1-10 冴えないオッサンが女子小学生をプロ棋士に育てる話、聞く?
かつて囲碁のプロ棋士を目指していた俺、丸山創一は、現在実家の弁当屋を手伝う毎日を送っている。
そんな俺は、碁会所に弁当を届ける度に客と対局させられていたが、ある日碁会所に一人の少女が現れる。
その子の名前は春瀬小雪。碁会所のオーナーのお孫さんだ。
彼女は、囲碁を学ぶ院生になる為、祖父であるオーナーに身元保証人になってほしいと頼み込む。
小雪ちゃんがプロを目指す事に反対しているオーナーは、彼女が対局で俺に勝ったら身元保証人になると言い出し……。
これは、俺が一人の少女ををプロ棋士に導くまでの物語。
「春瀬さん、弁当持ってきましたよー!」
俺、丸山創一がそう言って雑居ビルの一室に入ると、受付にいた春瀬信夫さんは笑顔で答える。
「おお、来たか、創一君! ささ、弁当は俺が持つから、早く席に着いて。植村さんが君と勝負したがってるんだ」
俺は、弁当の入ったビニール袋を春瀬さんに渡すと、植村さんの向かいにあるパイプ椅子に座った。春瀬さんと同じ六十一歳だという植村さんは、ニコニコと笑いながら言う。
「よし、創一君、勝負だ! 今日は負けないぞ!」
俺と植村さんの間にある机には、大きな碁盤が置かれている。そう。ここは、碁会所だ。
俺の実家は弁当屋を営んでいて、昔からの知り合いである春瀬さんは、よく俺に弁当の配達を頼む。
俺はプロ棋士を目指していた事があるから、碁会所に弁当を届けたついでに客との対戦をお願いされるのだ。
一応俺は弁当屋の従業員になるのだが、両親は配達から戻るのが遅い俺に何も言わない。
◆ ◆ ◆
「あー、今日も勝てなかったかー!」
対局が終わった後、植村さんが苦笑して言う。白の碁石を持った俺が、僅差で植村さんに勝ったのだ。
「いやあ、植村さんもお強い。もう少しで俺が負けるところ……」
俺が言いかけた時、碁会所のドアがバンという音を立てて開かれた。そして、大きな声が響き渡る。
「おじいちゃん、今日こそプロ棋士を目指す事を認めてもらうわよ!!」
見ると、ドア付近には一人の少女が立っていた。水色のパーカーに白いスカートの女の子。長い髪をツインテールにしている。ランドセルを背負っているから、小学生だろう。
春瀬さんは、その子の方に向き直ると、困ったような顔で言った。
「小雪。お客さんがいるんだから大きな声を出すんじゃない。それと、プロ棋士になれるのはほんの一握りの人間なんだぞ? そんな不確かな道に行くより、堅実に勉強していい大学に行く方がいいんじゃないか?」
その後も、春瀬さんと小雪という少女はしばらく言い合いをしていた。それを聞くところによると、小雪ちゃんは春瀬さんの孫らしい。そして、小雪ちゃんは囲碁のプロ棋士になりたいと思っているが、春瀬さんはそれに反対しているのだ。
プロ棋士になる場合、ほぼ全ての子供は公益財団法人日本棋院または一般財団法人関西棋院の「院生」となる。院生となるにはいくつかの提出書類や試験があるが、やはり身元保証人は必要。
小雪ちゃんの場合は、両親がおらず春瀬さんと二人暮らしなので、彼女は春瀬さんに保証人を頼むしかないのだ。
「ねえ、私、どうしてもプロ棋士になりたいの! お願い、おじいちゃん! 身元保証人になって!!」
小雪ちゃんは、目に涙を溜めて必死に叫んだ。そんな彼女を見た春瀬さんは、腕組みをして黙り込んでしまう。そして、チラリと俺の方を見ると、とんでもない事を言った。
「そうだな……じゃあ、そこにいる丸山創一さんと今から対局しなさい。お前が彼に勝ったら、身元保証人になってもいい」
「はあっ!?」
俺は思わず声を上げた。何で俺を巻き込むんだ!
小雪ちゃんは、ジロリと俺を睨みながら言う。
「は? 誰、この冴えないオッサン」
オッサン!? 俺はまだ三十五歳……いや、三十五歳はオッサンか。
俺は密かに落ち込むが、春瀬さんは何故か胸を張って言葉を続ける。
「失礼な口の利き方をするんじゃない! この創一君は、プロ棋士ではないが、アマチュアの大会では負け知らずの実力者だぞ! この碁会所の常連も、創一君に勝てた試しが無い!」
「へえ、このオッサンがねえ……」
小雪ちゃんは、しばらく俺をジロジロと見た後、ニンマリと笑って言った。
「分かったわ。このオッサンと勝負しようじゃない。私が勝ったら、身元保証人になってよね、おじいちゃん」
なんでこんな事になった……。俺は、額に手を当てながらチラリと小雪ちゃんを見る。自信に満ちた目。俺に勝てると思っているのだろう。
でも、プロの世界は甘くない。俺に勝てる程度ではやっていけない。下手に院生になって後で挫折を味わうくらいなら、今この子に現実を教えた方が良いんじゃないか?
