第22話 蒼き血潮のシャウト
~キロン~
視界が霞む。
もはや左目は何も映していない。
左腕も、肩から下は今俺の足下に転がっている。
全身からは青い鮮血をまき散らしたままだ。
白い蛆虫どもはすでに十匹以上は殺したが、次から次へと湧いてくる。
俺はさらにもう一本あの白い枝をくらって全身を焼かれ、終に膝を突いた。
マルティナ様も無事ではなかった。
彼女の身体にも俺と同じように三本の杭が刺さっている。
杭が突き立った部分の周りだけ、彼女の重厚な超硬金属の鎧がまるで溶けたように剥がれ落ちている。もはや防具としての機能をほとんど果たしてはいないだろう。
たかが白木の枝だと言うのに。
それでもマルティナ様は俺以上に蛆虫どもを駆除し続けていた。
全身を蒼い血に染めてはいるが、俺のように体の一部を失ったりはしていない。
その戦いぶりもこの血生臭い戦場にあって尚美しい。
さすがは“序列三位”の猛者だ。
俺ではとても敵わぬ。敵う訳もない。
だがそれではだめだ。だめなのだ。
守らねば。
マルティナさまは軍事副総長である前に第二王女。姫様の妹君だ。
俺が盾となり壁とならねばならぬのに。
たとえ俺より強くとも、俺が守らねばならぬのに。
「グオオオオオオオオオッ!!」
俺は吠えて立ち上がり、地の精霊の力を借りて石畳から石の刃を生み出し蛆虫どもを三匹同時に貫いた。
さらに鉱物で生成した弾丸の雨と残った右腕の爪でもう四匹。
「こ、こいつ、聖釘を三本も受けてまだ動くぞ!?」
「出し惜しみするな!打ち込め!」
蛆虫どもが喚き散らす。
俺はまたあの枝を俺に向けたもう一匹の頭を、渾身の力を込めて握りつぶした。
その時、俺の残った右目の視界の端に、蛆虫どもの紅いしぶきを散らして舞い踊るマルティナさまの姿が映った。
そしてその背後から忍び寄る一匹。手にはあの、白い枝。
「その人に触れるな害虫どもがぁぁぁああっ!!」
俺は目の前の一匹を掴んで投げ飛ばすと、マルティナ様のところへ駆けた。
だが蛆虫が枝を放つ方が早い。俺はマルティナさまを抱きかかえて背を向けた。
白木の杭がすでに三本刺さったままの俺の背にまた突き立つ。
「グアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
俺の身体から燃え上がる白い火の中で、自分の内臓がドロドロと溶けていくのが分かった。
「キロン!」
マルティナ様の悲鳴が耳朶を打つ。
「マルティナ様……姫様の……もとへ……」
俺は口から蒼い血をまき散らしながらなんとか言葉を絞り出した。
しかしマルティナ様は崩れる俺の身体を支え、首を振った。
「……いいえ。あなたよ」
そして俺の目を見つめる。
「まだ立てるなら。まだ走れるなら。行って。姉さまたちのところへ。姉さまとサーシャと……それからラーナのところへ」
「ダメだ!それは貴女が!」
「行って。そしてどうか伝えて……姉さまに」
その目は有無を言わさぬ、王女の威厳を秘めた命令だった。
分かっていた。
蛆虫どもを誰かが止めておかねば、姫様たちを逃がすことはできぬ。
だが、俺ではもう、足止めにすらなれない。
すでに腕と片目を失い、四本の枝を受けて全ての内臓もやられた俺には、もはや蛆虫どもと戦う力など残っていないのだから。
「マルティナ様……!貴女も……」
「行って、キロン。行きなさい!お願い!」
俺の言葉を遮って、マルティナ様が俺の背中を強く押した。
「……すぐに参ります。ご武運を……!」
俺は断腸の思いで動かぬ脚を引きずって駆け出した。
紛れもなく今生の別れだった。
“貴女も姫君なのですぞ”
言えなかった台詞を飲み込んで、俺は走った。
俺もすぐに参ります。貴女と同じところへ。
姫様を逃がした後で——姫様に貴女と俺の想いを伝えた後で。
——マルティナ様が姫様に伝えたいこと。
そんなものは今更、聞かずとも分かっている。
「グルァァァアアアアッ!!!」
群がる蛆虫を肩で弾き飛ばし、俺は石の階段を駆け上がった。
それでもなお俺に追い縋ろうとした蛆虫どもが、マルティナ様の生み出した膨大な水の濁流に押し流され、瞬く間に階下の広間に引きずり落とされる。
「くそっ、厄介な……!そっちのオスはただの死にぞこないだ!まずはメスを殺せ!」
一人だけ覆面を付けていない醜悪な蛆虫の汚い声が背後で響いた。
「何人死んでも構わん!聖釘をありったけ打ち込め!!止めを刺した者には、最初にこのメスの身体をくれてやるぞ!」
俺は無我夢中で走った。
階段を上り切り振り返ると、マルティナ様には新たに二本の枝が突き立てられ、そして今まさに六本目が打ち込まれていた。
超硬金属の鎧が完全に解け落ち、蒼い血に塗れたマルティナ様の肌が露になる。
「マルティナ様ぁっ!!」
「やった、俺が一番乗りだぜ!?」
蛆虫のうちの一匹が汚らわしい声で叫んだ。
だが、脳を焼き内臓を溶かす爆炎の中で、悲鳴を上げるでもなくマルティナ様は壮絶に笑った。
「……あなたたちにあげるものは何もないわ。姉さまたちも、もちろん私の身体も」
そして、彼女は俺を見た。
「——姉さまを、お願い」
それからその唇は、こう動いたように見えた。
姉さま。
あなたは——
その先は、鼓膜が破けるほどの轟音と衝撃派にかき消された。
超硬金属をも溶かす灼熱の白炎と瞬時に生み出された莫大な水。
マルティナ様の魔力と精霊の力を起爆剤として引き起こされた水蒸気の爆発が、彼女の身体もろとも階下の全てを飲み込み、そして粉砕した。
「クソオオオオオオオオッ!!」
俺は何度目かの咆哮を上げていた。




