1-07 偽りの王の遺言
「私は、この国の本当の王ではない」
ゴド国の王ユリウスが病床で従者ロランに語ったのは、古代から続く神聖なる王国の主にあるまじき、恐ろしい告白だった。
精霊の加護により繁栄してきたゴド国には、数千年とも云われる長い歴史がある。王妃は既に亡く、子を生せなかったユリウス王の後を継ぐ者はない。もしもの時は、遠縁にあたる宰相の息子ロランが後を継ぐと、議会の総意で決まっていたのだが。
「きさまが次の偽者か」
王の死を悼む間もなくロランの前に現れた、精霊の代弁者たる耳長族の長キリルは、彼に鋭い眼光を向ける。
「真の王を据えぬということは、ありとあらゆる災厄から国も森も守れぬということ。無力な人間に何ができるのか見定めよと精霊は仰った」
精霊と人間の確執、王家の因縁と衰退――
ロランは様々な試練を乗り越え、精霊との対話を試みる。
真の王とは何か。
精霊はロランに何を望むのか――……
ロランが慎重にカーテンを開けると、朝の柔らかな日差しが豪奢なベッドに降り注ぎ、病床の王ユリウスのまぶたがピクリと反応した。
このところ王の体調は芳しくなく、一日の大半を寝て過ごす。以前はこうしてロランが部屋に入る前に目を覚まし、今日は眠れたとか今朝の具合はどうだとか声を掛けてくれていたのに。
「ロラン」
王は消え入るような声でようやくロランを呼ぶ。
「おはようございます。今日のご加減はいかがでしょうか」
ロランはいつものように王の真横に跪き、ベッドの外に投げ出された手を握る。
冷たい。
黒々とした痣が斑点状に広がる手。
「精霊が、命を奪いにくる夢を見た」
天井を見つめたまま王は言う。
「父の死後、私は心血を注いで国を治めた。周辺諸国との関係も良好、国が豊かになった自負もある。しかし……私は、精霊に見放された」
王の目から涙が零れ落ちたのを、ロランはただ無言で見つめることしかできなかった。
ユリウスが即位したのは、十五年以上前のこと。先王ジェロが病で急逝したのが切っ掛けだった。
当時ユリウスは二十歳を超えたばかり。歴史あるゴド国を担うには、あまりにも頼りなかった。
城には先代、先々代からの重鎮も多く勤めていて、何かあれば王を支える体制はできていたのだが、年寄りの中で肩を竦める若王をロランの父は見ていられなかったらしい。遠縁ではあるが親戚であること、年齢も近いことなどから、おまえが王を支えよとロランをユリウスの従者にしたのだ。
「父にも、同じ呪いが掛けられていた。私達はつくづく、歓迎されなかった」
フッと小さく笑って、ユリウス王は目を細めた。
「何をおっしゃいます。陛下のご回復を皆心待ちにしております。陛下がこれまでどれだけ民を思い、ご尽力なさってきたのか、そばで仕事ぶりを拝見していた私が一番よく知っています」
冷たい王の手を両手で包み込み、ロランは語気を強めた。
握りすぎたかと力を緩め恐る恐る表情を覗うが、王はじっと天井を見つめたまま。
「私に、子はいない」
「はい」
「王妃にも、先立たれた」
「存じております」
「次の王は……ロラン、おまえになるだろう」
「私は、断りました」
ロランの言葉に、ユリウスはゆっくりと顔を向けてきた。
仄暗い表情と痩けた頬に、ロランの胸は押し潰されそうになる。
「宰相の子で、長く陛下と共に過ごした、陛下に目を掛けられていた――議会で承認されたとはいえ、その程度で王族でもない従者の私が王になれば国民はどう思いましょう。もっと相応しい人間がいるのではありませんか。王太后陛下の血縁の方も何名かご存命です」
「……精霊は、私の一族が憎いのだ」
ユリウス王はそう呟いて、目を閉じた。
「お気を確かになさってください。憎まれるようなことなど何も」
そこまで言った時にはもう、王は静かに寝息を立てている。
「困ったお方だ」
ぼそりと呟いて、ロランはゆっくりと立ち上がった。
ゴド国には長い歴史がある。
始まりの王マルクは精霊の加護のもと、不思議な力で人々を導いたという。争いの絶えなかった世界を四つの大陸と四つの海に分け、それぞれの種族に適した場所に住まわせた。
一番大きな大陸の中央に位置するゴド国の周辺は、大きな河と森に囲まれた恵まれた土地。城の北に位置する森の奥には精霊殿と呼ばれる古い神殿が今も残され、精霊守の耳長族が代々聖域を守っている。
「耳長に何か吹き込まれたのだろうか」
王の近況を聞いて、ロランの父宰相バルクは眉を顰めた。
執務机に齧り付いて大量の書類に目を通していた彼は、手を止めて息子の話に耳を傾けていた。
「どうでしょう。先王陛下も呪いをと、そのようなことを」
「呪いか。医者の話では、ある種の遺伝的な病ではないかと」
顎髭を擦りながらバルクは唸った。
「詳しくは分からないが、先王陛下にも同じ斑点があったらしい。見たことのない症例で、処方したどの軟膏も飲み薬も効果がなかったと聞いている。しかしまさか、呪いなど」
「そう思います。陛下に非があるようには、とても」
耳長族の長が城に赴き、定期的に王と謁見しているのをロランは知っていた。
浅黒い肌をした、異様に若い黒髪の男だった。彼が王に何かを吹き込んだのだろうか。
