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1-23 滅びゆく世界で向けられた、太陽の笑顔

この世界は『太陽』によって――滅ぼされる。


 自分をドブネズミだと蔑むミカは、浮浪者が住む世界で生活をしていた。

 生きるためには、汚水に腐った生ごみ、そんなものばかり食べて生活をしている。


 後、一年。

 それがこの世界の寿命だった。


 ゴミで築かれた丘の上で空を眺めていると、そこに太陽のような一人の女性が現れる。


 自分を太陽の勇者、ミカを月の勇者と言った彼女は、一緒に世界を救おうと手を伸ばす。


 決して交わることの無かった、太陽と月。

 その二人が出会った時、世界が再び動き出す。


 滅びゆく世界を旅する二人が見たものは――

 ――世界はあと一年で、滅びる――


 まあ、どうでもいい話だけどさ。


 だって――俺はドブネズミなんだ。

 嫌われ者で、病原菌で、それで汚い。


 もう一度言う、俺はドブネズミだ。 

 生きていても存在するだけ。

 死んでも、なんの影響もない、むしろ、きれいになる。

 つまり、ドブネズミに価値はない。

 

 だから、太陽のような花が手を差し伸べても――決して手を握り返してはいけないんだ。


 ————


 「こんにちは」


 ヘドロのような臭気が立ち込めるこの場所には、似つかわしくない綺麗な匂いが、鼻腔をくすぐった。


 「今日は良い天気、ですね。んっ、くぅ〜!」

 

 突然の来訪者に視線が止まってしまう。

 そいつは俺のことを気にもせず、横に座った。

 一際大きくなった『太陽』を見ながら、知らない女はぐっと両手を伸ばす。


 「誰だ……お前?」


 至極、真っ当な疑問だと思う。

 浮浪者が住み着く街外れのゴミ溜めに、太陽のような人間は、いてはいけない。

 そんな俺の気持ちを無視するように、女は伸ばした手を下ろしてから、こっちを見つめてニッコリと笑う。


 「私は、ルーチェ。君のお名前も教えてもらえると、嬉しいな」


 ヘドロのような匂いも。

 地面から湧き上がる生ゴミの匂いも。

 明日を生きる気力すらない自分の心も。


 たった一つの笑顔が、全部消し去った。

 

 ——残酷だ。

 

 この世界から助けてくれる——そんな希望まで抱いてしまう、不思議な笑顔だった。


 「俺は……ミカ、だ」


 話すつもりなんてなかった。だけど勝手に口が開いてしまったのだ。

 口を急いで閉じたが、時すでに遅い。

 ルーチェと名乗った女は、「ふふふ」と声に出しながら喜んでいた。


 「ミカ……うん! ピッタリの名前だね! ——よろしくねっ」

 「よろしく、って……いったい何なんだお前は?」


 怪訝そうな顔を向けると、ルーチェは人差し指を顎に添えて、考え始める。

 たったそれだけの動作なのに、どうしてか魅力的に感じてしまう。


 純白のドレスに金色の髪。今の俺とは真逆の存在だった。

 生ゴミの汁や濁った空気ですら、彼女を綺麗に装飾しているかのよう。

 決して汚れることのない——純白。

 

 ——まるで聖女のようだった。


 顎から指先を外し、こう答えた。


 「ミカは、『太陽の勇者』と『月の勇者』って知ってるかな? おとぎ話でよくあるやつだよ」


 ルーチェの言葉に自分の記憶を遡ってみれば、もう二度と会えない人間の顔が浮かんで、息が詰まる。

 

 「ああ……」


 沈んだ声で俺は返事をした。


 「知ってるなら話は早いね。私ね——」


 今はみんなが憎む——太陽の勇者なんだよ。


 「そして君は——月の勇者」


 おとぎ話を信じて狂った人間か。

 それとも、『太陽が世界を滅ぼす』と言われて頭が狂った人間か。

 恐らくは、後者だろう。


 「その顔、酷くない? 私、別におかしな人じゃないからね? ——ほら、これを見て」


 おもむろに、彼女はドレスのボタンを外して、その中身を見せつけてきた。

 白い肌は、少し赤らんでいる。

 

