雨の約束 最終話 「雨の約束」
第三話 雨の約束
ある日の夕方だった。
雫のポストに一通の封筒が届く。
差出人はない。
中には写真が入っていた。
血を流して倒れている男。
雨音誠だった。
十五年前の事件現場。
そして一枚の紙。
『父親の死の真実を知りたければ来い』
港の倉庫街。
午後七時。
雫は写真を見つめる。
震える指。
怖い。
行くべきじゃないと分かっていた。
それでも、知りたかった。
父が最後に何を見たのか。
何故死ななければならなかったのか。
雫は机にメモを残した。
『もう逃げたくない』
そして家を出た。
⸻
倉庫の中は暗かった。
雨漏りの音だけが響いている。
奥から男が現れる。
父を殺した犯人だった。
犯人は笑った。
「奥さんが死んだ時」
一歩近付く。
「子供が死んだ時」
さらに近付く。
「お前、壊れたよなぁ?」
玲司の拳が震える。
犯人は楽しそうだった。
「死んだみたいな顔してた」
「酒ばっか飲んでた」
「仕事しか出来なかった」
「最高だったよ」
雫の顔から血の気が引く。
犯人は続ける。
「あのクソ刑事が死んだ時もそうだ」
玲司の目が揺れた。
「苦しそうだったなぁ」
「辛そうだったなぁ」
「でも立ち上がった」
犯人の笑みが歪む。
「それが気に入らなかった」
「なんで立ち上がるんだ?」
「壊れたなら、そのまま壊れてろよ」
犯人がナイフを構える。
玲司は雫の前へ立つ。
玲司「後ろにいろ」
雫は震えていた。
それでも頷く。
二人がぶつかる。
激しい音。
雨音。
荒い呼吸。
犯人は笑っていた。
遊んでいるようだった。
人を傷付けることが。
人が苦しむことが。
心の底から楽しいのだ。
⸻
その時。
雫が足を滑らせた。
犯人の目が向く。
そして。
笑った。
「あぁ」
恍惚とした声だった。
「そうか」
玲司の顔色が変わる。
犯人は雫を指差した。
「お前の弱点はそっちか」
玲司:「やめろ」
「なるほどなぁ」
玲司:「やめろ」
「お前が死んでも面白くない」
玲司:「やめろ!!」
犯人は狂ったように笑った。
「そっちが死ぬ方が面白い」
「また壊れる顔が見たい」
犯人が駆け出した。
真っ直ぐ雫へ。
玲司は迷わなかった。
飛び込む。
鈍い音。
世界が止まる。
⸻
ナイフは玲司の胸に深く刺さっていた。
雫:「玲司さん!!」
血が広がる。
玲司が膝をつく。
犯人は笑った。
「はは……」
小さな笑い。
「ははははははは!!」
狂ったような笑い声。
「やっとだ!!」
「やっと見られる!!」
「全部失った顔が!!」
「絶望した顔が!!」
犯人は興奮で震えていた。
十五年間。
ずっと見たかったもの。
ようやく見られると思った。
しかし、玲司は笑った。
犯人の顔が固まる。
「……は?」
⸻
玲司は雫を見る。
優しい目だった。
十五年間。
ずっと見守ってきた目だった。
玲司:「約束、守れたよ」
犯人の顔から笑みが消える。
「なんでだ」
玲司:「今度は」
少しだけ笑う。
玲司:「間に合った」
犯人は理解できなかった。
玲司は壊れた。
何度も壊れた。
妻を失った時。
子供を失った時。
親友を失った時。
その度に倒れた。
苦しんだ。
泣いた。
逃げたくなった。
それでも、立ち上がった。
何故なら。
手を引いてくれる人がいたからだ。
『飯行くぞ』
玲司の脳裏に。
あの日の笑顔が浮かぶ。
『泣きたい時は泣け』
『一人で抱え込むな』
『お前は一人じゃない』
誠の声だった。
玲司は弱く笑う。
玲司:「なぁ誠」
雨音に消えそうな声。
玲司:「ちゃんと守れたぞ」
犯人は叫ぶ。
「違う!!」
「そんな顔するな!!」
「苦しめ!!」
「絶望しろ!!」
「壊れろよ!!」
でも、玲司はもう犯人を見ていなかった。
雫だけを見ていた。
雫は玲司の手を握る。
涙が止まらない。
雫:「死なないで……」
玲司は微笑んだ。
震える手が雫の頭を撫でる。
父によく似た温もりだった。
玲司:「立派になったな」
雫は声を上げて泣いた。
玲司は目を閉じる。
玲司:「俺は親になれなかった」
かすれた声。
玲司:「でもな」
少しだけ笑う。
玲司:「娘がいた気分だった」
それが最後の言葉だった。
***
数ヶ月後。
雫は二つの墓石の前に立っていた。
雨音誠。
神崎玲司。
花を供える。
風が吹く。
空は晴れていた。
血の繋がりはなかった。
それでも。
私には父親が二人いた。
一人は生まれた時から私を愛してくれた父。
そしてもう一人は。
十五年間。
遠くから私を見守り続けてくれた父だった。
帰ろうとした時。
ぽつりと雨が降った。
雫は空を見上げる。
そして微笑んだ。
雫:「心配しなくていいよ」
父へ。
玲司へ。
雫:「ちゃんと生きていくから」
雨は静かに降り続いていた。
まるで二人が遠くから見守っているように。
***
一年後。
雫は社会人になっていた。
仕事帰り。
オフィスにはまだ灯りが残っている。
帰ろうとした時だった。
一人の新人社員がデスクで俯いていた。
目元が赤い。
泣いていたのだろう。
雫は足を止めた。
雫:「どうしたの?」
新人は慌てて顔を上げる。
新人:「すみません……」
新人:「私、この仕事向いてないかもしれなくて……」
雫は少しだけ困ったように笑った。
どこか懐かしい気持ちになった。
雫:「大丈夫ですよ」
新人:「根拠あります?」
雫:「あります」
新人は不思議そうな顔をする。
雫は窓の外を見た。
雨が降っていた。
あの日と同じように。
雫:「昔、そう言ってくれた人がいたんです」
新人:「その人は?」
雫は少しだけ考えた。
そして微笑む。
雫:「とても優しい人でした」
***
帰り道。
雨が降っていた。
雫は傘を開く。
昔なら振り返っていたかもしれない。
あの黒い傘の男を探して。
でも今は違う。
もう探さない。
もう振り返らない。
前を向いて歩いていく。
二人が守ってくれた未来を。
ちゃんと生きていくために。
雨は静かに降り続いていた。
まるで二人が笑っているように。
✄-----完結-----‐✄
しぐれ:短編の詳しいバージョンです。
皆さんお父さん大切にしましょう!
最後まで拝読ありがとうございました<(_ _)>




