第20話 悔悟と嘆きのシンフォニー
ここから少し残酷な描写が続きます。苦手な方はご遠慮ください。
~マルティナ~
姉さまとラーナ、それにサーシャを最上階に残し、私はキロンの大きな背中を追って、石造りの螺旋階段を駆け下りていた。
月桂樹の塔は十階建てだ。
五階まで一気に下ったところで、前を行くキロンが不意に立ち止まった。
「キロン……?」
その時やっと、私は喧騒がいつの間にか小さくなっていることに気づいた。
塔の五階は他の階とは異なり、部屋の仕切りがなくフロア全体が一つの大広間となっている。
舞踏会の練習や武術の訓練などに使われる、だだっ広いだけの場所。
いつもならこの広間にはほとんど何もない。小さなテーブルが端にいくつかあるだけだ。
そう、いつもなら。
「オオオオオオオオオオオアアア!!」
キロンが絶叫した。怒りに満ちた咆哮だった。
先に着いたキロンの隣に並んでそれを見て、私は言葉を失った。
それは恐ろしい光景だった。
広間の至る所に転がる骸。
白いローブを紅い血で染めた死体の山の中に、青き肌の同胞たち。
それは紛れもなく昨晩私たちと共にこの塔にやってきた、従者と〈戦士〉たちの亡骸だった。
従者が九、〈戦士〉が六。
いや——
「がっ……マルティナ……さま……お逃げ……」
今まさに私たちの目の前で、最後の〈戦士〉が光り輝く刃に胸を貫かれていた。
その言葉だけを残し、彼は刀身が引き抜かれるとともに石畳に突っ伏す。
そしてそのまま、二度と動かなくなった。
彼が倒れたその背後には、蒼い血に濡れた剣を持つ、白装束の集団。
その数、およそ六十。
そのどれもが眩い光を放つ細剣を手にしていた。
「人……間……!!」
倒れたまま、動かない同胞たち。
無惨に蒼い血を流す彼等はすでに、誰一人息をしていない。
階下から不穏な喧騒が聞こえてから、僅か二十分程度。
たったそれだけの時間で、七人もの屈強な『ニヴルヘイム』の〈戦士〉たちが倒れ、従者たちまでもが一人残らず惨殺されていた。
〈戦士〉たちは皆一様に、灼熱で炙られたかのように青い肌の所々が爛れ、分厚い革鎧は原形もとどめないほどドロドロに焼け落ちていた。
「……ようやく大物のお出ましか。長い階段を上がる手間が省けたわ」
広間の端のテーブルに腰かけていた白装束の一人が言った。
他の者と違い、この男だけ覆面をしていない。
刀身に着いた蒼い血糊を、汚いものでも見るようにぞんざいに振り払いながら、男は口の端を吊り上げた。
醜い男だった。
それは造形だけの話ではない。
古傷だらけだったからでもない。
何より、その濁った瞳。
そして吐き気を催すようなその表情。
ふと、呆然とした私の視界の端で、もぞもぞと動く影が映った。
三人の白装束だった。
広間の片隅で、石畳の床に這いつくばるように何かに群がっている。
「な……!」
何か——それは、手足をおかしな方向に投げ出したまますでにこと切れている従者の女の子の亡骸だった。
あるいは剣の切っ先で、あるいは素手で、彼女の服を、掴み、破き、引き割いている。
深々と被った白いフードと顔の半分を覆い隠す覆面で表情は見えない。
けれどその眼は欲望と狂気に爛々と輝き、口からは耳障りな下卑た笑い声が漏れていた。
死者の……服を剥いでいる。
「おのれぇええええ!!薄汚い人間どもめぇぇえっ!!!」
キロンの怒号が木霊した。
同時に、亡骸を囲んでいた白装束たちの頭部がパン、パンッと乾いた音を立てて次々に破裂し、紅い花を咲かせる。
声を上げる間もなく一瞬で頭部が消し飛んだ男たちは、女の子の遺体の上に前のめりに崩れ落ち、その身を紅い血液で汚した。
「……ほう。圧縮された鉄鋼石の弾丸か。しかも無詠唱で同時に三人。おまけにその威力と速度とは。その図体に似合わず随分と高度な魔法を使う」
醜い男が感心したように呟く。
それから、愉快そうにククッと笑った。
「やつらは自分が死んだことすら気づかなかっただろうて。何とも間抜けな最期だが、可哀想なことよな」
「な、何をしていたの……」
私は答えは分かりつつも、そう尋ねずにはいられなかった。
せめて、間違いであってほしいと祈りながら。
「……ああ。すまない。不快な思いをさせたかね?しかしどうか許してやってほしい。彼等も神の使途としていつ死ぬとも知れぬ身なものでね。戦場で束の間、欲望に身をゆだねるくらい……まあ、大儀の前では些細なことだろう?」
言葉が出なかった。
何なのだ、これは。
目の前にいる、これは《・》。
「見たでしょう。マルティナ様。これが人間と言うものです」
絶句する私の隣で、キロンがかすれた声で言った。
——これが、人間。
「だから……だから俺は言ったのだ」
キロンは憤怒でわなわなと震えていた。
でも、それは私も同じだった。
「……そうね」
悔恨の念で全身の震えが止まらない。
「……姉さまは根本から間違っていたわ。私たちも……大きな——大きな勘違い」
あれは……あんなのは“人”ではない。“生き物”と呼ぶのもおこがましい。
度し難い程に浅ましくて、汚らわしくて、悍ましい怪物。
「しかしそこのメスの死骸より、そなたのほうがよほど上物じゃないか」
男はその濁った眼を私に向けると、新しいおもちゃを見つけたとでも言うようにニヤリと笑った。
「貴様ぁぁぁアアアッ!!」
キロンが吠えた。
醜い男はキロンを一瞥して鼻を鳴らした。
「……ふむ。いずれにせよ、まずは害獣の駆除が先かね」
「矮小な人間ごとぎがっ!その程度の数で、我らに敵うとでも思ったかァ!?全員八つ裂きにしてくれるわぁァァア!」
咆哮とともに、キロンの身体に突如として異変が起きた。
身体が膨張し始める。丸太のような筋肉がさらに隆起する。
あっという間に普段より二回り以上肥大化していた。
口からははみ出すほどに犬歯が伸び、左右のこめかみの上あたりから野牛のような二本の捻じれた太い角が生えた。
その眼は紅く輝いている。
「ほお……それが貴様らの本性という訳か。まっこと醜悪な姿よの。いかにもバケモノらしいではないか」
醜い男はさも楽しそうにククク、と喉を鳴らした。




