第23話 散りゆく花たちのキャロル
~サーシャ~
喧騒が大きくなっていく。
今となってはもはや疑いようもない。
この耳障りな甲高い金属音は、剣戟だ。
耳を塞ぎたくなるようなこの悲鳴は、断末魔の絶叫だ。
ふたりの〈戦士〉が武器を手に階下へ向かい、残された私たちは身を寄せ合った。
身を寄せ合って、ただ〈戦士〉たちの帰りを待った。
唐突に、喧騒が止んだ。
そしてしばらくして、塔全体を揺るがす激しい振動。
続く野獣のような咆哮。
激しい怒りに満ちた声。それでいて、切なく悲しい響き。
——果たして、〈戦士〉は確かに帰ってきた。
全身を血に染めて。
「姫様……!!」
扉を乱暴に開いたのは、青い肌の大男。
キロン将軍だった。
戻ってきたのは、彼ひとりだった。
その巨大な体躯を彩るのは鮮やかな紅と蒼。
「キロン!」
「キロン!!」
姫さまとラーナの声が重なった。
——紅い血は、紛れもなく敵がニンゲンであることを示していた。
——蒼い血は、キロンが血を流していることを示していた。
しかも、どちらもすごい量だ。
もとの彼の青い肌の色が分からなくなるくらいに。
いつもの彼より、さらに一回りも二回りも大きな体。
頭には二本の野牛のような巨大な角が生えているし、やけに長い犬歯が口からはみ出している。
そしてその眼は紅く輝いていた。
しかしよく見れば、その目もすでに片方がつぶれている。
左腕も、肩から先が、ない。
そこからドクドクと、今も大量の蒼い血を垂れ流していた。
「キロン……!!」
「姫様!!お逃げください!!窓から泉の方へ……!!」
キロン将軍は叫んだ。
一言ごとに、蒼い血を口から吹き出しながら。
「人間どもです!……やつら、恐ろしい武器を持っている……!マルティナ様も……やつらにやられました!……早く逃げ……」
ドスッ——
突然、彼の逞しい胸から輝く刃が生えた。
「ガフ……ッ!」
犬歯がのぞく大きな口から、また大量の蒼い血があふれ出す。
「キロン!!」
ラーナの悲鳴が室内に反響する。
眩い光を纏う刃がゆっくりと引き抜かれ、キロン将軍の巨体がそのまま室内にうつ伏せに倒れこんだ。
ドスンッ、と鈍い音が響き石造りの床が揺れる。
キロン将軍の背後には、フードを目深に被った白装束の軍勢。
二十人……いや三十人か。
一様に、その手には何故か光を纏う細身の剣を持っていた。
「——やっとくたばったか。手間をかけさせおって。あのメスと貴様のたった二匹に、天下の〈魔女狩り〉が一体何人殺されたと思っている」
白装束の中のどれかひとつが、耳障りな声で忌々しそうにそう言った。
「姫……様……」
けれど、キロン将軍は死んでいなかった。
残った右腕を伸ばし、その手を姫さまに向ける。
そして血走った片目を見開いて、鬼のような形相で、蒼い血を吹きながら声を絞り出した。
「姫様ァッ!!!」
絶叫だった。
「待って!今——」
今助けるから——
姫さまは、きっと、そう言おうとした。
そして、その言葉の通り、彼を救おうとした。
握りしめていた月桂冠から、大切に育てた『月光華』を引きちぎり——
けれど、間に合わなかった。
ドスッ!!
姫さまの目の前で、地面に伏しているキロン将軍の背に、白く細い、杭のようなものが突き刺さった。
長さにして二十センチ程度。
金属と言うよりは白木のような材質だった。
本来なら、そんな小さく脆い針など、『ニヴルヘイム』一の鋼の肉体を誇るキロン将軍にはかすり傷すら与えることはできない筈だった。
それなのに——
「グオオオオオオオオオおぉぉぉあああああああああッ!!!」
キロンの身体が、突然現れた白い炎のようなものに包まれた。
この世のものとは思えないような絶叫を上げる。
姫さまの手から零れ落ちた『月光華』が、白炎の中でいとも簡単に燃え尽きた。
キロン将軍の身体に届くこともなく。
——そしてその爆炎が収まった時、『ニヴルヘイム』の将軍は物言わぬ骸となっていた。
「キロンッ!!!いやあああああああっ——!!」
ラーナが悲鳴をあげた。
「……ふん、往生際の悪い獣めが」
覆面をつけていない白装束の男が鼻を鳴らした。
「しかし笑える話だ。あれだけ無様な醜態を晒してまでメスなぞに縋って助けを求めるとは……図体の割になんとも情け無い最期だったな」
そして口の端を吊り上げて、汚い声で嗤った。
——これが、人間というものか。
「無様……だと……?」
ラーナが呻くように呟いた。
あの子の中で、今、何か、とても大切なものが失われたのが分かった。
「……殺す……殺してやる……愚かな人間どもめ……!」
ラーナの姿が異形へと変貌していく。
捻れた角、伸びた犬歯、異様に長く伸びた黒い爪。
そして、紅い瞳。
——獣化。
〈戦士〉ではない私たちが異形の姿になれば、もはや二度と元の姿には戻れない。
彼女は、ラーナはもう、残りの人生を生きることなど、考えていなかった。
私も無言で異形と化した親友とともに、姫さまの前で短杖を構えた。
「ダメ!待って二人とも!〈戦士〉でも敵わないのに、あなたたちじゃあ……!」
姫さまの悲痛な制止は届かず、ラーナが白装束に躍りかかった。
