第3話 食いしん坊の代償
「お客さん、そいつを止めてくれ!」
怒鳴り声に振り返ったときには、もう遅かった。
ガルドが屋台の串焼きを一本、丸ごと口にくわえていた。
「ガルド! それ売り物!」
慌てて駆け寄る俺の目の前で、骨付き肉がするりと口の中へ消えていく。ガルドは満足そうに舌で口元を舐めると、何事もなかったように俺を見上げた。
いや、そんな可愛い顔をされても困る。
「一本三百ルーンだ。まさか、払えないなんて言わないだろうな?」
屋台の主人は腕を組み、焼き網の前に立ちはだかっている。太い眉がつり上がっていたが、怒鳴り散らすほどではなかった。
「すみません! 俺がちゃんと見ていなかったせいです」
財布から三百ルーンを取り出して渡すと、主人は硬貨を確かめ、ようやく腕を解いた。
「竜の子供か。見た目は可愛いが、食い意地は一人前だな」
「本当にすみません。今後は気をつけます」
「まあ、金を払ってくれりゃ文句はねえよ。ただ、次は焼き網に顔を突っ込ませるな。火傷でもされたら、こっちも寝覚めが悪い」
その言葉に、俺はガルドの鼻先を確かめた。幸い火傷はなさそうだが、考えてみれば熱い串焼きをいきなり食べたのだ。口の中を傷つけていないかも気になる。
「ガルド、口を見せてくれ」
しゃがんで頼むと、ガルドは口を開けた。
ところが、見えたのは小さく鋭い歯と、もう何も残っていない舌だけだった。
「食べるの早すぎだろ……」
「ははっ! そいつ、なかなか大物になるかもしれねえな」
主人は笑っていたが、俺は笑えなかった。
今日、家を追い出されたときに持っていた金は五千ルーン。それだけで自分の生活を何とかしなければならないのに、ガルドの食事代まで必要になった。
しかも、今の三百ルーンは予定外の出費だ。
俺は主人にもう一度謝り、ガルドを連れて屋台を離れた。
通りの端まで来たところで足を止める。
「ガルド。ちょっとこっちに来て」
ガルドは素直に近づいてきた。俺がしゃがむと、さっそく手の匂いを嗅ぎ始める。
「いや、何も持ってないから。そうじゃなくて、さっきのことなんだけど」
屋台を指さそうとして、思い直した。また肉を見せたら、話がややこしくなる。
「お店の食べ物は、勝手に食べちゃ駄目なんだ。分かるか?」
ガルドは俺の顔をじっと見ている。
「お腹が空いたら教えてくれればいい。でも、ほかの人のものを勝手に取るのは駄目。俺たちが困るだけじゃなくて、店の人も困るんだから」
どこまで伝わったのかは分からない。ただ、いつもより低い声で話しているせいか、ガルドは食べ物を探すのをやめ、俺の前に座った。
叱るだけなら簡単だ。
けれど、この子はまだ幼い。人間の町で暮らした経験だって、どれほどあるのか分からない。
俺が教えなければ、同じことを繰り返すだろう。
「それと、骨まで食べて大丈夫なのかも調べないとな。お前、何でも食べようとしそうだし」
ガルドの腹が、ぐうっと鳴った。
「嘘だろ。今、一本食べたばかりだぞ?」
尻尾が元気よく揺れた。
これは先が思いやられる。
*
協会で紹介してもらった宿に着いた頃には、すっかり暗くなっていた。
ガルドを受け入れてくれる宿は思った以上に少なかったが、ようやく借りられた部屋には、古い寝台と小さな机が一つずつ置かれていた。
窓枠から冷たい風が入ってくるものの、外で眠るよりはずっといい。
ガルドのために床へ毛布を敷くと、さっそく匂いを嗅ぎ始めた。前脚で端を引っかき、気に入らないのか少し場所を変える。
「そこなら翼が当たらないかな」
左翼を下にしないよう気をつけてやると、ガルドはようやく身体を丸めた。
