第28話 愛と呪いと母のアリア
~レノラ~
——夜の闇が、世界に満ちている。
街を焼いた炎は、一時の勢いを失い、今は所々で小さな火が燻っている程度だ。
ただ、城だけ。
城だけがまだ燃えている。
赤々と燃え盛っていた。
わたくしは燃える城の前で、愛しい我が子の亡骸を抱きしめていた。
ルイーズは死して尚異形の姿のままだったが、その死に顔は思いのほか安らかだった。
まるでただ、眠っているかのように。
本当は両腕で抱きしめてあげたかったのだけれど、すでに右腕を失ったわたくしには叶わぬ望みだった。
どの道、わたくしももう長くは持たない。
できるなら、せめてこの子を抱いたまま最期を迎えたかった。
——どのくらい、そうしていただろう。
昨日より少しだけ遅く、美しい十六夜月が恥じらいながら昇り始めた頃だった。
あの人が、わたくしの前に現れた。
「……ルイーズ……」
その人は、地獄絵図のこの場にあって尚、美しかった。
あまりにも、美しかった。
それが、今はほんの少しだけ、わたくしには恨めしく思えた。
腕も脚も失い、蒼い血を体からも口からも垂れ流している、品性の欠片もない姿の今のわたくしには。
「姫様……今更、何をしにきたのです?そんな綺麗な恰好をして。滑稽ですわ……あなたの結婚相手など、もうどこにもいないというのに」
だからだろう。
わたくしの口から、そんな言葉が漏れ出たのは。
本当は、綺麗な恰好などとは程遠かった。
花嫁のドレスはところどこが無惨に破れ、ほとんど衣服の体をなしていなかった。彼女の瑞々しい肢体が露になっている。
純白だったはずのそれは、紅と蒼の血が混ざり合い、まるで漆黒のように暗い色になっていた。
それが返り血なのか彼女自身の血なのかも分からない。
けれど、彼女も無傷ではないようだった。
青く美しい肌に、白い杭のようなものが何本も突き刺さったままだ。
それでも尚、姫様はその美しさを一片たりとも損なってはいなかった。
「レノ……ラ……」
「姫様……どうして……どうして人間の子どもなど助けたのです……なぜ……顔も知らぬ娘の母親などに……『月光華』の花弁を与えたのです……」
姫様は私の言葉には答えず、ただ虚ろな目を私の膝の上の恋人に向けていた。
「ルイーズ……は……?」
「……御覧の通り、息子は死にました」
「私が……私が…みんなを…殺した……?」
姫様のそれは、独り言のようだった。
その声にはなんの感情も込こもっておらず、その眼はなんの光も宿していない。
まるで別人のようだと、白い靄が掛かり始めた意識の中でわたくしは思った。
そして姫様のその虚ろな瞳を見て、わたくしはようやく気が付いた。
美しいけれど。今でも恐ろしい程に美しいけれど。
彼女のその顔は以前とは全く別のものになっていた。
生に満ち溢れた眩いばかりの輝きが、消え失せていた。
残っているのは、ただただ、死を想起させるだけの美しさ。
そう。彼女の今のそれは、紛れもなく死相だった。
許さない。そんなことは。
——いや、ちがう。
そうじゃない。
わたくしが言いたいことは。
じわじわと視界が狭く、暗くなっていく。
わたくしは朦朧とする意識を繋ぎ止め、姫様に向き直った。
「姫……様。……良いですか」
わたくしにはもう、残された時間は少ない。
けれど、死ぬ前にこの人に言わねばならぬことがある。
「——!」
だが、私が口を開こうとしたときだった。
誰かが、燃える王城から誰かが出て来た。
陛下では、なかった。
「あれは……!」
「レオン!まだ動ける者がいたようです!」
こちらより、向こうのほうが驚いたようだった。
「……しかもあの魔力は……あの小瓶の……もとの……持ち主です」
「なっ……本当なのか!?しかし、あの恰好は……?」
人間だった。
でも、たったふたりだった。
わたくしのおぼろげな記憶では、百か二百か、そのくらいは王城に侵入して行ったはず。
それに、人間にしては恐ろしくて手強い男が、もう一人いたはずだ。
けれども、出てきたのはたったのふたりだけ。
あの、リーダー格の男と、唯一の魔法使いの男。