 花柄の下着が目に飛び込んでくる。その下には、控え目だけど女性らしい膨らみがあった。

 俺は慌てて視線を逸らそうとした時、左の胸の上の方にある痣に目が留まる。


 「……太、陽?」


 ポロリと口から声が漏れて、それを聞いたルーチェは嬉しそうに微笑んだ。


 「——はい! おしまいね! これで分かった? あー、恥ずかしかった!」


 顔の火照りを隠そうと、ルーチェは手を団扇のようにして風を送り続ける。


 「ミカ……君にも痣があるはずだよ? ——三日月の」


 ルーチェは横目で俺を見ながら、そう言った。


 ——心臓が高鳴る。

 次の言葉を口にできない。

 俺は左胸をそっと押さえた。


 「あははっ! その顔、面白いねっ! うん……やっぱり間違いない! 君は勇者だよ、月の勇者」


 嬉しそうに微笑むルーチェに、俺は我慢できず口を開いた。


 「さっきから、お前はなんなんだよ! ズケズケと勝手に話して——意味が分からない!」


 なぜだろう。ルーチェと言う女を前にすると、感情を抑えられなかった。

 怒鳴りつけるように俺が言うと、彼女は少しだけ悲しそうに目を伏せた。


 それを見て、俺の心がチクリと痛む。

 バツが悪くなって視線を逸らすと彼女の澄んだ声が、鼓膜にそっと触れた。

 

 「お前って呼ばれるのは……少し寂しいかな。ルーチェって呼んでよ」


 怒鳴られたせいか、声のトーンが少し弱々しかった。

 それでも、俺を真っ直ぐに見つめて自分の意思を告げてくる。


 何度も目を合わせようとするが、太陽のように眩しい彼女の瞳を見ることはできなかった。


 「突然、ごめんね。私さ、ずっと月の勇者を探していたの」


 ぽつりぽつりと女が話し始める。


 「夢——子供の頃からずっと見ていた夢。月の勇者を探せって、言ってくるんだ。この滅びゆく世界を救うのに、どうしても必要なんだって、さ」


 話し終えた彼女は、空を再び見上げた。

 その瞳はさっきとは違って、剣のように鋭く細くなっている。


 「もう、人が住める街はごくわずか。魔法障壁がなければ街の外にも出れない。変わっちゃったよね、みんな」


 ルーチェの言葉は重たく、俺の心を鉛に変えた。


 変わった——彼女の言う通り変わってしまった。

 俺の両親も、友人も、あの『太陽』に狂わされたんだ。

 元に戻ることは、ない。

 そう分かっていても、時折ドブネズミになる前の人生を思い浮かべて胸が苦しくなる。


 彼女も何かを失った——そうなのだろうか。


 「……ルーチェ」


 同情したのかもしれない。

 彼女の寂しそうな姿に、放っておけなくなった。

 だから、仕方なく名前を呼んでやった。


 「うん、何かな? ミカ」


 鋭い瞳が元に戻ると、静かな声で俺の名前を呼んだ。


 「仮に俺がその月の勇者だったとして、こんな——ドブネズミには何もできない。だから——帰ってくれ」


 ルーチェを突き放すことを選んだ。

 彼女がそっと息を飲み込むと、喉仏が微かに動く。


 「髪もボサボサだし、服も汚い。腕も足も細くて私にすら勝てないくらいひ弱そうだね」


 改めて真実を人に言われると、怒りを通り越して胸が締め付けられるように苦しかった。

 彼女の顔を見ないようにしていたけれど、耳の奥に入り込んでくる言葉は俺の心をごっそりとえぐり取っていく。


 でも、事実だった。

 渇きを癒すため油の浮いた、ドロドロとした水を飲む。

 飢えを凌ぐためには、その奥に潜む形容し難い魚のような生物を喰らった。


 火なんてない。魔法もたいして使えやしない。


 昨日までバカ騒ぎしていた仲間が、次の日には冷たくなっていることも日常茶飯事だ。

 

 街に繰り出せば石を投げつけられて、みんなが蔑んだ瞳を向けてくる。

 ついた名前は「ドブネズミ」。自分でもピッタリだと思う。

 

 そして、ルーチェも結局は俺をドブネズミとして見ている。

 突き放したとは言え、一瞬だけ見えた希望は俺の心を強く揺さぶった。

 

 「……でもね、ミカ。さっき初めて名前を呼んだ時さ、私に——同情してくれたんでしょ」


 ルーチェに心を見透かされていたようだ。


 「ミカは、盗みや殺しはしたことある?」


 その言葉に俺は静かに首を横に振った。


 「誰かを傷つけたことは?」

 「……ないよ」


 俺の答えに満足そうにルーチェは笑う。


 「それなら、君は優しい人。ドブネズミなんかじゃない。れっきとした——人間、なんだよ」


 そう言うと、ルーチェは立ち上がった。

 俺は彼女を見上げた。

 ……違う、人間なんかじゃ。


 だけど、初めて自分を肯定してくれた人間に出会って、口を動かしても、俺は声が出なかった。


 「あいたたー! ずっと座ってたから腰がバキバキだよぅ」


 そんな年寄りくさいことを言うルーチェに対して、自分の口元が緩んだのが分かった。


 「ミカ、素敵な笑顔だね」


 これまでで一番優しい——ルーチェの笑顔。


 「ねっ、一緒に世界を救ってくれないかな」


 そう言って、差し出された小さい彼女の手を俺は——

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