第23話:決断(コモエディア視点)
大地に穿たれた巨大な穴。
その底で――数十体の魔物が蠢いていた。
翼を持つ魔獣。
蔓をうねらせる異形の植物。
こん棒を振り回すゴブリンの群れ。
混沌のるつぼ。
その光景を――見下ろして笑う男がいた。
「壮観だな。……だが、大した強さじゃねえ」
元天使にして悪魔――イブリス。
その手には、ひとつの魔石。
青紫に輝く結晶――ミュータ・クリスタル。
「この程度の純度じゃ、たかが知れてる」
無造作に投げ捨てる。
乾いた音を立てて、結晶が地面を転がった。
「分かるか?」
イブリスが、こちらへ歩み寄る。
「お前には“とっておき”を使ったんだ」
ボクは目を逸らさない。
平静を装い、ただ見返す。
「数百年に一欠片しか見つからねえ代物だ」
距離が詰まる。
黄金の瞳が、すぐ目の前にあった。
「その中でも、お前は特別なんだよ」
指先が、頬をなぞる。
「超レアなミュータ・クリスタルで変異した悪魔――」
ぞくり、と背筋が震えた。
「オレの最高傑作――コモエディア」
その瞳に映るのは――
“壊れていないふり”をしているボクだった。
「クク……ハハハ!」
高笑いが、穴の底に響く。
「さあ、魔の物どもよ!」
イブリスが手を掲げる。
「人間どもを襲え!」
転移魔術が発動する。
次の瞬間、魔物たちは煙のように消えた。
世界のどこかへと、解き放たれていく。
静寂。
――その中で、ボクは口を開いた。
「……なぜ」
イブリスが振り返る。
「そこまで人間を恨む理由を、ボクは知らない」
沈黙が落ちた。
やがて――
「……そうだな」
イブリスは空を見上げた。
魔王領の、濁った空。
「オレは元天使だ。人間を導く存在だった」
低く、語り始める。
「人間は脆い。愚かで、弱くて――」
拳が、ゆっくりと握られる。
「……ある日だ」
声が歪む。
「一組の人間が、天界に辿り着いた」
――異物。
「神々は歓迎した。あろうことか、永遠の命まで与えやがった」
瞳に宿るのは――
憎悪と、嫉妬。
「弱い存在が、オレたちを差し置いて神の領域に立つ」
歯が軋む。
「ふざけるな」
そして――
「だから、殺した」
静かに言い放った。
「神殺しの槍を盗んでな。一突きだ」
空気が凍る。
「男の方は死んだ。代償に、オレは天界を追放されたがな」
肩をすくめる。
「不死性も剥がされた。だが――」
ニヤリと笑う。
「天使の力は残ったままだ」
――狂っている。
理解できない。
「オレから神々の寵愛を奪った人間どもを、許すわけがねえ」
低く、呪うように。
「簡単には殺さねえ。滅ぼし尽くしもしねえ」
笑う。
「“殺し切らないように殺す”」
……吐き気がした。
こいつには――何もない。
他者を思う心も。
痛みを知る心も。
「だが、お前は違う」
再び、指が触れる。
「オレの芸術品だ」
ぞくり、と嫌悪が走る。
「美しい……」
その目が歪む。
「――壊したくなるほどに!」
次の瞬間。
衝撃。
顔面に、拳が叩き込まれた。
「っ……!」
地面に叩きつけられる。
「希少な力を持つ悪魔でありながら――」
胸ぐらを掴まれる。
光が走る。
傷が、一瞬で癒える。
「穢れてる」
再び――殴打。
「人間らしさが残っている限りなァ!」
何度も、何度も。
殴られる。
壊れるまで。
壊れないように。
「あと何回だ?」
笑っている。
「何回殴れば、完全な悪魔になる?」
また、癒される。
そして――また殴られる。
(……壊れる)
体じゃない。
心が。
「お前のことで頭がいっぱいだ」
イブリスは満足げに言った。
「オレが奪われた分、愛してやる」
――狂気だ。
やがて、足音が遠ざかる。
「……チクショウ」
静寂。
荒い呼吸だけが残った。
理解できない。
理解したくもない。
ボクは立ち上がる。
そして――拾い上げた。
捨てられたミュータ・クリスタル。
その瞬間。
「……次の被検体。よし、注入せよ……」
――声。
人間の声だった。
「……は?」
――ありえない。
これは、悪魔の力のはずだ。
なのに。
「人間が……魔物を?」
最悪の予感が走る。
「……許せない」
怒りが、静かに燃え上がる。
「カーヒルか……」
そして。
「……ミスト」
あの時――
彼女を助けるために、
ボクは魔力の核を貫いた。
(生きていられるはずがない)
魔物が跋扈するこの世界では――
そう思っていた。
「……いや」
首を振る。
「死んだんだ」
そう言い聞かせる。
ボクは転移魔術を発動した。
*
夜のカーヒル。
魔術灯が、街を照らしている。
「……なるほど」
一歩踏み出した瞬間、分かった。
(地下にある)
ミュータ・クリスタル。
しかも――
この魔力……でかい。
ボクのものに匹敵する――
間違いない。
「どうやって手に入れた……?」
思考が巡る。
イブリスではない。
あいつが人間と組むはずがない。
「……モレラか」
あり得る。
面白ければ、平気で乗る女だ。
「さて……」
地面に手をかざす。
「壊すか?」
魔術を構える。
――その時。
「聞いたか? 市場の話」
「……っ」
足を止めた。
目立つのはまずい。
イブリスに感づかれる。
ボクは、気配を殺す。
「魔力無しの冒険者が魔物を倒したってよ」
「すげえよな」
――心臓が跳ねた。
「……まさか」
ミスト。
生きている。
「……なんでだよ」
力が抜ける。
裏切ったのに。
傷つけたのに。
イブリスの力だって見たはずだ。
「どうして……折れない」
脳裏に蘇る。
あの言葉。
(人の心の強さを、なめるな!)
――胸が痛い。
「……何やってんだ、ボクは」
気づく。
ようやく。
「ボクは……人間だろ」
悪魔なんかじゃない。
なりたくもない。
「ミスト」
拳を握る。
「戦う」
決意する。
彼女の本当の力になる。
「人間に戻るために」
そして。
「イブリスを倒す」
静かに、燃える。
「……今に見てろ」
奪われたものを――取り返す。
「絶対に」
闇に溶ける。
少年は、再び歩き出した。
――人間として。