ところが、俺が机に向かった途端、毛布から抜け出してついてきた。
「どうした? 寝ないのか?」
ガルドは俺の足元に座り、机の上を見上げた。
そこには、宿へ来る途中で用意した食事と、母さんの育成日誌が置いてある。
視線は明らかに食事の方へ向いていた。
「お前、本当に食べ物のことばっかりだな」
俺は苦笑しながら、ガルド用に確認して用意した飼料を器へ移した。
怪我をしている以上、食べさせる量や種類には注意が必要だ。屋台の串焼きのように、欲しがるものを何でも与えるわけにはいかない。
ガルドは器を置く前から鼻先を伸ばしてきた。
「待て待て。ちゃんと置くから!」
器が床に着くと同時に食べ始める。あまりに勢いがいいので途中で少し心配になったが、今度はむせたり痛がったりする様子はなかった。
俺もようやく自分の食事に手をつけた。
一口食べたところで、ガルドが顔を上げる。
もう器は空っぽだった。
「早いな!」
ガルドは俺の食事へ視線を移した。
「これは俺の分。お前の食事はもう終わりだよ」
そう言って器を見せると、ガルドは中を丁寧に舐め始めた。
そんなに気に入ったのか。
俺は育成日誌を開き、食事に関するページを探した。
幼い竜種は成長期のため、十分な栄養が必要になる。ただし、身体の大きさや健康状態に合わせた調整が欠かせない。
余白には、母さんの丸い文字で注意書きが残っていた。
『欲しがるだけ与えるのは優しさじゃないのよ。食べるのが好きな子ほど、身体のことを考えてあげてね』
「母さん、まるでガルドを知ってたみたいだな」
日誌を閉じると、ガルドはいつの間にか俺の足元で眠り始めていた。
食べて、歩いて、また食べて。
何とも忙しい一日だったらしい。
俺は寝台に腰を下ろし、財布と紙を取り出した。
宿代、食費、飼料代。これから必要になる医療費や生活用品も考えなければならない。
思いつくものを書き出していくと、あっという間に紙が埋まった。
それなのに、収入の欄だけは真っ白だ。
「仕事、探さないとな」
協会の女性職員が、無資格でも応募できる仕事があると言っていた。
学校の試験には失敗したが、読み書きや計算は得意な方だった。特に物資管理の授業では、教師から何度か褒められたこともある。
その知識が役に立つなら、今は何でもやってみたい。
「明日、協会へ行ってみるか」
足元を見ると、ガルドはすっかり眠っていた。
その寝顔を眺めながら、俺は机の上の紙をもう一度見た。
必要な金額は、考えれば考えるほど増えていく。
けれど、ガルドの食事を減らして解決するつもりはなかった。
まずは自分が働く。
それが、今の俺にできる一番確かなことだった。
*
翌朝、育成士協会の掲示板の前で、俺は早くも頭を抱えていた。
「資格が必要。こっちも資格が必要。これも駄目か……」
募集票はたくさんある。
魔物の輸送、飼育施設の管理、競技用魔物の訓練補助。どれも興味のある仕事だったが、応募条件を見ると、育成士資格や専門講習の受講歴が必要だった。
無資格の十四歳にできる仕事は、思った以上に限られている。
「何かお探しですか?」
振り返ると、昨日世話になった女性職員が立っていた。
「おはようございます。仕事を探してるんですけど、なかなか条件が合わなくて」
「そうでしょうね。魔物を扱う仕事は、安全上の制限が多いですから」
女性は掲示板を見渡し、一枚の募集票を指さした。
「こちらはどうですか?」
《倉庫内の荷物整理・数量確認・帳簿照合》
「これなら、資格は必要ないんですか?」
「ええ。ただし、採用するかどうかは仕事先の判断になります。読み書きと計算はできますか?」
