第3話
次から次へと押し寄せた、俺の理解を超える怒涛の展開。その最後を締めくくるのは、美少女との出会いというイベントだった。
雪のように白い透き通る肌と、たおやかで鮮やかな金髪。端正な顔立ちが美しく、スタイルまで抜群と付け入る隙がない。街を歩けば誰もが振り向く文句なしの美少女が、俺のことをじっと見下ろしているのである。こんな美人と知り合う機会すらなかった俺としては、なかなかに嬉しい状況だ。
その子が、鋭く光る大鎌で俺の首を刈ろうとしていなければの話だが。
「……もう一度だけ言うわ。その剣を、私に寄越しなさい」
首筋に当てられている湾曲した刃が、緊張する肌にわずかに食い込んだ。
それは、モンスターを相手にするのとは違った恐怖。話の通じる相手だからこそ有効な、脅しという名の恐怖だった。
「ちょっと、あなたは誰なんですか!? 私の恩人に失礼なことは――!」
「黙りなさい。妖精には関係のない話よ」
俺の首に鎌を当てがう女の子に向かって、エインセールが猛然と声を上げた。
だが、その子は食って掛かるエインセールを冷たい言葉で一蹴し、刃の角度をじわりと変えてみせる。まるで「黙らないとあなたごと首を跳ねてしまうわよ」とでも言っているようだった。その冷徹な言動に、エインセールも言葉を飲み込むしかなかった。
そんなエインセールの様子を見て取った女の子は、大鎌の刃を元の位置に戻し、再び責めるような視線を俺に向ける。それは、黙ってないでさっさと剣を寄越せという催促の視線だった。
だが、残念だったな。
俺はそんな脅しには屈しない。
美人だからといって、初めて会う人間にこんなことをする奴の脅しに屈してなるものか。
「どうぞ、持って行ってください」
「抵抗しても無駄よ。渡さないのであれば力ずくでも――えっ?」
「だから、どうぞ。君にあげるよ、これ」
「……」
そう、脅しには屈しない。
無意味な争いを好まない俺が、彼女の要求を飲んで譲歩するのだ。
それが、紳士の嗜みってもんだろう。
「……何を企んでいるの?」
「企むだなんて人聞きが悪いな。別にこれ、元から俺のモノじゃないし。急に変な光の中から出てきただけだから」
「……」
彼女は眉をひそめ、大鎌を持つ手に力を入れた。明らかに、俺のことを疑っている。
だが、俺は断じて屈しない。
「そ、それに、君の言うことももっともなんだよ! さっきのスキルを使っただけでこの有様だ。俺には使いこなせないし、何よりこの状態じゃ抵抗だって出来ないよ」
俺は剣を差し出しながら、必死に身の潔白を訴えた。
実際のところ、それは言い訳ではなく全て事実である。何も企んでいないし、抵抗するつもりもない。この剣だって、俺みたいな何の力もない高校生に使われるより、目の前の美少女に使ってもらったほうが幸せだろう。
「……それもそうね」
そう言って、彼女は俺の首から大鎌を外した。俺の誠意が伝わったようで何よりである。
「じゃあ、この剣は遠慮なくいただいて――」
と、彼女が剣に手を伸ばした瞬間、剣がぼんやりと輝き始める。
そして強い光を放ったかと思うと、瞬く間にその輪郭が消えてなくなってしまった。
「なっ――き、消えた!?」
突然のことに俺も動揺を隠せない。全くもって予想外の出来事に、裏返った声が漏れ出てしまった。
そして案の定、剣を取ろうとしていた彼女が怒声を響かせ始めた。
胸ぐらを掴まれ、女の子とは思えない力でぐんと引き寄せられる。彼女の綺麗な顔と主張の激しい胸元が、勢いよく目の前まで迫ってきた。
「ちょっと! どういうつもりよ!?」
「いや! 俺にも何が何だか!」
「とぼけないで! さっさと剣を出さないと本当にその首刈るわよ!」
「どこにいったかもわかんないのに出せるわけないだろ!」
「いいから出しなさい! ほら早く!!」
「ちょ――苦し――やめっ!!」
胸ぐらを掴む彼女の手にいっそう力が入り、首がきつく締め上げられる。しかもその状態で激しく揺さぶるものだから、十分な呼吸がほとんどできない。
ただでさえ体力がないってのに、このままじゃ窒息してしまう!
