第19話 運命の死神のノクターン
~ラーナ~
今宵は十六夜。
いよいよ姫さまとルイーズさまの婚儀が執り行われる日だ。
姫さまと妹君のマルティナさま、護衛のキロン将軍、それから侍女のサーシャとあたしは十数名のお付きの者ととともに、ここ『月桂樹の塔』の最上階にいた。
昨夜は満月の明かりの下で、塔の裏手にある聖なる泉で身体を清めた。
その後は塔に戻ると、部屋の外に護衛のキロンを立たせ、今日に備えて月桂冠を編みながら、あたしたちはまた夜遅くまで語り明かした。
たくさん話したのに、あたしは結局、姫さまに一番言いたかったことは言えなかった。
姫さまが摘んできた『月光華』は花弁が一枚欠けていたけど、それでもなお美しく咲き誇っていた。
昨夜、満月の光を一晩中浴びて、すでに十分な加護を蓄えているはずだ。
今は普通の赤いアマリリスにしか見えないその花も、今宵はその赤を月明りのような金色に変え、幻想的な光景を作り出すだろう。
絶世の美貌を持つ姫さまが、光の精霊の加護を宿した『月光華』と純白のドレスをその身に纏って、十六夜の月の下で花婿と踊る——
想像しただけでも夢のような光景だ。
しかもその結婚が愛し合った末のものなのだから、こんなにも喜ばしいことはない。
姫さまの幸せな姿を見たら、彼女の言う通り、あたしも想いを伝える勇気が持てるだろうか。
そして、姫さまにも、伝えられるだろうか。
永らくこの国を治めていた国王陛下も、恐らくもう長くはない。
あと数十年で、そのお力を失うだろう。
“老い”が目に見えて身体に出始めたのがその証拠だ。
でも、大丈夫。
今宵、新たな王が誕生する。
間違いなく、人々の記憶に生涯残る素敵な夜になるだろう。
その場に立ち会えるなんて、あたしはなんて幸せなんだろう。
——そう思っていた。
Ψ
それは夕陽が塔の窓から室内に差し込み始めた頃だった。
「なんだか騒がしいわね」
最初に異変に気付いたのは、マルティナさまだった。
相変わらず姫さまとサーシャとのガールズトークに花が咲いて気が付くのが遅れたけれど、言われてみれば確かに階下で何か物音やら声やらがする。
「もうお迎えが来たのかな?」
あたしは首を傾げた。
「ちょっと気が早いですね。迎えは日が暮れてからの筈でしょうに」
サーシャも当然、使いの者が来たのだと思ったみたいだった。
その上で、ちょっと呆れていた。
でも仕方ない、とあたしは思った。
みんな浮足立っているのだろう。
何せ今日の婚儀は、国中の人々が待ちに待ったものだったから。
——けれど、物音や人の声らしきものは聞こえるのに、いつまでたっても上がってこない。
「何をもたもたしているのかしら……」
サーシャはそう言いながらも、いつ迎えの者が来ても良いように、姫さまの身の回りのものを片付け始めた。
さすがはしっかり者のサーシャだ。
だけど——
「……何かおかしいわね」
「ええ。何か妙だ」
マルティナさまとキロンが静かだけど怖い顔で呟いた、その時だった。
「——!」
あたしの聞き間違い……だと思いたかった。
でも、室内の全員が顔を見合わせている。
つまり、みんな聞こえたんだ。
今のはたぶん、悲鳴。
それに今聞こえているのは、金属同士を打ち鳴らす音ではないか?
しかもこの不穏な喧騒は——
「俺が行く」
キロン将軍が素早く踵を返し、扉へ向かう。
手にしているのはいつもの片手剣ではなく、戦場で愛用する武骨な戦槌だった。
「待って、キロン……!」
あたしも姫さまと同じ言葉をかけたかった。
「姫様。危惧していたことが現実になってしまったかもしれん……皆はこの場から動かぬよう」
言うが早いか、彼は扉を乱暴に開けて、姫さまの制止を聞かず部屋を出ていく。
姫さまの顔から一気に血の気が引いていくのが分かった。
「キロン、待って!私も行くわ」
キロンの大きな背中に、マルティナさまが鋭くそう声を掛けた。
そして開け放たれた扉の前で、ふとこちらを——いや、姫さまのほうを振り返る。
「姉さま——」
「マルティナ……!」
ふたりの視線が交錯した。
マルティナさまは最初、確かに何かを言おうとしていたようだった。
けれど、姫さまの、いつもは見せないひどく怯えた表情を見て、彼女は口をつぐんだ。
それからとても、とても優しく微笑んで、こう言った。
「大丈夫です、姉さま。すぐに戻ります。何も——何も心配はいりませんから」
不安に怯える幼子を安心させるための言葉だった。
それはきっと、彼女が最初に言おうとしていたこととは、全く違うことだったと思う。
「待って、マルティナ……!」
けれどマルティナさまは、もう振り返ることはなかった。
長槍を手に、階下へと駆け下りて行く。
「キロン……」
あたしの震える小さな胸は、どうしようもないくらいやかましく警鐘を鳴らしていた。




