1-15 サンタルシアの古物商
商人が忙しく行き交う貿易の街、サンタルシア。
大陸南部にあたるこの街は、長らく海を隔てた対岸の国、砂漠の王が治める異教徒の街として知られていた。
森の王が神の導きでそれを追いだし、王国の「聖なる街」となって百年。
争いも過去となり、今は砂漠の地との貿易も絶えない。
大河を登って街の中心へ物資を運ぶ帆船は、潮の香りを風に載せる。強い日差しを照り返す白い街並み、窓辺を飾る鮮やかな花々。異国情緒あふれる華やかな街──。
──の、北端。
ここは街の中心から遠く外れた、娼婦と貧民、奴隷、そして訳あり者がたむろう、外れの地。
街の住人は「外界」と呼ぶ。
その外界で古物商を営む少女ヤマメル。
彼女は今日も独りで店番をしている。
いや、独りと一羽。黒羽の鴉、ロキ。
客もまばらな裏路地を、日がな一日ぼんやり眺めるヤマメルの平穏な日々は、一人の迷惑な客によって終わりを告げようとしていた──。
「では今度こそ、正しい値でひき取らせて頂こうか」
人は美しいものを見ると、愚かしくも無防備に、それを善いものだと信じたくなるようだ。
ヤマメルはボロボロの鞘に納められたひと振りの剣と、自信満々にこちらに微笑む男の美顔を見比べて、思わずため息をついた。
★
ことの起こりは1週間前──。
「暇だわね」
カウンターに肘をつき、ヤマメルはいつもの如く表通りをぼんやりと眺めていた。
午後になってやっと動きだした娼館街は、店へ品物を運ぶ物売りやら、女たちの身支度をする奴隷やらで賑わい始める。
そんな娼館街と貧民街を繋ぐ、ここは裏路地に面した古物商。
裏路地の角からわずかに見える表通りとは裏腹に、店の前は静かなものだ。
「今日も今日とて客はなし」
閑古鳥ならぬ、飼い鴉のロキが気まぐれに鳴く声がまた侘しげで。
そんな見飽きた店先に、
「ほら、ここなら店もボロいしきっと買ってくれるよ」
突然、快活な声が滑り込んでくる。
続いて見た目もまた華やかな男女が入ってきた。
失礼なことを店先で言ってくれたのは男のほう。
ヤマメルが立ち上がってもまだ見上げる程背が高い。
細身だがしっかりと鍛えられた体つき。
手首や足首を飾る、派手だが安っぽい装飾品の数々。
必要以上に露出の多い異国風の姿は男娼のそれ。
顔立ちは整っているが、貼り付けたような笑みを浮かべ、隣の女性のご機嫌取りに忙しい。
女も男と釣り合う程には背が高い。
商家のお嬢様といった身なりだが、それにしては紅が少々──。
「ねえ、これいくらで買ってくれる?」
ヤマメルが客の素性に気を取られているうちに、二人が目の前まで来てしまった。
隣の女に媚びた笑みを向けつつ、男が手にした長剣をヤマメルの前に置く。
「こんなボロボロな剣、本当に売れるのかしら」
「大じょーぶ。ここは『外界』だよ? その辺の草でも金になるさ」
不安そうな女を丸めこむように、男が甘い声で女の耳を擽った。
女のほうもまんざらではないようで、ほんのり頬を赤らめる。
どちらもヤマメルのことなど眼中にない。
(まあ確かに)
街の北を占める貧民街と花街を、街の連中はまとめて『外界』と呼ぶ。
食い詰め者の多いここでは、正しい店で売れば道端の雑草にさえ値がつく。
「拝見します」
こういう客はたまに来る。
大抵は男で、一夜の遊び代にと持ちこんでくるのだが、どうも今回は女のほうの持ちこみらしい。
(男娼に騙されて家の剣を持ち出しました、と)
頭を巡らせつつ、出された剣を鞘から引き抜き、そこでヤマメルの手が止まった。
「いくら出せる?」
男が急かすように尋ねるも、数秒無言で考えをめぐらせたヤマメルは、一言。
「買い取れません」
男の顔を見上げ、はっきりと断わった。
「はぁ? よく見てくれた? 買い取れないってことはないでしょ」
「そう言われましても……」
まさか断られるとは思っていなかったのだろう。ヤマメルの返答に、男が笑みを消して詰めてくる。
倍近い身長差のある男を前に、ヤマメルは再度、手元の剣を見た。
確かに木製の古い鞘や柄と違い、中の刃はよく手入れされていて美しい。
「お嬢ちゃんじゃ話にならない、店主を呼べよ」
渋るヤマメルを役立たずな留守番役とでも思ったのだろう。
男が不機嫌な声を上げるが、ヤマメルは全く動じない。
「店主は留守でいません。ひと月ほど待てば戻るかと」
視線も逸らさず答えると、店の端でロキが「カッカッカ」と笑うように鳴いた。
それが本当に嘲笑なのだと知っているヤマメルは、じろりとにらんで黙らせる。
まあロキが笑うのも無理はない。この店の店主はヤマメル本人なのだから。
だがそんなこと、この男が知るよしもない。
はた目には「物の値も分からぬ無知な少女」にしか見えないだろう。
そして男には、「今すぐこの剣を女に売らせないと困る」理由がある。
ハーっと大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせた男は、屈んでヤマメルに視線を合わせ。
「よく見てろよ」
そのままヤマメルの手から剣を取り、自分の髪を数本掴んで刃の上を滑らせた。