「それなら得意です!」
「では、応募してみる価値はありますね」
俺は募集票を手に取った。
これなら、学校で習ったことを活かせるかもしれない。
問題はガルドだった。
仕事中、倉庫へ連れていくわけにはいかない。重い荷物が行き交う場所では危険だし、左翼に怪我を抱えているガルドに無理をさせたくなかった。
「すみません。仕事の間、ガルドを休ませてもらえる場所ってありますか?」
女性は足元のガルドを見た。
「協会の休養スペースが使えるか確認しましょう。ただし、利用条件がありますし、医療担当者の指示も守ってくださいね」
「ありがとうございます!」
手続きを済ませ、ガルドを休養スペースへ案内してもらった。
柔らかい敷物と水が用意されていて、職員が様子を見てくれることになった。
「ガルド、仕事が終わったら迎えに来るからな」
しゃがんで声をかけると、ガルドは俺の袖を鼻先で押した。
「ちゃんと戻ってくるよ。だから、ここで休んでてくれ」
立ち上がると、ガルドもついてこようとした。
だが、傷ついた翼をかばって動きを止める。
その姿を見ると、少しだけ足が重くなった。
昨日出会ったばかりなのに、もう離れるのが心配になっている。
「すぐに戻りますから、安心してください」
女性職員が声をかけてくれた。
俺はもう一度ガルドの頭を撫で、協会を出た。
*
紹介された倉庫は、商業区の外れにあった。
大きな建物の前には荷車が並び、作業員たちが木箱や麻袋を忙しく運んでいる。
受付で募集票を見せると、奥から肩幅の広い男が出てきた。
「お前が応募してきた子か?」
「はい。レオン・アシュベルです!」
「十四歳か。倉庫仕事は初めてだろう?」
「初めてです。でも、読み書きと計算ならできます」
男は俺を上から下まで眺めた。
「力仕事は期待できそうにないな」
「すみません……」
「謝ることじゃねえよ。得意なことがあるなら、そっちで働いてもらえばいい」
男はそう言うと、俺を倉庫の奥へ案内した。
そこには木箱が何十個も積み上げられていた。
「まずはこれを確認してくれ」
渡されたのは、分厚い帳簿だった。
箱の番号、品名、数量、保管場所。細かな文字と数字がびっしり並んでいる。
「ここにある荷物が帳簿と合っているか調べるんだ。間違いがあったら報告してくれ。勝手に記録を書き換えるなよ」
「分かりました」
最初は簡単な仕事だと思った。
箱の番号を読み、数を確かめ、帳簿と照らし合わせる。それだけなら学校でも何度も練習している。
ところが、しばらく作業を進めるうちに、おかしな記録を見つけた。
「これ、同じ番号が二つあるぞ?」
帳簿には同じ番号の木箱が二つ記載されている。
けれど、実際に置かれている箱は一つだけだった。
別の棚を確認すると、今度は帳簿に載っていない箱が見つかった。
俺は荷札を見比べ、番号と品名を書き出した。
「おい、坊主。どうだ?」
責任者が戻ってきた。
「いくつか確認してほしいところがあります」
「もう間違いを見つけたのか?」
「はい。この番号が二重に記載されています。それと、こちらの箱は帳簿にありません」
男は俺のメモを受け取り、実際の箱を確かめた。
「……本当だな」
「荷札の書き間違いかもしれません。中身を確認しないと断定できないですけど」
責任者はしばらく俺を見ていたが、やがて笑った。
「お前、なかなかやるじゃねえか」
「え?」
「昨日も荷物の数が合わなくて困ってたんだ。まさか、初日のお前が見つけるとはな」
男は近くの作業員を呼び、箱の確認を頼んだ。
