第29話 亡霊たちの無鳴のコーラス
~レオン~
その魔人は、長い長い慟哭の後で、半身を失った女の魔人と修羅の如き強さを誇ったあの魔人の亡骸を抱きかかえていた。
おれは、その女の前に歩み寄った。
おれなりには随分迷ったが、他に手持ちが何もなかったので、自分のジャケットを脱いで蹲る女の肩に掛けた。
暖かい季節とは言え、夜はまだ冷える。
それにこの女のドレスは先ほど半身を失った魔人に割かれていたし、恐らくもっと前からズタズタで、ほとんど服としての役割をはたしていなかったからだ。
この女の全てをこの手で奪っておいて、今さら何をしている、とは、我ながら思う。
けれど、女は拒絶するでもなく受け入れるでもなく、ただ、そのまま動かなかった。
「……その女は、あんたを殺そうとしていたように見えたが」
聞かなくてもいいのに、いや、聞かないほうがいいのに、どうしてもおれは聞かずにはいられなかった。
あの修羅の怪物との関係は良く分からない。
けれど、少なくとも半身を失った魔人は、この女に散々呪いの言葉を吐き、最後には殺そうとしたように見えた。
にも拘らず、この女があの修羅と同じくらい、半身を失った魔人をもこの上なく大事そうに抱きしめているその理由を、どうしても聞きたいと思ってしまったのだ。
「あなたにレノラの何が分かるの……」
女は俯いたままそう言った。
「……レノラは、この国で一番優しい人……少し臆病で心配性で……でも誰よりも上品で優雅で……そして愛に満ちた人だった」
「……」
死ぬ間際の形相からは、とてもそうには見えなかった。
「そう……か」
けれど、さすがにこれ以上聞くことは、おれの理性が止めた。
そもそも本当は最初から聞くべきではなかった。分かっている。
決して分かり合えぬ邪悪な魔物でいてくれたほうが、どれほど救われることか。
女の言う通りなら、レノラと言う魔人を変えたのは他ならぬおれ達だ。
——それにこの女のこの恰好は。
今は見る影もないが、元は純白のドレスだったのではないか。
今日、この女がこのドレスを纏っている理由はなんだ。
……これが「邪悪な儀式」だと?
「レオン」
『学者』が静かな声でおれの名を呼んだ。
心配そうに俺の顔を見る。そしてゆっくりと首を振った。
分かっている。
彼らを知れば知るほど、おれはきっと、剣を握れなくなる。
けれど今、歩みを止めるわけには行かない。
ジェラルドは死んだ。
ザックも死んだ。
今日の戦いで死んでいった二千の命を『過ち』にはできない。
おれは『学者』の目を見て、「大丈夫だ」と頷いた。
そしてもう一度、おれの前で蹲る女に向き直った。
感情を殺し、心を殺して、淡々と事務的に問う。
「……魔王の……娘だな?」
女は二人の魔人の亡骸を抱きしめたまま、顔を上げずに呟く。
「父は……?」
「……死んだ」
女は僅かに顔を上げ、そしておれの右手の剣に視線を向けた。
それは黄金色に輝く短剣。
魔王を斃して手に入れた、『黄金の魔剣』だ。
「父を殺して奪ったのね……」
「そうだ。【蒼貌の魔王】は死んだ……俺が殺した」
「……魔王?……魔王って、なに……?」
「……」
「他の……みんなは……?」
「……あんた以外は、みんな死んだ。俺たちが殺した。……仮に生き残りがいたとしても、ここには誰もいない」
おれはこみ上げてきた感情を無理矢理に押し殺して、淡々と答えた。
「……どうして?」
「……」
「……どうして殺したの……?」
「……あんたたちも、おれ達の村の子どもを殺そうとした。おれ達は決して相容れぬ者同士——殺し合う運命だからだ」
魔王の受け売りだった。
でも、全てはおれたちが始めたことではないだろうか。
魔人ではなく、おれたち人間が。
「あなたたちが……みんなを殺した……?」
「……そうだ」
だが、魔王の娘は俯いたまま首を振った。
「ちがうわ……私が……殺したの……」
おれは、その言葉には答えなかった。
いや、とても答えられなかった。
リコとその母親を助けたのは、間違いなくこの女だ。
