1-16 バックグラウンド×オーバードライブ ——混ぜるな危険/赫と蒼——
それは交錯ではなく、異常事態だった。
全く同じ時刻、しかし異なる場所で死の間際を迎えた二人。
目覚めた場所は廃棄場か処理場か、はたまた墓場か。
混ざらない意志は二心同体でせめぎ合う。
立ちはだかるのは世界の壁——いや、世代の壁が先だった。
無骨で泥臭く、熱い赫。
知的でクール、スタイリッシュな蒼。
両輪は対照的な非対称。
——だっせぇな。
——クールでしょ。
混ぜると危険な多重起動。
帰還の前に強制退場もあり得る。
だが、まずは異形を殴り倒そうか。
スラプスティック×バディアクション、開幕。
まどろみの中、ゆらりと意識が立ち上がる。鼻を突くのは赤錆と、なにかが腐敗したような酸っぱい刺激臭だった。
(……あぁ。終わったのか。完徹三日……エナドリのお陰で乗り切れたが、ハイになってたな。ヒーロー気取りで子どもを助けるなんて……確かトラックのライトが俺の視界を真っ白に染めて……)
そんな中年男の記憶が呼び起こされた直後、もうひとつの記憶が重なる。
(……模試の手応えあったんだよなぁ。久しぶりに、息抜きでアニメ見るかFPSやるかって浮かれるほど。ホームでよろけたお婆さんの背中を支えようとして……逆に僕が線路へ落ちるなんて……)
二つの異なる「死の間際」がもつれ、ひとつの肉体で弾けるように目を覚ました。
「がはっ……!」
反射的に身を起こそうとして、強烈な違和感に襲われる。
起き上がりかけては倒れ込む。その原因は動作の不規則な遅延と痙攣のような震えにあった。
泥水にまみれた手をつき、四つん這いになる。だがその手が視界に入り、動きが止まった。
透き通るほどに白い肌。しなやかで細い指先。毛穴ひとつない、まるで磁器のような四肢だった。
『……は? なんだこの生っ白い手は。俺の拳ダコはどこいった』
『僕の腕じゃない……指にペンダコもないし——うわっ、妙な声が……聞こえ方もおかしい! 誰ですかあなた!』
鼓膜は震えず、ただ頭の中で声が交錯する。互いの思念がダイレクトに行き交った。
『なんだ? そっちこそ誰だ! さては脳内に直接語りかける系……B級映画の超能力者だな!?』
「誰がB級ですか! 縁起でもない。模試の判定はきっとA——え? いま口から出てるこの声、僕ですか!?」
「おい、俺の口を乗っ取るな! ……って違うな、声が高ぇ」
ひとつの口から、中身の違う二つの意志が交互に言葉を吐き出す。
近くの水たまりまで這うように進み、顔を突き出した。波紋越しに映ったその姿は、月明かりに照らされた金髪と灰色の瞳。中性的で酷く無機質な美しさを持ったその容姿は、見覚えのない青年の顔だった。
「なんだこのイケメン……おい、これお前か?」
「違います。でもどこかアバターっぽいような……」
少し視線を上げれば、似通った風貌の人形がいくつも転がっている。どの人形にも亀裂があり、青年と同じくシーツのような布に包まれていた。
「人形に取り憑いた覚えはねぇ。まさか俺たち、降霊術かなんかでこいつのなかに詰め込まれたんじゃ……儀式の生贄かもしれん」
「そんなオカルト話、信じるわけないでしょ。これは夢……こんなにはっきりしてるのは明晰夢——あれ? 今なにか」
視界の左に影が走る。少年が鋭く察知したそれに、中年男の意識も同調して首を巡らす。
ガコンと音を立て、周囲に積み上がったガラクタが崩れた。
現れたのは一匹の異形の野犬。まぶたが縦に裂けた大きな単眼だった。そのどろりと濁った眼で、青年の肉体を値踏みするように睨んでいる。
「っ、化け物……! やっぱり悪夢だ、逃げなきゃ……あぁもう! 自由に動けない——おじさん邪魔!」
「お前ガキかよ、犬の脚の速さ舐めんな。迎え撃つしかねぇが……くっそ動きにくいな!」
互いの思考が肉体の主導権を奪い合い、青年の身体がガクガクと不自然にバタつく。その隙を突き、獣が牙を剥いて跳躍した。
「チッ、とりあえず右腕は俺が使うし喋るのも俺! そっちも動きを合わせろ。体育会系の往生際の悪さを見せてやる」
『なんで僕が夢でパワハラされなきゃ……もう! 左を意識しますよ!』
二人の精神が同じ思考に傾いた時——胸の奥が跳ね、青年の身体が発熱し始めた。
『熱気? ゲーミングPCの排熱並みだ……。なにか内燃機関があるんでしょうか?』
立ち上がった青年の内側では——刻まれた幾何学的な魔導回路へ、許容量を超える情報が濁流となって流れ込み、魔導核を異常な速度で高熱化させていた。
「ガキ! 能書きは後だ。化け物の動きはやはり犬……なら正中線をずらして——」
中年男の強い意志が右足を踏み込む。
その瞬間、青年の右手の甲に五芒星——魔法陣が浮かび、赫に燃える。焔が揺らめき、肌の表面がパキパキと硬質なものへと変異した。
ガギィィン!
