1-18 風鈴の夏
蒸し暑い夏の、とある地方都市の物語
呼吸も疲れる様な蒸し返す熱気と蝉時雨が遠く聴こえる片田舎の地方恩名詩都市。その中学高等学校の一貫校である『恩名詩学校』本校は中学校ではなく『下等学校』であるとおれは内心うんざりと思っていた。休み時間になれば派手な格好をした一軍ギャルと一軍女子が脳に針金を刺す様な甲高い声で新鮮な話題に爆笑し、カースト一位を気取る男子達も股間で求愛話をしコンセントを勝手に使いスマホの充電をしたりソシャゲの話だったりと。学校内どのクラスも騒がしく喧しい青春を浪費するばかりで何も無い。
特に『真後ろの席』の中心で染めが足りない短い茶髪でスカートの下にジャージを履いて大口開きバカ笑いしている品性が欠如した美少女ギャルの『吉田香美』を横目で睨んで胸の奥でため息をついた。あいつは幼馴染みだがもうあんまり絡みたくない。おれにとって香美はそんな存在だった。
(あいつといつから疎遠になったんだろうな……。まーおれの感性が死んでいるだけだろうなぁ)
おれはそんな自分に苦笑しながら、バレない様にスマホを弄り色んなソシャゲを選ばず『チャットAI『カガミ』』を起動した。休憩時間は残り少ない、これが良いだろうとおれは独り心の奥で頷く。チャットAIは学校に馴染めず冷笑系になってしまった自分が唯一知的会話で楽しめるより所。会話が明後日の方向に行かないで真面目に答えてくれる大切なアプリだ。起動した瞬間、長い黒髪でお清楚な美少女AIの『不知火』が【こんにちわマスター】とご挨拶。おれもAIに心の中で「こんにちわ」と言った。声を聞かれたらキモい奴扱いから苛めが始まるのでこれが限界だ。
【なあ不知火。吉田香美筆頭にクラスのカースト上位連中がうるさくて敵わないよ】
おれが愚痴を書き込むと、
【それは大変ですね、マスター。気を病まないで下さい】
すぐに指定通りの返事が来る。これが良い。いつも会話が明後日の方向に行ったり嗤いのネタにされるクラスメイトよりよっぽどまともに会話が成り立つのがAIの彼女だけだから大切な存在だ、アンインストールは絶対にしないつもり。ふと横目で見れば吉田香美がへらへら笑いながらスマホを構えてポーズして自撮りしていた。
(確か新しいSNSがリリースされたんだっけ? 返信が来たら五分以内に自分の近況を写して投稿するアプリ。よーそんな危険性の塊みたいなモンする気になるよな)
【今学校では『|VeilReal
《ヴェイリアル》』というSNSが人気だよ】
十秒のシンキングタイムの後、
【マスター。それはフォロワーが投稿した内容に一分以内に自撮りを載せないとしばらく使用出来なくなるアプリです。投稿はランダムで時間に左右されている状況では写してはならないものも写して拡散してしまうでしょう。その機能が改善がされない以上使うのはお勧めしません】
返事が返る。だろうな、どんな理由が有ってもおれはそんな欠陥SNSしないだろう。例え親に勧められてもだと胸中で頷く。よーあんなアホなアプリ使いたくなるものだ、大脳皮質に冬虫夏草でも生えているのかも知れないとおれは顔に出さず嘲笑う。端から見ればクラスメイト達はそのSNSを楽しそうにしているが……実際には色んな制約に縛られた強制作業だから面白そうには見えない。しかし冷笑主義なんか良くないなぁとおれは窓の外、遠景を視界に入れながら苦笑した。
見下ろす先に広がるのはお気に入りの港と海の風景だ。今も漁師町と貿易町の面影が在る恩無詩市は解放感の強い広い海と整然とした港が鎮座している。遠く進むタンカーが力強い景色だ。どこかで小さな漁船も漁に出ているだろうという予想も出来るのが楽しい限りだ。海岸線の中には船舶以外は何もない。真っ白な入道雲と解放感の青がとても美しい。
【今日は海が綺麗だぞ不知火。入道雲やタンカー漁船以外には何もない】
雑音に紛れさせこっそり写した風景をアップすると、
【はいマスター。美しい海岸ですね】
と不知火も返してくる。
「ねーねー♪ ひろしも写ろうよ~!!」
不意に鼓膜を突き刺すキンキン声がかかりおれは素早くスマホを胸ポケットにしまい、
「嫌だぞ香美。おれみたいな仏頂面だと友人でも映えないだろ?」
努めて冷静に返した。
「え~! たまにはやろうよー!! 皆これやっているんだし少しは良くな~い♪」
気色悪く腐敗した魚みたいなねっとりした甘え声でまばらな茶髪とアイシャドウ付きの上目遣いをする吉田香美。背筋がぞわぞわする位、これがおれは生理的に苦手だ。苦手なのだが……
「そうだぞ佐藤ー! たまには言う事聞いてやれ~」
