雨の約束 第二話 「15年前の約束」
警察署の窓を雨が叩いていた。
神崎玲司は机の上の写真を見つめる。
若い頃の自分。
そして隣で笑う男。
雨音誠。
親友だった。
神崎は小さく息を吐く。
玲司:「似てきたな」
雫の顔を思い出す。
笑った時の目元。
困った時の表情。
誠によく似ていた。
だからこそ。
思い出す。
あの日々を。
⸻
玲司が誠と出会ったのは二十年以上前だった。
警察署。
新人刑事だった玲司は誰とも話さなかった。
必要なことだけ話す。
それ以外は黙る。
昼休みも一人。
飲み会も断る。
同僚達からは近寄り難いと思われていた。
そんなある日。
誠:「飯行くぞ」
突然だった。
玲司:「行きません」
誠:「行くぞ」
玲司:「帰ります」
誠:「帰らせない」
玲司:「……」
誠:「ラーメン奢る」
玲司:「……」
誠:「チャーシュー追加してやる」
玲司:「……」
誠:「落ちたな」
玲司:「落ちてません」
結局。
玲司は連れて行かれた。
⸻
誠はよく笑う男だった。
後輩にも優しい。
上司にも噛み付く。
困っている人を見ると放っておけない。
玲司には理解できなかった。
誠:「お前、もっと頼れ」
玲司:「必要ありません」
誠:「ある」
玲司:「ありません」
誠:「ある」
玲司:「……」
誠:「あるって」
玲司:「しつこいですね」
誠は楽しそうに笑った。
玲司にはその笑顔が少し眩しかった。
⸻
玲司は父親が嫌いだった。
酒を飲む。
怒鳴る。
殴る。
家に帰るのが怖かった。
だから高校卒業と同時に家を出た。
誰も信じない。
誰にも頼らない。
そう決めていた。
だが。
誠だけは違った。
誠:「飯食ったか?」
誠:「寝てるか?」
誠:「また無理してるだろ」
玲司:「してません」
誠:「嘘つけ」
玲司:「……」
誠:「顔見りゃ分かる」
その言葉が不思議と嫌じゃなかった。
⸻
数年後。
玲司は一人の女性と出会った。
結婚した。
子供もできた。
人生で初めて幸せだと思った。
誠も自分のことのように喜んだ。
誠:「良かったなぁ!」
玲司:「うるさいです」
誠:「娘だったら俺に懐かせろよ」
玲司:「嫌です」
誠:「なんでだよ」
二人で笑った。
あの頃は。
ずっと続くと思っていた。
⸻
幸せは突然終わった。
事件だった。
報復だった。
妻は殺された。
お腹の子供も命を落とした。
玲司は壊れた。
何も感じなかった。
涙も出なかった。
ただ。
生きているだけだった。
⸻
そんな玲司を放っておかなかったのが誠だった。
誠:「飲みに行くぞ」
玲司:「行きません」
誠:「行くぞ」
玲司:「……」
誠:「今日は奢りだ」
玲司:「……」
誠:「高い肉食うぞ」
玲司:「金の無駄です」
誠:「いいから来い」
無理矢理連れて行かれた。
居酒屋だった。
誠は酒を飲みながら言った。
誠:「泣きたい時は泣け」
玲司は黙っていた。
誠:「辛い時は辛いって言え」
玲司は何も答えない。
誠:「一人で抱え込むな」
その時。
玲司は初めて泣いた。
声を上げて泣いた。
子供みたいに。
誠は何も言わなかった。
ただ隣に座っていた。
⸻
その数年後だった。
誠は事件で死んだ。
玲司は信じられなかった。
霊安室。
白い布。
眠るような顔。
誠らしくないと思った。
今にも起き上がって、
『飯行くぞ』
と言いそうだった。
誰もいなくなった後。
玲司は一人残った。
そして。
静かに呟く。
玲司:「誠」
返事はない。
当たり前だ。
もういない。
玲司は目を閉じた。
そして約束する。
玲司:「お前の娘は俺が守る」
誰にも聞かれない約束だった。
⸻
それから十五年。
小学校の入学式。
ランドセルを背負う雫。
遠くから見た。
中学校の卒業式。
友達と笑う雫。
遠くから見た。
高校の文化祭。
クラスメイトと楽しそうに笑う雫。
遠くから見た。
大学の入学式。
緊張した顔で歩く雫。
遠くから見た。
声は掛けなかった。
約束しただけだったから。
見守るだけで良かった。
それで十分だった。
⸻
だが。
十五年目の春。
一枚の資料が机へ置かれる。
玲司は目を通した。
そして表情が消える。
そこに書かれていた名前。
雨音誠を殺した男だった。
刑期満了。
出所。
玲司は資料を閉じる。
窓の外では雨が降っていた。
玲司:「……始まったか」
静かな声だった。
だが。
その目だけは鋭かった。
約束を守るために。
今度こそ。
誰も失わないために。
【第三話 雨の約束へ続く】