まあ、とにもかくにも、この子の実力を知る必要がある。
俺は、溜め息を吐くと、小雪ちゃんの方を向いて言った。
「……じゃあ、一局打とうか、小雪ちゃん」
◆ ◆ ◆
俺が白番、小雪ちゃんが黒番で勝負が始まった。囲碁は、一言で言うと交互に石を置いて陣地を取り合うゲーム。お互い数手打った所で、俺から見て碁盤の手前には白の陣地、向こう側には黒の陣地が出来つつある。
小雪ちゃんは、白の陣地を分断させようと、白石の間にある空白地帯に黒石を打って来る。中々攻撃的だ。
俺も黒の陣地を分断させようと向こう側に白石を打つけれど、簡単には分断されてくれない。逆に、打ち込んだ白石が孤立してしまった。
この子、強いな。
しばらくすると、別の白石が黒石に取られそうになる。この白石を取られると致命的なので、俺は逃げようと新たに白石を打った。
小雪ちゃんは、不敵な笑みを浮かべて言う。
「逃げても無駄よ。逃げた先にも黒石が……」
言いかけた小雪ちゃんが固まった。彼女の笑みが一瞬にして消える。
確かに、白石が逃げた先には黒石がある。しかし、その黒石に辿り着く――行き止まりになる前に、逃げた白石は別の白石と合流できるのだ。そう、先程孤立してしまったあの白石。
俺は、真剣な顔で言った。
「視野を広く持て、小雪ちゃん。死んでいると思われる石にも目を向けろ。追い詰めたつもりになって油断すると足元を掬われるぞ」
小雪ちゃんの額に汗が浮かぶ。これ以上白石を深追いすれば、黒の陣地が大幅に削れてしまうのが分かったのだろう。
しばらく考える様子を見せた後、小雪ちゃんはギリッと唇を噛んで言った。
「……参りました」
逃げる白石を取れないのなら、白の陣地を削る事は不可能と考えたのだろう。的確な判断だ。
俺も、頭を下げると落ち着いた声で言った。
「ありがとうございました」
◆ ◆ ◆
対局後、小雪ちゃんはグスグスと涙声で言った。
「……まさか、こんなオッサンに負けるなんて……。いや、もうオッサンだなんて呼べないわね。創一先生、対局ありがとうございました」
「先生!?」
さっきまでオッサンオッサン言ってたのに、切り替えが早いな。……まあ、相手を尊重した呼び方が出来るのは良い事だ。
小雪ちゃんは、涙目のまま言う。
「……でも、負けちゃったらおじいちゃんに身元保証人になってもらえない。私、どうしてもプロ棋士になりたいのに……!!」
「……なんでそんなにプロ棋士になりたいんだ?」
俺が聞くと、小雪ちゃんは真っ直ぐと俺を見て答えた。
「憧れている人がいるの! その人、プロ棋士で……。その人の隣に立てるようになりたいの! その人に、認められたいの!!」
俺は、目を見開いた。彼女の真剣な顔が、昔の俺と重なる。俺にも、憧れている棋士がいた。その人の隣に立つに相応しい自分になりたいと思っていた。
俺は、ギュッと拳を握る。現実を教えるのは簡単だ。でも、今この子を突き放して良いのか? 後悔しないか?
気が付くと、俺は小雪ちゃんに問い掛けていた。
「……プロの世界は、君が思うよりずっと厳しい。もしかしたら、地獄を見る事になるかもしれない。……それでも、プロになりたいか?」
小雪ちゃんは、力強い瞳で俺を見ながら頷いた。俺は、春瀬さんの方に向き直って口を開く。
「……春瀬さん。小雪ちゃんが院生になる事を、認めてくれませんか? この子には、ちゃんとした覚悟がある」
春瀬さんは、少し考えた後、俺の方を見て言った。
「……分かった、認めるよ。小雪の身元保証人になろう。でも、一つ条件がある。院生になるには、身元保証人だけじゃなく推薦人も必要なんだってね?……創一君、君が小雪の推薦人になってくれないか」
「……へ?」
俺は、間抜けな声を上げて固まった。
確かに、俺には推薦人になる資格がある。2040年の現在、推薦人になる資格が緩和されているからだ。
以前はプロ棋士か、志願者に指導している囲碁教室の先生しか推薦人になれなかった。しかし現在、囲碁を嗜む人口は年々減ってきている。
危機感を覚えた業界は、アマチュアの大会等で実績を上げた者にも推薦人の資格を与える事にしたのだ。
小雪ちゃんが、キラキラした目でこちらを見て言う。
「そうよ、創一先生が推薦人になってくれたらいいじゃない! 私はほぼ独学で囲碁を勉強してきたから、ついでに私の師匠になってよ!」
「ついでって……」
戸惑いながら、俺は小雪ちゃんを見る。……まあ、乗りかかった船だ。それに、春瀬さんに保証人を頼んだ責任もある。やってやろうじゃないか。
「……分かったよ。院生になるまで、俺が面倒見てやる。覚悟しろよ、小雪」
「はい、創一先生!」
小雪が、満面の笑みで答える。
俺は、ふと気になった事を尋ねた。
「そういや、小雪。お前が憧れているプロ棋士って誰だ?」
すると、小雪はスマホを取り出し、とある画像を呼び出して俺に見せた。
「この人だよ、月島皇成九段」
俺は目を見開いた。スマホに映っていたのは、今を時めくプロ棋士の月島皇成。――俺がプロ棋士になるのを諦める原因となった人物だった。





