↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
捨てられた魔物たちの王国 ~無能と追放された少年、飛べない幼竜に選ばれて最強の育成士を目指す~  作者: ☆☆アダム☆☆


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/10

第2話 魔物が選んだ育成士

処分番号七十二


今日の日没に命を終えるはずだった幼竜は、今も俺の右手に小さな前脚を重ねていた。


窓の向こうでは冬の夕日が傾き、処分場の石床に長い影を落としている。管理人が協会へ連絡してから、どれほど時間が経っただろう。手の甲に浮かんだ紋様はすでに強い輝きを失っていたが、幼竜の前脚には同じ形の光が残っていた。


「……疲れただろ。もう休んでいいんだぞ」


声をかけても、幼竜はなかなか前脚を離そうとしなかった。俺が手を引くと琥珀色の瞳で追いかけ、もう一度差し出せば、確かめるように鼻先を押しつけてくる。


その仕草が何を意味するのか、俺にはまだ分からない。


ただ、処分場に入ったばかりの頃、こちらを警戒して身体を丸めていた幼竜が、自分から近づいてきてくれるようになった。それだけでも、俺にとっては大きな変化だった。


「……なあ。俺を選んだって、本当なのか?」


幼竜は首を傾けた。


答えが返ってくるとは思っていなかった。それでも尋ねずにはいられなかった。


俺は今朝、育成士の名門アシュベル家を追い出されたばかりだ。試験に失格し、父さんからは育成士に向いていないと言われた。


そんな俺を、目の前の幼竜が選ぼうとしている。


もし管理人の言う《逆契約》が本物なら、学校の教本でしか知らなかった出来事が、今まさに俺たちの間で起きていることになる。


「……変わった奴だな、お前」


思わず笑うと、幼竜は鼻を鳴らした。


そのとき、処分場の奥から足音が近づいてきた。


「待たせたな、少年。協会の職員が到着したぞ」


管理人の後ろには、落ち着いた雰囲気の女性と、記録用の道具を抱えた男性が立っていた。


女性は俺の右手を見た途端、足を止めた。


「……本当に、紋様が残っているんですね」


男性も隣から覗き込み、驚いたように目を見開いた。


「教本の図と似ています。ですが、まさか実物を見ることになるとは……」


「逆契約なんでしょうか?」


俺が尋ねると、女性はすぐには答えなかった。


「可能性はあります。ただ、私たちも実例を見るのは初めてなんです。まずは、何が起きたのか確認させてください」


女性は俺の前にしゃがみ、目線を合わせた。


「レオン・アシュベルさんですね。処分場から連絡を受けました。契約と保護に関する確認を担当しています」


「はい。よろしくお願いします」


「最初に一つだけ。あなたから、この子に契約を申し込みましたか?」


「いいえ。引き取りたいとは言いましたけど、契約の呪文も道具も使っていません」


「では、紋様が現れたのは?」


「この子が、自分から俺の手に前脚を重ねたときです」


女性は幼竜へ視線を移した。


幼竜は俺の足元で身体を丸め、見慣れない二人を警戒している。女性が少し近づくと、傷ついた左翼をかばうように身体を傾けた。


「……怖がらせてしまいましたね」


女性はそれ以上近づかず、手を引いた。


「この子の意思を確かめる必要がありますが、無理に動かすわけにはいきません。まずは落ち着けるようにしましょう」


俺は幼竜の隣にしゃがんだ。


「大丈夫。俺もここにいるから」


幼竜は鼻先を俺の手へ寄せた。


その様子を見た女性は、少しだけ表情を和らげた。


「あなたがそばにいると、落ち着くようですね」


「そうだったら嬉しいです」


「では、今の状態を記録してから、協会で詳しく確認しましょう」


男性職員が記録板を開いた。


その横で、管理人が処分予定の書類を差し出す。


「この個体は、本日の日没に処分予定でした。手続きは現在保留しています」


女性は書類を受け取り、日付と識別番号を確認した。


「七十二番……。輸送事故による左翼の骨格損傷と神経損傷。治療歴あり、飛行不能……」


記録を読み進めるうちに、彼女の眉がわずかに寄った。


「この状態で、契約の紋様が現れたんですね」


「はい」


「分かりました。契約の確認が終わるまで、処分手続きの保留を継続してください」


管理人が頷いた。


俺は思わず女性を見た。


「……この子、助かるんですか?」


「まだ正式な引き取りが認められたわけではありません。でも、確認をしないまま処分することはありません」


その言葉を聞いて、ようやく肩の力が抜けた。


幼竜は俺の足元で、小さく鼻を鳴らした。


*


協会の確認室には、契約記録を調べるための道具が用意されていた。