私は一瞬だけ姫さまを振り返り、少し迷ってから——
「姫さま!お願いです、逃げて!」
そう叫ぶが早いか、ラーナに続いて白装束に飛びかかった。
「ふん、非戦闘員ごときが」
「だが化物の割に中々イイ女だな」
「どうせ殺すんだ。その前に味見してもいいか」
「さっきのメスは、鎧を剥がした途端に吹き飛んじまったからなぁ」
白装束の男たちは下卑た笑いを浮かべて舌なめずりしながら、不思議な光を纏う剣を構える。
その声が、視線が、不快でならない。
「人間ごときがっ……!できると思うなァァッ!!」
ラーナが叫ぶと同時に、黒爪を振るう。
「な!?」
「は、疾——」
赤い血が迸る。
ラーナの爪は一瞬のうちに二人の白装束の命を刈り取っていた。
「ちっこのメス豚がぁ!!」
「悪魔めぇ!」
「不浄の輩がっ!」
ラーナの背後から三人の新たな白装束が襲い掛かる。
「どっちが不浄だと!?いやらしく浅ましいケダモノどもがっ!!」
私は身の毛もよだつ嫌悪感を抱きながら、ラーナに飛びかかる白い男たちを召喚した精霊の火炎で薙ぎ払った。
「「「がああああああ!?」」」
一人は運よく致命傷を免れたようだが、一人は立ち上がれないほどの火傷を負って石畳を転がった。
直撃を受けたもう一人はすでに黒炭と化している。
「人間っ!!人間はァ……全員殺すぅぅ……!」
「ええ……もちろんよ」
血走った目で黒爪を構えるラーナの隣に並び、私も白装束の前に立ちはだかる。
「待って二人とも……私が……!」
だが、姫さまの消え入りそうな声は、もう私たちには届かない。
私は振り返らずに、静かな声で言った。
「……姫さま。貴女は間違っていたわ。こんな汚らわしいケダモノと、分かり合おうとしていたなんて。だから——」
姫さまが間違っていた?
いや、間違っていたのは、私たち全員だ。
——だからどうか……
でも、その先を私が口にすることは、とうとうなかった。
「ケダモノだと?悪魔の分際で我らを愚弄するとは」
「仕置きが必要だな」
「貴様らメスはただ、その無駄によくできた体を我らに差し出せばよい」
「我らの慰みものになるのも光栄と思え。最後に女の悦びを味わえるのだからな」
「——だまれぇぇぇぇぇ!!人の顔で、言葉でっ!!しゃべるな害虫がァァァァアアアッ!!」
獣たちの吐き気を催すような汚らしい唸り声が私の言葉を遮り、その直後にラーナが絶叫とともに白装束に襲い掛かったからだ。
彼女の言う通りだと思った。
たった今仲間たちが胴切りにされ焼き殺されたと言うのに、相変わらず私たちに浅ましい視線を向けてにやにやと笑っている。
こんなのは、たまたま人のような見た目でたまたま人の言葉のような唸り声を発するだけの、ただの魔物だ。
話す価値も聞く価値もない。見る価値もない。
口が、耳が、そして目が腐る。
ひとり、白い害虫の群れに突っ込むラーナの背を、私は無言で追った。
「……その台詞、そのまま返そう」
その時だった。
「魔人ごときが、まるで人のような口を聞くな」
白装束の一人が目にも止まらぬ速さで何かを放った。
「そんなもの効くかぁっ!」
ラーナが黒爪で打ち払い、私は魔法障壁を展開して弾こうとする。
そうしようとした。
だが——
「あああぁぁぁああっ!!」
「きゃああああああああ!!」
ラーナと私の絶叫が重なった。
「ラーナ!サーシャ!!」
私たちを射抜いたのは、将軍に止めを刺したのと同じ、白く細い杭。
ただの小さな白木の杭が、ラーナの腕を貫通して脇腹に深く刺さり、私の魔法障壁をいとも簡単に消し去って右の太ももに突き立っていた。
そして直後にラーナと私の全身を焼く、白い炎。
頭が真っ白になった。
——脳が、焼ける。内臓が、ドロドロと溶け出す。
これまでだと、すぐに分かった。
だから、ラーナと私は立ち上がった。
全身に重度の火傷を負いながら、それでも私たちは立ち上がった。
伝えなくてはいけないことが、ある。
それはラーナもきっと一緒だ。
姫さまを振り返り、息も絶え絶えの中で、
「姫さま……お願い」
「どうか……」
なんとか声を絞り出した。
やっぱり、ラーナも一緒だった。
ラーナが、わたしが、姫さまに手を伸ばす。
でもそれ以上、声がでない。
私たちの懇願するような視線のみが、彼女を打ち据えている。
「分かってる、今助ける!今助けるから!こっちに……」
——違います。違うの。
そうじゃないの、姫さま。
けれど、震える彼女の手はあと一歩、私たちの手に届かなかった。
「——させると思うかね」
再び、神経を逆なでするような耳障りな声。
放たれた白木の杭が、ラーナの右胸にまるで吸い込まれるように突き刺さるのが見えた。
そして、私の下腹部にも。
「「アアアアアァァァァァアアアアアッツ————!!!」」
白い爆炎の中で、私たちの絶叫がまた重なった。
それはまさしく、断末魔と言うやつだった。
白い炎の向こうで、絶世の美貌を歪めて泣き叫ぶ姫さまの顔が、薄っすらと見えた。
——ああ、姫さま。私たちは貴女を——
そして、私の意識は、暗い闇の中へと消えた。