「よし。今日は荷物を運ぶより、帳簿の方を手伝ってくれ。間違いを見つけたら、その都度知らせろ」
「はい!」
初めて仕事を任せてもらえた。
俺は帳簿を抱え直し、次の棚へ向かった。
午後になると、作業はさらに忙しくなった。
入庫したばかりの荷物と、これから出荷する荷物が混ざらないよう、番号と数量を確認していく。
途中で何度か間違えそうになったが、そのたびに責任者へ確認した。
分からないことを勝手に判断しない。
学校では当たり前のように教わったことだったが、実際の仕事では、その大切さがよく分かった。
一つ数字を間違えれば、誰かが必要な荷物を受け取れなくなるかもしれない。
だからこそ、慎重に確認する必要がある。
気づけば、窓の外は夕暮れに変わっていた。
*
「今日はここまでだ」
責任者の声に、俺はようやく帳簿を閉じた。
一日中立ったりしゃがんだりしていたせいで、足が重い。細かな数字を見続けた目も疲れていた。
それでも、嫌な気分ではなかった。
「初日にしちゃ、よく働いたな」
責任者は俺がまとめた帳簿をめくりながら、そう言った。
「ありがとうございます!」
「礼を言うのはまだ早いぞ。明日も人手が足りねえんだ。来られるか?」
「はい! ぜひお願いします!」
勢いよく返事をすると、男は大きな声で笑った。
「元気だけは一人前だな。だが、仕事は元気だけじゃ務まらねえ。今日みたいに、分からないことがあったら必ず聞けよ」
「分かりました」
「それと、帳簿の確認が得意だからって、ずっと座っていられると思うなよ。倉庫じゃ、荷物の数を確かめるだけでも結構歩くんだからな」
「それは今日、嫌というほど分かりました」
俺が足をさすると、責任者はまた笑った。
「よし。じゃあ、今日は帰って休め」
差し出されたのは、今日の仕事の報酬だった。
俺は両手で受け取り、何度も頭を下げた。
硬貨が手のひらに触れる。
自分で働いて得た金だ。
アシュベル家にいた頃は、食事が用意されるのも、寝る場所があるのも当たり前だった。必要な教本だって、頼めば家の者が手配してくれた。
それがどれほど恵まれたことだったのか、今になって分かる。
今日の報酬だけで生活が安定するわけじゃない。ガルドの飼料を買い、宿代を払い、治療費も考えれば、まだまだ足りない。
それでも、何もできないと思っていた自分にも、誰かの役に立てることがあった。
「明日もよろしくお願いします!」
「ああ。遅刻するなよ!」
倉庫を出ると、冬の冷たい空気が汗ばんだ額に触れた。
身体はくたくただったが、足取りは朝より軽かった。
早くガルドに会いたい。
俺は受け取った報酬を鞄の内側へしまい、協会へ向かった。
*
休養スペースの扉を開けると、ガルドは敷物の上で丸くなっていた。
眠っているのかと思ったが、俺の足音に気づいたらしい。琥珀色の瞳がこちらを向き、尻尾が毛布を叩いた。
「ガルド、ただいま!」
声をかけた途端、ガルドが勢いよく立ち上がろうとした。
「待った! 翼!」
俺が駆け寄ると、ガルドは途中で動きを止めた。
左翼をかばいながら姿勢を整え、それでも俺の方へ首を伸ばしてくる。
「だから、急がなくていいって」
しゃがんで手を差し出すと、ガルドは鼻先を俺の胸元へ押しつけた。
思っていたより勢いが強く、俺は尻餅をつきそうになった。
「おっと! お前、そんなに力があったのか」
ガルドは俺の服をしきりに嗅いでいる。
倉庫の木箱や麻袋の匂いがついているのだろうか。袖口から鞄へ、鞄から靴へと、忙しそうに鼻先を動かしていた。
「何だよ。そんなに気になるか?」
すると、ガルドは鞄の口に鼻先を突っ込もうとした。