幼竜は左翼に負担がかからないよう、柔らかい敷物の上で休んでいる。移動の途中も何度か身体を起こそうとしたが、そのたびに傷ついた翼が揺れ、痛そうに動きを止めていた。


俺は敷物の隣に座り、持参した水筒を取り出した。


「水、飲めるか?」


幼竜は鼻先を近づけたものの、すぐには口をつけなかった。


職員に確認してから浅い器へ少量を移すと、ようやく舌を伸ばし始める。


夢中で飲むというより、何度か休みながら少しずつ口にしていた。


「喉、渇いてたんだな」


水を飲み終えた幼竜は、器の縁を名残惜しそうに舐めたあと、俺の膝へ鼻先を押しつけてきた。


「もう空っぽだよ」


器を傾けて見せると、幼竜は中を覗き込み、残念そうに鼻を鳴らした。


その様子が少しおかしくて、俺は笑ってしまった。


「お前、結構欲張りなのかもな」


すると幼竜は、俺の旅鞄にまで鼻を近づけ始めた。


「いや、そこには食べ物なんて…あ、干しパンがあったか」


慌てて鞄を引き寄せる。


幼竜は琥珀色の瞳で、俺の手元をじっと追っていた。


「これは俺の分だし、お前に食べさせていいものかも分からないからな」


そう言い聞かせると、幼竜は不満そうに鼻を鳴らした。


食べ物の話になると、ずいぶん反応がいい。


傷ついていても、こういうところは普通の幼い魔物と変わらないのかもしれない。


「お待たせしました」


女性職員が戻ってきた。


後ろには、記録用の道具を抱えた男性職員がいる。


「これから契約の確認を始めます。ただし、途中でこの子が嫌がったり、身体に負担がかかったりした場合は中断します」


「分かりました」


女性は椅子を引き寄せ、俺の正面に腰を下ろした。


「レオンさん、逆契約について学校ではどこまで習いましたか?」


「魔物の方から人間を選ぶ契約だと習いました。でも、詳しいことはほとんど。先生も実物を見たことがないと言っていました」


「そうでしょうね。私も初めてですから」


女性は苦笑したあと、幼竜を見た。


「普通の契約なら、人間から申し込んで、魔物が承諾するでしょう? 逆契約は、その最初の働きかけが反対なんです」


「…この子が、俺を選んだってことですか?」


「それを、これから確かめます。ただし、紋様が現れたからといって、何でも認められるわけではありませんよ」


「というと?」


「あなたはまだ無資格ですよね。契約が確認できても、育成士資格を取得したことにはなりません。生活環境や安全管理については、協会が継続して確認します」


俺は頷いた。


「それから、契約は魔物を自分の物にすることではありません。この子には、この子自身の意思があります。財産に関する権利も失いません」


「……はい。それは分かっています」


「よかった。では、始めましょうか」


男性職員が机の上に記録用の道具を置いた。


俺は指示された位置へ右手を乗せる。


手の甲に残っていた紋様が、ゆっくり光り始めた。


「…反応しています」


男性職員が記録を取りながら言った。


「紋様の形状を確認します。レオンさん、そのまま動かさないでください」


細い光が道具の表面を走り、複雑な模様を描いていく。


幼竜の前脚にも、同じ光が現れた。


「一致していますね」


「ええ。ただ、これだけでは契約の種類を断定できません」


女性職員は幼竜の前にしゃがんだ。


「次は、この子自身の意思を確認します」


俺は幼竜を見た。


琥珀色の瞳が、こちらを向く。


「…なあ」


名前を呼ぼうとして、まだ名前がないことを思い出した。


「俺と一緒に来たいのか?」


幼竜は首を傾けた。


「俺はまだ育成士じゃないし、立派な家もない。ちゃんとした寝床だって、これから探さなきゃいけないんだ」


女性職員たちは黙って見守っていた。


「それでも、もし一緒に来たいなら……俺は、お前と暮らす方法を探したい」


幼竜は俺を見つめたまま、しばらく動かなかった。


俺も手を伸ばさずに待った。


この子が何を望んでいるのか、俺の《共鳴》だけでは分からない。だからこそ、行動を確かめたかった。


やがて幼竜は、敷物の上で慎重に身体を起こした。


「無理するなよ」


声をかけると、一度こちらを見上げたものの、動きを止めようとはしなかった。


左翼をかばいながら右の前脚を持ち上げ、俺の手へ伸ばしてくる。


小さな爪が、手の甲に触れた。


その瞬間、二つの紋様が強く輝いた。


「……!」


確認室の壁に淡い光が広がる。


男性職員が慌てて記録を確認した。


「双方の紋様が同時に反応しています。形状も一致。人間側からの契約申請操作は確認されません!」


女性職員は幼竜の前脚を見つめたまま、慎重に問いかけた。


「この人と契約したいという意思を、もう一度示してくれますか?」


幼竜は女性の顔を見た。