「片方はもう戦えないでしょう。しかしひとりとは言え、相手は魔人です。油断してはいけません、一気に——」
魔法使いが手にした杖の先端をわたくしたちに——いや、姫様に向ける。
「まて!……待ってくれ、『学者』」
その手をレオンと呼ばれた男が掴んだ。
姫様は呆然としたままルイーズを見つめている。
人間達には見向きもしない。
もしかしたら、まだ気づいてすらいないのかもしれない。
彼女の心は、すでにここにない。
わたくしは人間達を見て、そして自分の半身に視線を移した。
とめどなく流れ出る蒼い血が、もうほとんど時間が残っていないことを物語っていた。
そこでわたくしは、ひとつの決意をした。
「私が…殺した……お父様を…ルイーズを……」
姫様は焦点の定まらぬ瞳のまま、そう呟いている。
「ええ、そうです……そうですとも、姫……」
わたくしは姫様に向かって、そう言った。
「……あなたが、あなたが殺したのです。みなを……陛下を……そしてルイーズを。愛しい我が息子を……」
「……っ」
ひとこと発するたびに、蒼い血が口から泡のように溢れ出す。
いつもなら、こんな品のないことはしたくない。
死ぬときは、安らかに、穏やかに、そして淑やかに逝きたいと、そう思っていた。
でも、構わない。
もっと大切なことがあると、今、分かったから。
意識が遠のく。
まだよ。
まだダメ。
今意識を失ったら、それが最期になる。
わたくしは必死の形相で目を見開いた。
人間たちが息を飲むのが、気配で分かった。
今のわたくしは、さぞや恐ろしく醜い顔をしているだろう。
——構わない。
「姫よ…お聞きなさい……聞くのです……」
彼らから見れば、わたくしは憎悪に満ちた顔をしているように見えるだろう。
わたくしの言葉は、恨みにかられた呪いの言葉に聞こえるだろう。
——構わない。
むしろ、好都合だ。
「こ…れは…”呪い”……です……姫……私からの……私たち…から……あなた…への」
残った左手を伸ばし、わたくしとルイーズの前でうずくまる姫様の、無惨に破かれたドレスの胸元を掴んだ。
「レノラ……!」
そのまま渾身の力を込めて引き寄せる。
すでにボロボロになっていた黒いドレスがブチブチと音を立ててさらに破れた。
「……自ら死ん…で……楽に…なるな…ど……わたくしは……絶対に……許さ……ない……」
「……!」
喉に血が溢れて、声が出せなくなってきた。
声の代わりに、ごぼごぼと不快な音ばかりが出てしまう。
——構わない。
それでも絞り出すだけだ。
「あなたは……この先何十年…何百年と……地獄を…生きなさい……いつか……あな……たが……自分…を……て……ま……で……」
そこでついに喉が完全につぶれた。
もはや唸り声すら出ない。
目が急速に霞んでいく。
それでも彼女を見ようと、目をさらに見開く。
それはまさしく、悪鬼さながらの形相だろう。
わたくしは震える手を彼女の顔へ伸ばした。
先刻の戦闘のために異形に変えたままのその爪が、彼女の頬を掠める。
姫様はナイフのようなわたくしの爪を受け入れるように、望むように見えた。
まるで祈るように。懇願するように。
——違う。そうではないのよ。
そしてわたくしは、絶命した。
Ψ
~『学者』~
半身を失い今まさに息絶えようとする女型の魔人は、その美しい顔をまさに悪魔のごとく恐ろしい形相に歪め、蒼い血を吐きながら、場違いなドレス姿の魔人を呪った。
呪いながら、つい先刻私たちの仲間を紙切れのように切り裂いたその鋭い爪を、今度はドレス姿の魔人の顔へと伸ばした。
私は、その爪がいともたやすく女の頬と目を抉る光景を予想してしまった。
黒いドレスを着た魔人のほうも、それを避ける風もなく、むしろそうであってほしいと、望んでいるように見えたのは、私の錯覚だろうか。
しかし、半身を失った魔人の左腕は、彼女の頬に触れる直前でふと糸が切れたように力を失い、地に落ちた。
そして、二度と動かなくなった。
その瞬間、ドレスの魔人がまるで最後の望みが断たれたかのような顔をしたのを、私は今でも鮮明に覚えている。
その後、彼女の絶叫が十六夜の月の下でいつまでも響き渡った。