「こら! そこには何も食べ物入ってないぞ!」
慌てて鞄を持ち上げる。
ガルドは残念そうに俺を見上げた。
「……もしかして、俺が帰ってきたのが嬉しかったんじゃなくて、お土産を期待してたのか?」
もちろん、答えは返ってこない。
ただ、ガルドの尻尾はまだ元気よく動いていた。
「どっちでもいいけどさ」
俺はその頭を撫でた。
「ちゃんと帰ってきたぞ」
ガルドは目を細め、今度は俺の膝に顎を乗せた。
そこへ女性職員がやってきた。
「お帰りなさい、レオンさん。お仕事はどうでした?」
「明日も来てほしいって言われました!」
「それはよかったですね」
「帳簿の確認を任せてもらえたんです。学校で習ったことが役に立ちました」
俺が話すと、女性は嬉しそうに頷いた。
「ガルドも今日は落ち着いて過ごしていましたよ。途中で何度か入口を気にしていましたけど、休養は取れています」
「そうだったんですね」
俺は足元のガルドを見た。
俺がいない間、何を考えていたのだろう。
寂しかったのかもしれないし、知らない場所が気になっただけかもしれない。
《共鳴》があっても、そんな細かな気持ちまでは分からない。
けれど、今こうして自分から近づいてきてくれる。
それだけで、十分嬉しかった。
「ありがとうございました。明日も利用できるか、確認してもらえますか?」
「もちろん、利用条件と体調を確認してからになりますが、相談してください」
「はい!」
俺はガルドの敷物を整え、忘れ物がないか確かめた。
「さあ、帰ろうか」
ガルドはすぐに立ち上がろうとしたが、俺が手を添えると、今度はゆっくり身体を起こした。
「そうそう。その調子」
翼に負担をかけないよう歩き始める。
協会の外へ出ると、夕焼けが町の屋根を赤く染めていた。
*
宿へ戻る途中、ガルドが突然足を止めた。
また食べ物の匂いでも見つけたのかと思い、俺は周囲を見回した。
だが、近くに屋台はない。
ガルドが見つめていたのは、通りを進む一台の荷車だった。
荷台には飼料の袋と木材が積まれ、車輪が石畳をがたがたと鳴らしている。
「どうした、ガルド?」
ガルドは答えず、荷車を目で追っていた。
俺も隣にしゃがみ、その様子を見守る。
車輪が段差を越えるたび、地面から小さな振動が伝わってきた。ガルドは前脚を地面につけたまま、荷車が遠ざかるまで動かなかった。
何が気になったのかは分からない。
音だろうか。それとも、荷台の飼料の匂いだろうか。
「飼料が欲しかったのか?」
試しに尋ねると、ガルドは俺を見上げた。
その顔を見ても、答えは分からなかった。
「まあ、何でもいいか。そろそろ帰ろう」
俺が歩き出すと、ガルドも隣へ並んだ。
通りには、夕食の支度をする家々から温かな匂いが漂っている。
窓の向こうでは、家族らしい人たちが食卓を囲んでいた。
俺はその光景を横目に、少し考えた。
今の宿は、何とかガルドと一緒に泊まれる場所だ。
けれど、いつまでも宿暮らしを続けるわけにはいかない。
ガルドはまだ幼い。これから成長すれば身体も大きくなるだろうし、今の狭い部屋では十分に動くこともできなくなる。
何より、傷ついた翼を気にせず休める場所が欲しかった。
「なあ、ガルド」
俺は歩きながら声をかけた。
「俺たち、そろそろちゃんとした住む場所を探した方がいいかもしれないな」
ガルドは俺の方を向いた。
「今の宿も悪くないけど、ずっと暮らすには狭いだろ? お前が大きくなったら、寝る場所だって足りなくなるかもしれないし」
ガルドは首を傾け、俺の足元へ寄ってきた。