「ロラン、他に何か気になったことは」
「『精霊は、私の一族が憎い』と。どういう意味でしょう」
ロランの言葉にバルクはしばらく考え込んだ。
「王家の血筋の者は、近年次々に命を落としている」
「先王陛下、王太后陛下、そのごきょうだい、甥姪……確かに多くの方々が亡くなりました。しかし、不慮の事故であったり暴漢に襲われたりと死因は様々です。王妃陛下も、ご懐妊後間もなくご病気で。これもまさか関係が」
どうだろうとバルクは首を傾げる。
「断定はできない。しかし私はこういう話も聞いた。『精霊には逆らうな』……と」
王はみるみる弱ってゆく。
公務などできるはずもなく、ロランとバルクが代わりに仕事をこなす日々。
ユリウス王は幼少の頃から身体があまり丈夫ではなかった。同年代の子どもよりも一回り体が小さく、三つ下のロランに腕相撲で負けてしまうくらい貧弱だった。
それでも王位を継ぐとなればその弱々しい体で気丈に振る舞い、震える足でしっかと王座に就いた。
ご立派になられてと人々は弱冠のユリウス王に賞賛の拍手を送ったが、自室に籠もれば泣いてばかり。怖い、私には無理だと言うのを、ロランは大丈夫です私がそばにいますと励まし続けてきたのだ。
「憎まれる理由……か」
北の森が見渡せる城壁の上で、ロランは独りごちた。
議会もロランを次の王に推している。しかし、ロランにはユリウス王ほどの手腕を発揮できる自信はない。
真っ直ぐで清らかな心を持つユリウス王は、年を重ねるごとに逞しくなった。元来勉強熱心だった彼の知識量は、外交時に力を発揮した。丹念な下調べと他国多種族への敬意を怠らない誠実さが、多くの信頼と理解を得たのだ。
「何が気に入らなかった。陛下があのように苦しまねばならない理由は」
北からの風は冷たい。
森の奥にあるという精霊殿は、肉眼では確認できなかった。
窪んだ眼窩、光のない紺の瞳。透き通るようだった美しい金髪は見る影もなく、傷んだ毛先があちこちに跳ねている。
食事が喉を通らなくなると、死期が近いと医者は言った。近頃は水も飲みたがらない。骨に皮が張り付き、老人のように皮膚が弛んでいる王の姿は、見るも痛々しい。
夕暮れの涼やかな風が窓から入り込む。
乾いた唇を懸命に動かして王は言った。
「私は、この国の本当の王ではない」
意識が混濁しているのか。
ロランは骨張った王の手を握り、耳をそっと王の顔に近付けた。
「古来から、この国の王は精霊が選ぶと決まっていた。祖先は、それを無理矢理世襲に変えたのだと聞く」
体力が低下し、長く話すことも難しくなったはずの王が、折れそうなほど細い手に目一杯力を入れて訴えてくる。
聞かねばと思った。一言残らず、その全てを。
「精霊は気の遠くなる程長い間、聖域を守り、森を守り、国を守ってきたらしい。耳長達は精霊の代弁者となって歴代の王に助言を続けてきた。信頼と契約で成り立っていた関係を壊したのは、人間の方だ。精霊は怒り、私の一族を根絶やしにすると誓った」
「それは、陛下の病と関係が」
ユリウス王はじっと天井を見つめたまま、頭を動かすこともしなかった。
呼吸が浅い。
体温が異常に低い。
「精霊はありとあらゆる手を使い、私の一族の命を奪った。じわじわと命を奪う呪いを私と父に使ったのは、怒りと憎しみの表れだろう。私が真摯に耳を傾け、精霊の助言を守ろうとしても無駄だった。私は懇願した。自分の命などどうなっても構わない、精霊の決定に従う、この国の人々には危害を与えないで欲しい……と」
ゆっくりと、王は瞬きした。
「私は次の王にロランを推した。精霊は、拒否した」
「……でしょうね」
「だがこうも言った。そのように望むならば、人間を試したい、と」
掠れた声にロランは耳をそばだてる。
「ロラン。精霊には逆らうな」
「……はい」
「もしおまえが王に相応しくないと精霊が言えば、それに従え。精霊は全てを見て、全てを知っている」
「はい」
「私には精霊の真意が分からなかった。おまえになら……私のような頼りない人間をしっかりと支え続けてくれたおまえになら、それが分かるのではないかと思う。ロラン……全てを、私はおまえに伝えたはずだ。どうか、おまえが次の王に」
ユリウス王は最後の力を振り絞るようにして、ギュッと手に力を込めた。
ユリウス王が息を引き取ったのは、それから間もなくだった。
城中が慌ただしく動き始める。
ロランは従者として最期まで王に尽くした。
民衆に慕われた王の葬儀は本来盛大に執り行われるべきだが、生前ユリウス王はそれを許さなかった。諸外国からの来賓も最低限に留めた質素な葬儀。
そこに、耳長族の長キリルの姿があった。
「きさまが次の偽者か」
ロランが一人きりでいる僅かな時間を狙って、キリルが話し掛けてくる。
十五、六に見える浅黒の少年。爛々とした金色の目には威圧感があった。
「精霊は我々を試したいのだと聞いています」
キリルの纏う重々しい空気に惑わされまいと、ロランは両手を握り締め静かに言い放った。
「覚悟は、できています」
ロランの言葉に、キリルは口角を上げて目を細めた。