それから、俺へ視線を戻す。


一度、前脚を引いた。


俺は思わず息を止めた。


もしかして、嫌だったのだろうか。


だとしたら、無理に続けるわけにはいかない。


そう考えた直後、幼竜は俺の手の甲へ、もう一度前脚を重ねてきた。


今度は、自分から。


「……確認できました」


女性職員が言った。


男性職員も記録を見直し、ゆっくり頷く。


「逆契約の成立条件に一致しています」


俺は二人を交互に見た。


「それって……」


女性職員は姿勢を正した。


「レオン・アシュベルさん。あなたとこの幼竜の間に成立した《逆契約》を、協会の記録上でも確認しました」


一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「……本当に?」


「はい。この子は、自分自身の意思であなたを選びました」


俺は幼竜を見た。


小さな前脚が、まだ俺の手の上にある。


今朝、家を追い出されたときには、こんなことが起こるなんて考えもしなかった。


育成士学校の試験に失敗した俺を、父さんは必要ないと言った。


それなのに、目の前の幼竜は俺を選んだ。


立派な育成士でも、優秀な成績を収めた生徒でもない。ただの無資格の少年を。


「……ありがとう」


ようやく、それだけ言えた。


幼竜は俺の声に反応して顔を上げた。


「俺を選んでくれて、ありがとう」


そっと頭を撫でると、幼竜は目を細めた。


嬉しいのか、安心しているのか、それとも単に撫でられるのが気持ちいいのか。


正確には分からない。


けれど、俺の手を避けることはなかった。


女性職員が記録板を閉じる。


「おめでとうございます。ただし、ここからが大切ですよ」


「……はい」


「契約は終わりではありません。この子が安心して暮らせるように、これから生活環境を整えていかなければなりません」


俺は頷いた。


珍しい契約が成立したからといって、翼の怪我が治るわけではない。


食費がなくなるわけでも、住む場所が手に入るわけでもない。


むしろ、今まで以上に考えなければならないことが増えた。


それでも、俺は不思議と後悔していなかった。


*


「ところで、レオンさん。この子の名前は決まっていますか?」


登録手続きが一段落した頃、女性職員が尋ねた。


「名前、ですか?」


「はい。処分場の記録には識別番号しかありませんでした。以前から呼ばれていた名前が確認できないので、本人の反応を見ながら考えてみてはいかがでしょう」


俺は幼竜を見た。


土色の鱗に、琥珀色の瞳。小さな角と、まだ成長途中の身体。


傷ついた左翼をかばいながらも、自分の意思で俺のところへ歩いてきた竜。


「……名前か」


考えてみれば、俺はこの子をずっと「お前」と呼んでいた。


処分場では七十二番。


協会の記録でも、今のところは幼竜としか呼ばれていない。


これから一緒に暮らすなら、ちゃんと名前で呼びたい。


「強そうな名前がいいかな。それとも、もう少し可愛い方が……」


幼竜は俺を見上げた。


何かを期待しているようにも見えるが、単に俺の声が気になるだけかもしれない。


「……ガルド」


ふと、その名前が浮かんだ。


「ガルドって、どうかな?」


幼竜の耳がぴくりと動いた。


「ガルド」


もう一度呼んでみる。


すると幼竜は、俺の膝へ鼻先を寄せてきた。


「……気に入った?」


返事の代わりに、小さく鼻を鳴らす。


女性職員が微笑んだ。


「少なくとも、嫌がる様子はありませんね。名前を理解しているかどうかは、これからの反応も確認していきましょう」


「はい。何度か呼んでみます」


俺は幼竜の前にしゃがみ直した。


「ガルド」


琥珀色の瞳がこちらを向く。


「これからよろしくな」


差し出した手に、ガルドが鼻先を寄せてきた。匂いを確かめるように指を嗅ぎ、最後にぺろりと舐める。


「うわっ、くすぐったいって!」


俺が手を引くと、ガルドは不思議そうに首を傾けた。その顔があまりにも真剣だったので、思わず笑ってしまった。


「お前、案外いたずら好きなのかもな」


女性職員も笑みを浮かべたが、すぐに記録板へ目を戻した。


「では、登録名はガルドとして手続きを進めます。ただし、レオンさん。名前が決まったところで、もう一つ確認しなければならないことがあります」


「飼育環境のことですよね」


「ええ。それと健康管理です。処分場の記録では左翼の骨格と神経に損傷があります。炎症や痛みが落ち着いたとしても、元の損傷が治ったことにはなりません」


俺はガルドの左翼へ視線を落とした。身体の脇に折り畳まれた翼は、反対側と比べて明らかに形が違っている。姿勢を変えるだけでも負担がかかるらしく、ガルドは右側へ体重を寄せていた。