「だか、ら――やめろって!!」
その苦しみから逃れたい一心で、俺はなけなしの力を振り絞る。目を閉じて歯を食いしばり、両腕に力を込めて彼女を引き離そうと腕を思い切り突き出した。
だが、力ないその腕は彼女の体を押しやることすら叶わず、手の平から二つの柔らかい感触を伝えてくるのみであった。
「……あれ? これって……」
「――ッ!?」
心地よい謎の柔らかさに疑問を持ち、その感触を今一度確かめながら瞼を開ける。
そこには、彼女の胸を鷲づかみにする俺の両手と、真っ赤になって俺を睨む彼女の険しい顔があった。
「このっ――ヘンタイッ!!」
穿つような平手が俺の頬を強打する。
世界が一気に反転し、回転しながら暗闇へと落ちていった。
「ひゃわわわわ! ク、クリムー!!」
闇に落ちる意識の中、エインセールの叫び声が脳内に木霊する。
その記憶を最後に、俺は真っ暗な海へと身を沈めていった。
* * *
「大丈夫ですか、クリム?」
「ああ、何とか。ありがとう、エインセール」
目を覚ますと、俺は見知らぬ建物のベッドに横たわっていた。
木製の天井と石造りの壁に囲われた薄暗い小さな部屋。ベッドの他には机と椅子が一対しか置かれておらず、一つしかない窓からはぼんやりとした光が差し込んでいる。ランタンの揺れる炎でようやく明るさを保っているその部屋に、いつの間にか場所を移していたのだった。
そしてそこには、俺のほかにもう二つの影があった。妖精のエインセールと、俺を襲ったあの女の子であった。
目覚めた俺はエインセールに事情を尋ね、事の顛末を何となく把握した。
俺を見捨てて立ち去ろうとした女の子をエインセールが説得し、ここまで運んでくれた上に体力の回復までしてくれたということらしかった。
「一応、君にも礼を言っておくよ。助けてくれてありがとう。あと、さっきは変なことして悪かったよ」
「……フンッ」
「……」
相当お怒りのようである。
まあでも、不可抗力とは言え、怒りを向けられても仕方がないことをしたという認識はある。だが、彼女だって一度は俺の命を狙っている。それを考えると、お互い様という感じがしなくもない。
とりあえず、言うだけのことは言ったのだ。俺の中ではそれで良しとしておこう。
「で、エインセール。ここは一体どこなんだ?」
「あ、はい。ここは教会の村アルトグレンツェにある宿屋さんです。妖精の帰還石で戻れる場所がここしかなく、私もこの村でお世話になっているのでこちらに運ばせてもらいました」
「……アルト、グレンツェ?」
聞いたことのない村の名前。だが、それでようやく確信が持てた。
薄々、感づいてはいた。色々なことが一気に起きすぎて確信に至るまでの余裕がなかっただけで、エインセールと出会った時からそんな気はしていた。
ここは、所謂“異世界”というやつだ。
俺が住んでいた世界とは違う、法律や常識が一切通用しない全く別の世界。
でもなければ、エインセールのような妖精がいるはずがないし、俺を襲ったモンスターやそれを倒したスキル、そしてこの女の子が俺を回復する時に使ったという魔法なんかが存在するわけがない。
これが夢でないのなら、そうでもないと説明がつかないのだ。
「クリム? どうしたんですか?」
「……俺、どうやったら元の世界に戻れるんだろう」
「元の世界? クリムの故郷のことですか?」
「……」
「ちょっと待って。まさかあなた――!」
そっぽを向いたまま俺とエインセールの話に聞き耳を立てていた金髪の女の子が、急に立ち上がって驚きの声を上げた。見開いた目で俺を見つめ、その視線が俺の全身をくまなく読み取っていく。
「……そこの妖精さん。今すぐオズヴァルト様に連絡を」
「え? どうしてですか?」
「わからない? この人は、ルクレティア様の予言にあった異世界人よ」
「え……ええええ!? 本当ですか!?」
「妙な装備で身を固めているし、何かがおかしいと思っていたけれど、そういうことだったのね」
そう言って、二人は改めて確認するかのように俺の姿をじっくりと観察する。金髪の女の子は俺から距離を取り、珍しい生き物を見るような視線を送ってくるし、エインセールは俺の周囲を飛び回り、制服や髪の毛なんかをつまんで何度も驚いていた。
そして、あらかたの観察を終えたのか、二人は互いに視線を交わしてうなずき合った。
「私、オズヴァルト様に伝えてきます!」
「頼むわ。私はこのままこの人を見張っているから」
「はい! では、いってきます!!」
今までにない気合を見せるエインセールがひゅんっと身を翻し、目にも留まらぬスピードで部屋を飛び出していく。それを見送った金髪の女の子は、扉の前に椅子を移動させ、まるで警備員かのごとく俺を見張り始めた。
「な、何なんだよ急に。二人ともどうしたってんだ……?」
「どうもこうもないわ。あなたは、聖女ルクレティア様が予言した聖騎士の力を持つ異世界人。しかも、伝説の神器まで所有している。この国の住民は、異世界人か神器、どちらか一つでも見つけた場合、すぐに賢者オズヴァルト様へ報告しなければいけない決まりになっているの。そうすれば、報告した者にはオズヴァルト様から報酬が与えられることになっているのよ」
「……ルクレ? オズ、ヴァ……? 誰?」
「ルクレティア様とオズヴァルト様! いばらの塔から世界の均衡を保つ聖女と、世界のあらゆる事象を観測する賢者のことよ!」
「いばらの、塔……?」
俺の脳裏に、あの時見た夢が甦ってくる。
無数の茨に巻きつかれた、天高くそびえ立つ巨大な塔。そして、そこから聞こえる、歌うような、優しく美しい声。
「そうよ。すぐそこに見えるでしょ?」
と、彼女が窓の外に視線を移す。
だが、ベッドから見る窓の外はどんよりしたグレーで塗り潰されていて、何の姿も確認できない。
それでも彼女の視線が気になって、俺はベッドを抜け出し窓へと近づいた。そして、灰色に染まる窓を開け放ち、その先に見える景色を覗き込んだ。
一面に薄い霧が広がる、こじんまりとした村の様子が広がる。
だが、その先――いや、その上だ。
霧を従え雲を突き抜ける、巨大な何かが空を遮っていた。
「あ、れが……?」
「わかった? あれが、聖女ルクレティア様が住むいばらの塔。そしてここが、塔を中心にして出来た教会の村、アルトグレンツェよ」
岩山のように存在する、無数の茨で縛り上げられた塔の群れ。
揺らめく霧に影を浮かべるその塔は、怪しくうごめきながら世界を見下ろし、異様な雰囲気を漂わせている。まるで、ゆっくりと脈動する巨大な生き物のようであった。
その圧倒的な迫力に飲み込まれてしまった俺は、全てを忘れてその塔を見入っていた。
金髪の女の子が話す言葉も耳に入らず、棒立ちのまましばらく塔から目が離せなくなっていたのだった。




