返答はなく、キャリバン様は時空の穴へ姿を消した。
ミランダを見る。
「隆志さま、嘘です、目を開けてください! だって、こんなの嘘じゃないですか! なんで、だって、隆志さまは、なにも悪いことしてないのに、変ですよ! 起きてください!」
絶叫したミランダが、頭を掻きむしる。瘴気が出鱈目に噴出する。ミランダの翼が姿を出す。横たわる隆志さまに必死で縋り付いて、泣き叫ぶのを止めない。
私はミランダの手を引いた。力任せに振り解かれる。
「ミランダ、落ち着きなさい」
「たっ、隆志さま! 隆志さま!」
「ミランダ」
「いや! 離して、お願い、隆志さまが――!」
無理くりミランダを引き剥がした。その拍子にお尻から倒れ込んでしまう。すぐにミランダは私から離れて、また縋り付こうとする。
「大丈夫だから、平気だから、落ち着きなさい、ミランダ」
努めて、平静な口調で言った。ミランダは隆志さまの遺骸にしがみ付いたままだったけれど、ようやく喚くのを止めた。
ミランダが私を見る。心が乱れるあまりに、戦闘時にしか変化しないはずの瞳が、紅く染まっている。流れ落ちる涙はとめどない。
「隆志さまの胸に目があったのは、見た?」
ミランダが頷く。
「あれは隆志さまの魔剣。ヴェルギリというそうよ。その魔剣が隆志さまの魂と心臓を食らったの」
言い終えるや否や、ミランダの表情に暗い怒気が差した。無表情に見えるのに、瞳だけが虚ろに光っている。向こう見ずに、どんな相手でも殺しに掛かりそう。それか自分で自身を亡ぼすか。私は内心で焦りながらも、早口に続けた。
「今はそのヴェルギリが、隆志さまの心臓の代わりをしている」
「どういうこと?」
「魔剣にとっても、隆志さまの魂を食らうのは本意でなかったのでしょう。失くしてしまった心臓の代わりに、隆志さまの体と同化した魔剣が、隆志さまの血液を循環させている」
「わかんないよ、最初から説明してよ、そもそもどうしてこんなことになってるの!?」
「私たちを守るために、隆志さまが魔剣に魂と心臓を食らわせたの。そしてアユスルオキナ様たちを退けた。その代償が現状よ」
「私たちを、守る……?」
ミランダが隆志さまを見た。自身の不甲斐なさに歯噛みしている。髪が掻き乱れる。
「あああ!」
ミランダの手に短剣が握られた。それはどこから取り出したのか、瘴気の膜に覆われて、突然に出現した。
ミランダの肩から、血が吹き出た。幾度も自身に刃を突き立てる。慌てて取り押さえるけど、我を失って尋常の力じゃない。ひときわ高く振り上げられた短剣が、ミランダの片目を潰した。
私はようやくミランダから短剣を取り上げた。ミランダは、疲れた人がベッドへ横たえるように、隆志さまの遺骸に体を重ねた。
「ミランダ」
呼び掛けには応えない。代わりに、か細い声が聞こえた。おまじないのような声だ。
「魔剣さん。お願いします。隆志さまを生かしてください」
隆志さまの遺骸に憑りついていた魔剣の、触手のようななにか伸びる。ミランダの抉れた肩口を舐め、触手が潰れた目に向かう。血涙に濡れた睫毛にそれが触れて、やっと私は気が付いた。それまでまるで金縛りにあっていたように硬直していた体が、弾かれるみたいに動いた。でも、間に合わなかった。
魔剣の触手が、ミランダの眼球を抉り出した。取り戻す間もなく取り込まれる。ミランダは小さな呻きを漏らしたきりだった。
「なんてことを……」
「私なんて、どうなってもいいから」
「馬鹿なこと言わないで! 私はどうなってもいいなんて思わない。隆志さまよりもミランダの方が大事。隆志さまに協力したのも、貴方のことが心配だったから。それなのに貴方がそんな無茶をしたら、元も子もないじゃない」
「それだよ、姉さん」
隆志さまを見たまま、ミランダは微笑んだ。
「姉さんが私を思うみたいに隆志さまが大切。姉妹だから、大切にする仕方も似るんだね。隆志さまが死んだら、私の存在が元も子もない」
「どうしてそこまで思えるの。そんなに立派な人かしら? 重ねた年月なんて知れてるじゃない。そうまで縋り付く理由も感情もあり得ない。ね、こっちに来て、ミランダ?」
「理屈じゃないんだ。感情だけの問題でもない。私が、私としてここにいるために、もう二度とこの人を裏切れない」
罰も、贖いも必要。そう言ってミランダは目を閉じた。