「刃はよく研いであるし、こんなに良く切れる」
するとまるでなんの抵抗もなく、髪先がはらはらと床へと落ちる。
「どうだ?」
美麗な顔を近づけながら、物を知らない小娘に教えてやったと自信ありげに笑う男に、
「……ダメです。これは買えません」
一瞬の間をおいて、ヤマメルがまたも同じ答えを返した。
「もう行きましょうリオ。やっぱりこんなボロボロの古い剣……」
取り付く島もないヤマメルの様子に、女が不安そうに剣に手を伸ばす。
「いや待って、もう少し──」
それをリオと呼ばれた男がなだめようと声をかけ──
「もしどうしてもお金が必要でしたら、裏の質屋に持ち込まれてみてはいかがですか?」
──二人に被せるようにヤマメルが口を挟んだ。
あけすけな少女の横やりに、一瞬顔を見合わせた二人は無言のまま、視線でお互い何かを探りあい。
「全く。価値の分からない小娘だ。仕方ない、その質屋へ行ってみよう」
剣を差しだすと、女がそれを受け取り、大事そうに抱える。
そのまま振り返りもせず、二人は店を出て行った。
二人の影が店先から消えると、ロキが黒い翼をはためかせてヤマメルの肩に止まる。
『買っちまえばいいのニ』
ヤマメルしかいない店内に、もう一つ少年のような声が響く。
「そういうわけにはいかないよ」
肩に止まったロキの背を優しく撫でつけつつ、店裏の暗い通路を抜けて質屋へ向かう。
先ほど男に紹介した質屋もまたヤマメルの店だ。
表通りを迂回する彼らより先に、店番に一声かけに行く。
「世の中には、買っていいものと、悪いものがあるの。あれは絶対だめ」
『でも質屋では引き取るんダロ』
「それは買うのとは違うのよ」
にっこりと笑んだヤマメルが、イタズラっぽく片目を瞑ってみせながら、
「質屋なら、国宝級の剣だって日銭で預かることができるもの」
そう言ってから、ふと顎に指をあてる。
「彼の右耳で光っていた紅玉だけなら、なんとか買い取り出来たかしら?」
くすくすと笑う少女の瞳は、新しいおもちゃを見つけた子供のように、楽し気に輝いていた。
★
「ヤマメル様」
しばらくして、質屋を任せているタルデスが、先ほどの剣を手に裏から顔を覗かせる。
「ご指示の通りお預かりした剣ですが、どこに保管しましょうか」
「そうですね、一旦、そちらの店の倉庫に入れておいてください。今日は客足も少ないですし、早いですが店を閉めていいですよ」
「わかりました」
早く帰れるのが嬉しいのだろう。
それだけ聞くと、男は剣の預かり証だけ渡して、いそいそと裏へ戻っていく。
『タルデスに説明しなくてイーのかヨ』
「知らないほうが幸せなこともあるわ」
ヤマメルも立ち上がり、店じまいを始めた。
テキパキと店先の天蓋を外し、外に広げていた小物を積んでしまい込む。
狭苦しいヤマメルの店を閉めるのに、大した時間はかからない。
「どの道、今夜は私とあんたでお出迎えよ」
『カラス使いが荒いよなァ、ウチのお嬢様ハ』
「なにを今さら」
肩に止まるロキと話しながらも、ヤマメルは手を止めない。
店の大きさに不釣り合いな分厚い扉を閉じると、店内の明かりは隙間から差し込む陽射しのみ。
それでも南国の日差しは強く、目が慣れれば充分、店内を照らしてくれる。
手慣れた様子で閂を差し、金箱を手に裏路地の急な階段を上がって扉を開いた。
二階は下の店二軒分なので少し広い。
「食べ過ぎないでよ」
まっすぐ自分の餌箱に飛んで行くロキに後ろから声をかけながら、ヤマメルも朝に作りおいたパンと腸詰で夕食を済ませる。
そして夜半過ぎ。
窓から流れ込む涼風に髪をあおられながら、揺れるランプの明かりで帳簿をつけていたヤマメルが、突然顔を上げた。
ロキも気づいたのだろう。止まり木から滑空し、するりとヤマメルの目前に着地する。
そこでブルリと羽ばたくと、艶やかな羽の間から真っ暗な影が滲みだし、ロキの全身を包み込んでいく。
モクモクと伸びる影の中から、ヤマメルより少し年上の青年が姿を現した。
黒髪の頭を行儀よくさげた青年に、ヤマメルが眉をひそめる。
「ロキ、あなたやっぱり太ったでしょ」
「太ったんじゃない、背が伸びたの! 成長してるの!」
ヤマメルの的外れな指摘に鼻を鳴らすロキ。すっかり背丈を超えてしまった主人を見下ろし、補足する。
「お歳をめさないお嬢様とは、こちとら生きる時間が違うんでね」
「『成長』ねぇ。確かに私には縁のない言葉だわ」
声をひそめ、二人が向かうのは隣の部屋。
その一角で床に跪いたヤマメルが、おもむろにカーペットを捲った。
『早くしろ』
途端、床に開けられた小さな穴から階下の音がはっきりと聞こえだす。
穴を覗けば、倉庫に差し込む月明りの下、なにか物色している者たちの姿が見えた。
「ロキ」
「分かってるって」
ロキがまたもその姿を闇に溶かし、穴を抜けようとしたその時──
「そこで何をしている!」
──突然階下に怒声が響いた。
予定外の乱入者に驚きながらも、一瞬瞬いた赤い輝きをヤマメルは見逃さない。
その迷惑な客の素性に気づいてしまったヤマメルは、思わずその場で頭を抱えるのだった。