「今は飛べないんですよね」


「はい。少なくとも現在の状態では飛行できません。成長後の変化まで断定はできませんが、今は無理に翼を動かさず、地上で安全に暮らせる環境を整えることが先決です」


「分かりました。定期的な診察も必要ですよね」


「もちろんです。食事も成長期に合ったものを用意してください。竜種は身体が大きくなりますから、食費も今後の負担として考えておく必要があります」


食費。


その言葉に、俺は思わず財布の入った鞄へ目を向けた。


今朝、家を出たときに持っていたのは五千ルーン。それだけで宿を探し、自分の食事を用意し、ガルドの飼料まで買わなければならない。


しかも、翼の治療費も必要になる。


「……仕事を探さないと」


考えていたことが、つい口から出た。


「お仕事ですか?」


「はい。今の俺には、この子と暮らしていけるだけの収入がありません。育成士の資格もないので、できることは限られていますけど……」


女性職員は少し考えてから、机の引き出しを開けた。


「協会には無資格者向けの仕事を紹介する窓口がありますよ。危険な魔物を扱う仕事はできませんが、倉庫での荷物整理や記録の補助などなら応募できます」


「本当ですか?」


「ええ。ただし、仕事が見つかってもガルドの世話を後回しにはできません。預け先や休養場所も含めて考える必要があります」


「はい。それはちゃんと考えます」


女性は一枚の案内用紙を差し出した。


俺はそれを受け取り、鞄へしまった。


「ありがとうございます。明日、相談してみます」


「それから、今夜の宿は決まっていますか?」


「……まだです」


答えた途端、ガルドが俺の鞄に鼻先を押しつけた。


「おい、今は宿の話だぞ」


ガルドは鞄から離れようとしない。どうやら、さっき見つけた干しパンの存在を覚えているらしい。


女性職員がその様子を見て笑った。


「食べ物に興味があるようですね」


「さっきからずっとなんです。何か食べさせたいんですけど、勝手に人間の食事をあげるのも怖くて」


「その判断でいいですよ。まずは幼竜に適した飼料を確認しましょう。食欲があること自体は悪いことではありませんが、身体の状態に合った食事が大切ですから」


俺が頷いている間にも、ガルドは鞄の口を覗こうとしていた。


「こら、ガルド。そこには何もないって」


いや、干しパンはある。


俺がそう思った瞬間、ガルドの鼻先がさらに奥へ伸びた。


「……お前、もしかして匂いで分かってるのか?」


ガルドは何食わぬ顔で俺を見上げた。


先ほどまでの緊張した確認室が、少しだけ賑やかになった。


*


協会を出たときには、冬の夕暮れが町を包んでいた。


紹介された宿は商業区の外れにあるらしい。俺は案内用紙の地図を確かめながら、ガルドの歩幅に合わせて進んだ。


石畳の通りには仕事帰りの人々が行き交い、店先では夕食の支度が始まっている。炭火で焼かれる肉の匂いや、温かなスープの湯気が冷たい空気に混じっていた。


ガルドは初めて見るものが多いのか、何度も足を止めた。荷車の車輪を眺めたり、店先に積まれた木箱の匂いを嗅いだり、そのたびに琥珀色の瞳を忙しく動かしている。


ただ、歩く速度は遅かった。


左翼をかばっているため、身体を大きく動かすことができない。少し進んでは休み、ガルドが自分から歩き始めるのを待つ。


「疲れたら、無理しなくていいからな」


俺が声をかけると、ガルドは短く鼻を鳴らした。


そのまま数歩進んだところで、今度はぴたりと足を止めた。


「……どうした?」


ガルドの視線を追う。


通りの向こうに、串焼きを売る屋台があった。


焼き上がった肉を主人が皿へ移すと、ガルドの鼻がひくひくと動いた。


「……お前、まさか」


ガルドは俺を見上げたあと、再び屋台へ顔を向けた。


尻尾がゆっくり左右に揺れ始める。


「いや、待て。まだお前に何を食べさせていいのか、ちゃんと確認してないんだから」


そう言い聞かせても、ガルドは肉から目を離さない。


俺は財布の中身を思い出した。