「できれば、広い場所がいいよな。日当たりがよくて、ゆっくり休めて……ああ、でも、そんな場所は家賃が高いか」
考え始めると、問題はいくらでも出てくる。
住む場所を借りるには金がいる。
食費も必要だ。
治療費だって、これからどれだけかかるか分からない。
俺は鞄の中にある今日の報酬を思い出した。
一日働いただけで、すべてが解決するわけではない。
それでも、今日できたことがある。
だったら、明日も何かできるはずだ。
「明日、協会で聞いてみようかな。魔物と一緒に暮らせる場所がないか」
ガルドは短く声を上げた。
「お前も気になるか?」
返事の代わりに、ガルドは俺の手へ鼻先を寄せてきた。
俺は笑いながら、その頭を撫でた。
「よし。仕事が終わったら、相談してみよう」
*
宿の近くまで戻ったところで、ガルドのお腹が鳴った。
ぐうううっ。
俺は足を止めた。
「またか?」
ガルドは平然としている。
「お前、朝もちゃんと食べただろ。協会でも食事を用意してもらったはずだぞ?」
ガルドは俺を見上げた。
そして、近くの食堂から漂ってきた料理の匂いに、すかさず顔を向けた。
「いや、そっちは駄目!」
慌てて進路を変える。
ガルドは名残惜しそうに食堂を見ていたが、今度は勝手に近づこうとはしなかった。
「お、今日は我慢できたな」
俺が褒めると、ガルドは尻尾を揺らした。
そのまま俺の鞄へ鼻先を近づける。
「だから、そこにはおやつは入ってないって!」
ガルドは諦めず、鞄の周りを一周した。
どうやら、今日の仕事で俺が食べ物を持ち帰ったと思っているらしい。
「残念だったな。今日はお金を稼いできただけだ」
そう言って鞄を軽く叩くと、ガルドは不思議そうに見上げた。
「これがあれば、お前のご飯も買えるんだぞ。大事なものなんだからな」
もちろん、硬貨と食事の関係をすぐに理解できるとは思わない。
それでも、いつか分かってくれたら面白いだろう。
俺はガルドの歩幅に合わせ、宿の入口へ向かった。
今朝までは、仕事が見つかるかどうかさえ分からなかった。
けれど今日は、初めて自分の力で金を稼いだ。
そして明日も、働ける場所がある。
それだけで、昨日より少し先のことを考えられるようになった。
「ガルド。明日も頑張ろうな」
ガルドは俺の手に鼻先を押しつけた。
そのまま、もう一度腹を鳴らす。
「分かったって。宿に戻ったら、ちゃんとご飯にしよう。ただし、勝手に人のものを食べるのは禁止だからな」
ガルドは嬉しそうに歩き始めた。
どうやら、最後の「ご飯」だけはしっかり聞こえたらしい。
俺はその後ろ姿を見ながら、つい笑ってしまった。
飛べない幼竜と、無資格の育成士志望。
まだ住む場所さえ定まっていない俺たちだけれど、今日、ようやく生活の第一歩を踏み出せた気がする。
明日は、ガルドが安心して暮らせる場所を探そう。
そう決めて宿の扉を開けると、ガルドは俺より先に中へ入ろうとした。
「おい、待て! まだ足を拭いてないだろ!」
ガルドは入口で立ち止まり、振り返った。
その顔には、どうして止められたのか分からないと書いてあるようだった。
俺はしゃがんで、泥のついた前脚を一本ずつ拭いてやった。
最後の一本を拭き終えると、ガルドは待ちきれない様子で部屋の方へ進んでいく。
「本当に、食べることしか考えてないんだから」
そう呟きながらも、俺は少し嬉しかった。
今の俺には、帰る家がない。
それでも、今日から働く場所ができた。
そして、帰りを待っていてくれる小さな仲間もいる。
いつか必ず、ガルドが安心して暮らせる場所を見つけよう。
俺はそう決めて、食事を待ちわびる幼竜のあとを追った。