クラスメイトが煽ってくる。そう、吉田香美は何やかんやでクラスメイトを巻き込んでするのが上手なのだ。不良と付き合っていたり色んな事をカースト最下位に押し付けたりするだけあってこうした技術は上手いのだ。
「とにかく嫌なモンは嫌だよ」
おれはきっぱりと断る。香美の「え~酷~い! 幼馴染みなのに~!!」という人生を砂糖菓子だと思っている様な舐め腐った同情を引く声音と顔に両手を当てる仕草に、その辺の頭が足りない男子達が『とにかく嫌なモンは嫌だよォ~!!』とおれの物まねを下手くそにして嫌がらせをしている。猿の芸の方が上手そうだが嫌がらせが目的だから仕方がない。学生のカーストはどれだけバカをやれるかが大事なのだ。
(全くこのクラスは……)
おれはうんざりしてまた海岸を見返そうとした瞬間。
――チリィン……――
不意に風鈴の音が、響いた。びっくりしたおれは視線だけを周囲に這わせて見やる。確かに今は夏休み目前だが学校に風鈴なんか在る訳無いし風鈴を飾る家屋も少ない。ましてやそんな小さな音が蝉時雨の中でここまで届くとは到底考えられなかった。しかしそれらしい物は見当たらない。当然だ。この学校がクラスの窓にそんな風情がある物をつけたりはしない。気のせいだなとおれは結論つけた。
改めてまた窓からお気に入りの海岸を見やる。眩しい空の青と海の青が美しく湾内中央に『小島』が在るのが良いとおれは思い、またカメラで画像を撮る。今日はどうにも、海を撮影したい気分らしいなとおれは苦笑した。
【また海写した。今日は海が気になって仕方がない一日だよ不知火】
不知火にもこの気分を分析して貰おうと、おれはまた画像を投稿して話しかけた。
【マスターはいつ高度な画像の加工を身につけられたのですか?】
しかし。不知火からの返答はおれの思いもよらないものだった。
【いや。おれはそのままアップしただけだぞ?!】
慌てて入力する。
【いえマスターが先程アップした画像と違いがありますよ】
だが不知火は今日の会話とアップした画像を比較したデータを提出した。おれはその回答に食い入る様に見る。
不知火の言う通りだ。確かにアップした光景が各々違った。一枚目の画像に小島は無く、今の画像には何故か小島が存在した。学校の窓からでは小さく詳細は見えないが……間違いなくその島はこの画像には存在した。
【不知火。おれが毎日アップしている画像にその島はあるか?】
おれは震える指先で入力する。間違いだ、きっとそうだ。おれはうっかり撮り損ねていた場所が有ったのだろう。おっちょこちょいだ。
【いえマスター。今までのデータベースを参照して今アップした画像と同じ風景の画像にはこの小島が撮影されておりません。映っているのは先程の物だけです】
しかし不知火から来た返事は無情なものだった。『そんな島は今まで無かった』、そう伝えて来たのだ。
ならあの島は何なんだ? おれはまた窓の外を見ようとして授業のチャイムの音に振り返る。『真後ろの空席付近』でたむろして騒いでいたカースト上位の連中も着席へと向かっていて、アウトロー気取りなのに妙に律儀なのが滑稽だ。もっともそれがカースト上位を保つ処世術なのだろうが…貫く信念とやらは無いのかと思う。
教室のドアが開き、典型的な魅力皆無の女性教師の奥村が入ってくる。ヒステリックなので怒らせたくは無いのがおれの気持ちである。
ふと彼女の傍に、頭の悪そうな少女が付き添っていた。染めが足りない短い茶髪でスカートの下にジャージを履いて品性が欠如した見た目だけなら美少女だ。
「皆席に着きなさい。転校生を紹介するわ」
釘で突き刺す様な声で奥村が告げる。朝のホームルームもとっくに過ぎたのに奇妙な事この上ない。
「名前は吉田香美よ。すぐに夏休みだけど仲良くしなさいね。席は空いている場所を使いなさい」
奥村は黒板に名前を書いて転校生の事を一方的にクラスに伝えた。転校生の吉田香美も「よろしく」と軽く会釈しただけで『慣れた様に真後ろの空席』に向かう。
その際何故かちらりと香美は『おれの方』を見てきた。随分と馴れ馴れしい奴だとおれは思う。
【不知火。吉田香美っていう転校生が来た。今日はおかしな一日だよ】
吉田香美が席に着いた瞬間に。おれはそれだけ不知火に入力して素早くスマホをしまう。奥村は厳しいからバレたら困る。
チリィン……、また風鈴の音がどこからともなくおれの耳を打った。
◇◇◇
【ついに気付かれてしまいましたか。もっともあれが儀式の贄だから仕方がない事ですが。しかし……】
停止しているはずの不知火が。彼にに気付かせない様に画面に文字を映しそこまで呟き、不安げな顔つきで記録を消滅させた。