にもかかわらず、おれたちはこの女を利用して、魔国の場所を突き止めた。
——突き止めて、皆殺しにして、あまつさえその秘宝を奪った。
「……王が死んだ以上、生き残った娘のあんたは唯一の王位継承権者ということになる」
おれは話を逸らすことしかできなかった。
「……最後の女王となって、復讐を望むか?」
そして問うた。
「女王……?私が……?」
「少なくともおれたちの国の尺度ではそうなる。あんたが”王”として決闘を望むなら、おれは受けて立たねばならん。逃げるわけには行かないからだ」
「……『黄金の魔剣』が欲しいのなら……それを抱えて何処へなりとも逃げればいいじゃない……そんなもののために…みんなは……」
「手にした今だからこそ分かる。これは確かにそれなりの魔剣だが、時代を切り拓くほど強力なものではない」
事実だった。
並みの剣よりはるかに切れ味の優れた短剣。
ただ、それだけだった。
「『星の民』を守るためには……この戦争を終わらせるためには、この魔剣をただ持ち帰っただけでは足りない。『魔王』を斃して手に入れたものでなくては、人心はついてこないんだ。人の心を掴めなければ、どのみちおれ達はこの戦に負ける」
そう、それは完全に。
おれたちの、人間たちの都合でしかなかった。
「……あなたは、私を殺したいの……? 」
「殺したいのではない。お前が決闘を望むならおれは逃げるわけにはいかない。それだけだ」
嘘ではなかった。
できるならこの女を殺したくない、と心から思った。
「じゃあ……私と戦いたいの……?」
「あくまでお前が望むのなら、だ」
まるで寛大な英雄のふりをして、おれは判断を、たった今全てを失った娘に委ねた。
「……本音を言えば、できれば戦いたくは、ない。信じてもらえないだろうが、戦うのは好きではないんだ。それに……」
嘘だった。
いや、戦いが嫌いなのは本当だ。
この女を殺したくないのも嘘じゃない。
けれど……
「戦えば十中八九、おれは負ける。負けて死ぬ。あんたはそこの〈戦士〉より……そして恐らく【蒼貌の魔王】より……強い」
「分かっていて、逃げないの……?」
「そもそも魔王に勝てたのも奇跡に近い。それに言ったはずだ。おれがここで逃げたら、その時点でおれたちは戦に負ける。おれには選択肢などない。選択権があるのは……あんただ」
我ながら、本当に卑怯な男だと思った。
「……あなたは死ぬのが怖くないの……?」
「すでに何百もの命をこの手で奪って来た。自分の命など、とうに捨てている」
だが、おれより年下に見えるその女には、あっさりと見抜かれていた。
「……まるで死にたいと……殺してくれと言っているように聞こえるわ……」
「……それはお互い様だろう」
おれは唇を噛み締めてから、辛うじてそう言った。
ともすれば、「もう殺してくれ」と叫び出しそうだった。
「改めて問おう。あんたは仲間の仇を——復讐を望むか?魔の国の最後の女王よ」
そしてまた、卑怯にも判断を娘に——運命に委ねた。
「……みんなの……仇……」
女の脳裏には今、非業の死を遂げた同胞たちの最期の顔が絶え間なく浮かんでいるだろう。
怨嗟の声がとめどなく鳴り響いていることだろう。
まさに、今しがたこと切れた、女型の魔人のそれと同じように。
けれどそれはおれ達も同じ。
死んだ仲間たちの無念の断末魔が、今も耳から離れない。
さながら亡霊たちの嘆きの合唱だ。
彼らは何も言わない。
何も言わないのに、強く強く、訴えかけてくる。
答えは聞かずとも分かっている。
お互い、引くことなどできない。
所詮おれ達は、殺し合う運命。
死んだ仲間たちが——いや、運命が、耳元で囁くはずだ。
戦え、と。
仇を取れ、と。
——殺せ、と。
「……お父様は、ルイーズは……」
やがて、女は俯いたまま、独り言のように呟いた。
「……マルティナは、キロンは、ラーナとサーシャは……そしてレノラは……」
冷気がゆっくりと女の周りを渦巻き始めた。
「……私に復讐を望むかしら……」
——おれは偉大な名君を殺して奪った『黄金の魔剣』を構えた。




