第4話:セルビーの村
アリアドネとの死闘――そして、この村へ辿り着くまでの経緯を語り終える。
部屋の中には、言葉を失ったような静けさだけが残った。
「なるほど……」
腕を組んだカイルは、小さく頷く。
「その悪魔に、別世界から連れてこられた……と?」
「はい」
自分でも現実味のない話だと思う。けれど――相手が“悪魔”なら、説明はそれで通ってしまうのが、この世界なのだろう。
「それはそうと、ミストさん」
カイルは椅子から立ち上がった。
「あなたには、お礼を申し上げたい」
「お礼……ですか?」
「はい。『大蜘蛛アリアドネ』は、これまで何人もの犠牲者を出してきた危険な存在でした」
空気が、ぴんと張り詰める。
「それを討伐していただいたこと――心より感謝します」
そう言って、彼は深々と頭を下げた。
――騎士が、頭を下げている。
その光景に、言葉を失う。
「や、やめてください! あたし、ただ……勝手に手を出しただけで……!」
慌てて手を振る。けれど――
「いいえ」
きっぱりと、遮られる。
「あなたの行いで、“誰か”が救われた」
カイルは柔らかな笑みを浮かべた。
「……本来なら、私が果たすべき役目でしたから」
「……っ」
胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。
あの戦いに、意味があった。
あたしの拳が――誰かの命を守った。
(……まあ、あいつがそんなこと考えてたとは思えないけど)
ふと浮かぶ、あの悪魔の顔。
けれど――それでもいい。
結果として救えたなら、それで。
「――ところで」
気を取り直すように、カイルが続けた。
「この村に、しばらく滞在されるご予定は?」
「えっと……正直、まだ何も考えてなくて」
「でしょうね。でしたら――ひとつ提案があります」
カイルは、声を潜めた。
「西にある『クロンド洞窟』をご存じですか?」
「いいえ」
「そこを拠点に、農地を荒らす魔物が出ているのです」
村長からの依頼で、収穫物の略奪や畑の破壊が相次いでいるらしい。
「討伐には人手が必要でして……もしよろしければ、ご助力いただけませんか?」
「……あたしでよければ!」
思わず即答してから、少しだけ言い淀む。
「ただ、その……お金とか、持ってなくて……」
「ああ、その点はご心配なく」
カイルは穏やかに笑った。
「アリアドネ討伐の報酬分、私が立て替えます」
「えっ……!?」
思わず声が裏返る。
「本来は私が討伐すべき対象でしたので、それくらいは出させていただきますよ」
――願ってもない提案だった。
強くなって、イブリスを倒す。
それが、元の世界へ戻るための唯一の道。
「ですので、安心して依頼を受けてください」
「……ありがとうございます! よろしくお願いします!」
差し出された手を、ぎゅっと握り返す。
こうして――
あたしの異世界での“最初の依頼”が、決まった。
*
その日は身体を休め、翌朝。
村外れの空き地で、あたしはカイルと向き合っていた。
「――よく似合っていますね」
「え、ほんとですか?」
思わず自分の服を見る。
襟付きのシャツに、膝上丈のラップスカート。
エヴェリンさんが貸してくれたものだ。
「みんな優しすぎて……ちょっと戸惑ってます」
「当然ですよ。単独で『脅威度9』を討伐したのですから」
その言葉に、近くで作業していた村人たちが一斉にこちらを振り向く。
向けられる視線は――驚きと、尊敬。
「脅威度……」
昨日聞いた説明を思い出す。
魔物の強さは十段階。
九――それは、駆け出し冒険者にとって出会った瞬間“終わり”を意味する領域だ。
そして――それを単独で倒せる者など、ほとんど存在しない。
(……あいつ、やっぱりおかしいでしょ)
脳裏に浮かぶのは、あの悪魔――コモエディア。
魔王軍幹部。
脅威度二以上――それは、帝都の騎士団長すら及ばない領域。
「……本当に、勝てるのかな」
思わず漏れた呟きに、カイルが静かに答える。
「ですから、まずは“生き残る術”を身につけましょう」
「魔力格闘と魔術、ですよね?」
「ええ。あなたほどの素質があれば、“シンベリーの四騎士”――いえ、すぐに並みの冒険者を追い抜くでしょう」
その眼差しは、確信に満ちていた。
「――師匠、お願いします!」
腰だけを曲げたまま頭を下げる。
空手の稽古で身に付けさせられた姿勢だ。
「……師匠、ですか。まあ、構いませんが」
カイルは少し困ったように笑った。
そして、かかしの前へと歩み出る。
「まずは手本をお見せしましょう」
低く構え、拳を引き絞る。
「――【騎士流正拳突き】!」
一歩。
それだけで間合いが消える。
叩き込まれた拳から放たれた衝撃が、一点に収束し――
次の瞬間。
かかしは、台座だけを残して消滅していた。
「すご……っ!」
「体内の魔力を身体に集中させ、放つ。それが“魔力格闘”です」
「なるほど……」
理解しかけた、その時だった。
「なぁ〜んだ、面白そうなことやってるじゃん」
軽い声が、空から降ってくる。
見上げると――
空中を“踏むようにして”、コモエディアが降りてきた。
「……魔王軍幹部」
カイルが剣を抜く。
だが、当の本人はまるで気にしない。
「やめなよ。人間らしく死にたいでしょ?」
「何……?」
「ボクたちは“虐げ方”を知っている。キミはどれくらい耐えられるかな?」
空気が凍る。
カイルは、わずかに逡巡し――剣を収めた。
その間に、コモエディアはあたしの前に降り立つ。
「やあ。無事だったんだね」
「あんた……どこ行ってたのよ! この人に手出ししないで!」
詰め寄ろうとした瞬間、
「待ちなよ」
袖を掴まれる。
そのまま、かかしへ視線を向けた。
「気が変わった。戦い方――教えてあげるよ」
「はぁ!? 昨日は見てるだけだったくせに――」
「いいから」
「いいえ」
カイルが一歩前に出る。
「魔王軍幹部に教えを乞う必要はありません。彼女には、人を守る力を――」
だが、その言葉は風の音に遮られた。
「これが魔術だ。【リビコッコ】」
コモエディアが軽く腕を振った。
――瞬間。
――遅れて、音が消えた。
世界から、“音だけが抜け落ちた”みたいに。
土煙が巻き上がり、視界が白に塗り潰される。
わずかに見えたのは、引き裂かれるかかしの影。
次の瞬間には――その残骸が、空から細切れとなって降り注いでいた。
「……っ」
さっきの一撃とは、比べ物にならない。
「……なんて力だ」
カイルが低く呟く。
「やってみなよ。どこまで持つか見たいし」
「それ、命令って言うの!」
思わず言い返す。
――けれど。
(……覚えなきゃ、死ぬ)
直感が告げていた。
コモエディアでこれなら、イブリスはその上。
このままじゃ、絶対に届かない。
(あたしは――勝つ)
生きて帰るために。
全部を超えるために。
「……教えて」
小さく、けれど確かに言った。
騎士と悪魔。
相反する二つの力を前にして――
あたしは、そのどちらも選ぶ。
こうして。
あたしの修行は始まった。
人を守る拳と――魔物を砕く力を、その手に掴むために。
「キミなら一日もあれば十分さ」
「簡単に言ってくれるじゃないか」
「ボクの指導に壊れなければ、だけど」
くすりと笑った顔に、温度がなかった。
その言葉の意味は、考えないようにした。
だから――壊れようと構わない。
それでも、あたしは強くなる。
――イブリスを倒す、そのために。