獣の強靭な牙が、青年の細い右腕に弾かれた。大理石を叩いたかのような金属音がこだまする。
「ふん。見たか、空手二段の中段外受け! しかしなんで腕が硬くなったんだ? ……って、おい! なんで引き手なしのへっぴり腰なんだ、合わせろよ!」
『無理言わないでください。僕とおじさんではキャラコンが違うんですから、動きは合いませんよ』
「……やっぱ邪魔だ。ガキはおとなしく身体を譲れ!」
『嫌ですよ! もし夢じゃなかったら消えちゃうかもしれないじゃないですか。それにこういう場合は、僕のスタイリッシュなイメージの方が——』
今度は少年が意識を研ぎ澄ます。
指を伸ばして高く掲げた左手の甲が紺碧に煌めく。六芒星の魔法陣が放つその光を輝かせ、中指と薬指を曲げた手のひらを顔の前にかざすと、蒼の光波が眩しく瞬いた。警戒したか、獣は身を固くする。
『ほら出た! スキル名は……ディープ・ブルー・レーザー! どうです、クールでしょ?』
「だっせぇポーズに、だっせぇ技名だな。光っただけで、レーザー出てねぇじゃねぇか。技名叫んでる暇があったら——黙って殴れッ!」
青年の、下から地を這う右腕の軌道。その拳が赤の軌跡で弧を描いて獣の顎に食い込み、さらに垂直に伸び上がってそれを打ち抜いた。円弧を直線に変える一撃——獣の巨体がゴミの山へと吹き飛ぶ。
「どうだ、ぶっ飛ばし……ただけだな。チッ、やっぱ腰が入ってねぇと倒せねぇか」
『全然スマートじゃない。むしろ泥臭い……。せっかく魔法陣が浮かぶんですから、タイパのいい魔法スキルを使うべきですよ! やっぱり僕が——』
青年の胸がまたも脈打つ。突然視界に黄色い魔導文字が浮かび、明滅を繰り返した。
『見たことない記号……文字? なにかの合図でしょうか。新スキル獲得とか?』
「アホか、黄色は警告が相場! 燃費悪いんじゃねぇか、この身体」
二人のやり取りの最中、殴り飛ばした獣が体躯を揺らして立ち上がる。一瞬身を屈め、瓦礫を踏み台にして弾丸のような速度で突進した。二人の意識はそれを認識する間もなく、体当たりを食らって倒れ込んだ。
「クソッ……!」
『痛——くない。さっきまであった熱も感じない!? まさかこの警告は感覚の麻痺か喪失じゃ……! だとしたらヤバいですよ、おじさん!』
「うるせぇ! ガキはおとなしく——」
続く言葉は、青年に覆い被さった獣の唸り声にかき消された。凶悪な顎で右腕に食らいつき、狂ったように首を振る。硬化した外皮がその牙を阻んだものの、キイキイと耳障りな擦過音が激しく響き渡った。
「この野郎……! おいガキ、こいつの上顎を押せ!」
『おじさん、無闇に引っ張っても外れませんよ! 隙間を作ってテコの原理で——』
思考の方向性がかみ合わない。二つの意志がバラバラに動き、青年の動きはぎこちなさを増す。獣は爪でその身体を押さえつけ、腕に噛みついたまま首を激しく振り回していた。体勢は崩れ、状況は一向に好転しない。
「なにやってんだ、押せ! 気合いで押し返せガキ!」
『これ以上は無理です……おそらくこの肉体の出力限界を超えてます!』
なにもかもうまくいかない、苛立ちと焦燥——二人の脳裏に「死の直前」の想いが浮かぶ。
(ふざけんな、あの三日完徹のデッドライン……パワハラだの老害だの言われても進めたプロジェクト——俺は、会社と部下の成長のために……くそッ! 老害結構! こんなとこで化け物に噛み殺されてたまるかよ!)
(嫌だ。今時の若者は部活に励む根性もないって言われながら、浮かれた青春を捨てて予備校に……A判定だったはずの僕の未来……それをこんな悪夢で終わらせてたまるもんか!)
——ピキッ
外殻が欠け、内躯が軋む。魔導文字は赤に変色し、さらに視界の隅で過負荷の火花が散った。このままでは身体ごと魂が砕ける最悪の結末——二人はそれを望まない。
「俺は、諦めない!」
意志が重なった刹那——赫と蒼、それぞれの魔法陣がひと際揺らめき、強く煌めく。
それを見た少年は即座に反応した。
『やっぱり魔法で……ううん違う。格闘経験はおじさんのほうが上……だったら——おじさん!』
「あぁん!?」
『僕がさっきのスキルを使います。至近距離ならきっとこの犬も怯みますし、視力くらいは奪えます! その隙に右腕を引き抜いてください。そしたら僕は——身体の主導権を全て任せて、おとなしく寝ます。それなら腰も入るし、ぶっ倒せますよね? 古臭い気合いってやつで。どうです、おじさん?』
ぶつかる意志の冷気と熱気。
少年の煽りが、中年男の心に火をつけた。
「言うねぇ……上等だ、安い挑発だが乗ってやろうじゃねぇか! だが、まずお前の名前を教えろ」
『——リョウです! 涼!』
「リョウだと? 勘弁しろよ……俺も遼、名前被りじゃねぇか」
『それは……最悪です』
「はん! 誰が寝かすか、最後まで見とけ! ——リョウ。まずはお前のだっせぇ技を、クールに決めてみろ!」
生存というただ一点のみ、思考の同期が臨界突破した。
青年が不敵に口角を上げたとき、虹彩が赤と青の左右非対称に変化する。
廃棄場を紺碧に染める術式の閃光——
主導権がスイッチバックし、反撃の狼煙が上がった。