五千ルーン。


そこから宿代も食費も払わなければならない。仕事を見つけるまでは、無駄遣いをする余裕なんてない。


「……ガルド。明日から、俺も頑張って働くからな」


ガルドが顔を上げた。


「お前のご飯代も、治療費も、ちゃんと払えるようになりたいんだ」


言いながら、少しだけ不安になった。


学校では魔物の栄養管理について何度も勉強した。必要な飼料の種類や、成長に合わせた食事の調整方法も習っている。


けれど、教本に書かれた数字と、自分の財布から出ていく金額は違う。


俺一人の生活さえ決まっていないのに、竜を育てていけるのだろうか。


ガルドはそんな俺の心配など知らない様子で、もう一度屋台を見た。


「……お前は本当に食べ物が好きなんだな」


俺が苦笑すると、ガルドは嬉しそうに尻尾を振った。


その反応に、少しだけ気持ちが軽くなった。


少なくとも、この子には食べたいものがあり、興味を持つものがある。


処分場の冷たい床で、ただ日没を待っていた幼竜とは違う。


これから先、ガルドがどんなものを好きになり、何を嫌がり、どんなふうに成長していくのか。


俺は、それを近くで見ていたかった。


「……まずは宿だな。明日は仕事も探さないと」


ガルドは俺の隣へ戻り、ゆっくり歩き始めた。


*


通りを抜ける頃、俺は右手の甲に残った紋様を見た。


《逆契約》。


魔物が自分の意思で人間を選ぶ、極めて珍しい契約。


協会の職員でさえ実例を見たことがないというその契約が、無資格の俺と、飛べない幼竜の間に成立した。


父さんに追い出された今朝のことを思い出す。


あのとき、俺には何も残っていないと思っていた。


育成士学校の試験に失格し、家族からも認められず、これからどう生きていけばいいのかさえ分からなかった。


けれど、ガルドは俺を選んだ。


それがなぜなのか、今も分からない。


ただ一つ確かなのは、この子が自分から前脚を差し出してくれたということだった。


「……なあ、ガルド」


名前を呼ぶと、琥珀色の瞳がこちらを向いた。


「俺、まだ立派な育成士じゃないけどさ」


ガルドは首を傾けた。


「いつか、お前が安心して暮らせる場所を見つけたいんだ。怪我をしていても、飛べなくても、無理に強くならなくてもいい場所を」


口にしてみると、ずいぶん大きな目標だった。


今夜泊まる宿さえ決まっていない俺が、竜の暮らせる場所を作りたいなんて。


それでも、今度は簡単に諦めたくなかった。


「……一緒に頑張ってくれるか?」


ガルドはしばらく俺を見つめていた。


そして、ゆっくり鼻先を伸ばし、俺の右手へ触れた。


契約の紋様は光らなかった。


けれど、冷たい鼻の感触は確かに伝わってきた。


「……よろしくな、ガルド」


俺が笑うと、ガルドは小さく鼻を鳴らした。


その直後だった。


ぐうううっ。


足元から、妙に大きな音が聞こえた。


「……ん?」


ガルドを見る。


ガルドは何食わぬ顔で俺を見上げていた。


「……お前、さっきからずっとお腹が空いてるのか?」


尻尾が勢いよく動いた。


俺は思わず額を押さえた。


「分かった、分かったよ。まずはちゃんと食べられるものを探そう。でも、勝手に食べるのは駄目だからな」


ガルドは俺の言葉をどこまで理解したのか、嬉しそうに鼻を鳴らしている。


俺はその頭を撫で、宿へ向かって歩き始めた。


極めて珍しい逆契約が成立した。


学校の教本でしか知らなかった出来事が、本当に俺たちの間で起きたのだ。


けれど、その特別な契約が、今日の夕食を用意してくれるわけではない。


ガルドのお腹が、もう一度鳴った。


「……お前、少しは遠慮してくれよ」


そう言いながらも、俺は笑っていた。


明日からは仕事を探そう。


この食いしん坊の幼竜が、安心して腹いっぱい食べられるように。


そしていつか、二人で帰れる場所を見つけよう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。