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第2話:グラッパの森

 草木の匂いが、鼻をくすぐる。


 あたしはゆっくりと顔を上げ、周囲を見回した。


「――森の中?」


 視界いっぱいに広がる、鬱蒼とした木々。

 枝葉が重なり合い、空すらほとんど見えない。


 ――異世界。


 その現実が、遅れて胸に落ちてくる。


 息を吸った、その瞬間だった。


 ――ぞわり、と。


 体の奥に、見えない何かが流れ込んできた。


「なに、これ……?」


「魔力だ。この世界の大気には、それが満ちている」


 背後からの声に、あたしは反射的に振り向く。


「転移は成功だ」


 コモエディアが、木々を見上げながら言った。


「無事、適応したみたいだね」


 そしてあたしに視線を向けると、ニヤリと口角を上げる。


「外見も、変わり始めてる」


「外見……? それより説明してもらおうかしら?」


 心臓の鼓動に合わせるように、体の中を力が巡っている。


 熱い。

 でも軽い。


 矛盾した感覚が、妙に心地いい。


「今、キミは魔力を取り込んでいる。その調子なら――すぐ戦える」


「魔力……」


「まあ、吸ったばかりじゃ現地人には敵わないだろうけどね」


 さらりと告げられた現実。


「関係ないわ。どうせ帰るんだから」


 少しでも早く、元の世界へ戻る。

 この身体が、完全に“こっち”に染まる前に。


「そのためにも、次の目的地を教えなさい!」


「……キミ、受け入れるの早すぎじゃない?」


 呆れたように笑うコモエディア。


「いっそ永住したら?」


「お断りよ! 空手の稽古はサボれないの!」


 肩を掴む。

 今度ふざけたら投げ飛ばすつもりで。


「怖いなぁ」


 口ではそう言いながら、まったく怯えた様子はない。


「ここがボクたちの世界、エデニウム」


 彼は、砕けた赤黒い結晶を掲げた。


「キミはこれを使った転移魔術で、グラッパの森に来た」


「……で? どこに行けばいいの?」


 問いを重ねた、その瞬間――


「っ……!」


 掴んでいた手が、弾かれる。


 小柄な体からは想像できない力。


 背筋が、ぞくりと冷えた。


「あっち。西だ」


 彼は無造作に指を差す。


「森を抜ければ、すぐにセルビーの村に着く。日が暮れる前にはね」


「……分かったわ」


 あたしはポケットからスマホを取り出す。


 画面は――真っ暗なまま。


「……そりゃそうよね」


 自嘲気味に呟いた、その時だった。


 ふと、画面に映った自分の顔に気づく。


「……え?」


 髪が――


「ピンク……?」


 シニヨンにまとめた髪が、淡いピンクに染まっている。


「やっと気づいた?」


 コモエディアが面白そうに笑う。


「魔力を吸えば、外見も変わる」


 そんな次元の話じゃない。


 恐る恐る髪に触れた、その時――


「来たね」


 はっとして振り向く。


 黒い影が、地面を蹴った。


 一直線に、こちらへ突っ込んでくる。


「【アリキーノ】……!」


 コモエディアの拳が唸った。


 黒い風圧――いや、拳圧。


 それが直撃し、黒い影を吹き飛ばす。


「なっ……!?」


 木に叩きつけられたそれは――巨大なイノシシだった。


「【チリアット】」


 次の瞬間、空間が歪む。


 現れたのは、黒く巨大な針。


 一瞬。


 本当に一瞬で。


 それは、木ごとイノシシを貫いていた。


「これが魔法だよ」


 コモエディアは、再び拳に黒い圧を纏わせる。


「大気中の魔力を取り込んで殴る――【魔力格闘】」


 そして、もう一度黒い針を生み出す。


「濃縮して放つ【魔術】――この世界じゃ、どっちも当たり前さ」


 魔物の身体が、煙のように崩れて消えていく。


 残ったのは、赤黒い核だけ。


「今のが魔物。倒すと、魔力の核を残して消える」


「――魔法……」


 ようやく、現実として理解できた。


「キミにも使えるはずだよ」


 コモエディアが、あたしの背後を指差す。


 ぞくり、と嫌な気配。


 振り向いた先には――


 巨大なクマのような魔物が、立っていた。


「アレと戦えっていうの……!?」


「今のキミならできるさ♪」


 楽しげに笑う声。


「ここで死ぬか、それとも乗り越えるか」


 楽しむようなそぶり。


 逃げ場はない。


 足が、すくむ。


「……この手で、命を――」


 喉が詰まる。


 魔物でも、命は命だ。


 奪っていいものじゃない――そう教わってきた。


 それでも。


 右手のテーピングを締め直す。


 あたしは、一歩踏み出した。


「――グオオォォッ!」


 クマが四足になり、突進してくる。


 速い。


 重い。


 ――逃げ切れない。


「……っ!」


 とっさに身を翻して回避する。


「戦って勝ち取れ、だよ。忘れたの?」


 背後から、苛立った声。


 再び突進。


「……奪わないと、駄目なの……?」


 命を奪う。


 してはいけないと教えられてきた。

 空手で他者を傷つけてはならない。


 でも――


 生きるためなら?


 あたしは、息を整える。


 構える。


 ――【三戦サンチンの構え】。


 足を踏みしめ、重心を落とす。


 呼吸を整え、意識を一点に集中させる。


「右腕に意識を集中させるんだ!」


 コモエディアの声。


 拳を引き絞る。


 脇の下へ、深く。


「――はっ!」


 掛け声と共に、突き出す。


 【正拳突き】。


「ガッ……!?」


 拳が、顔面に直撃した。


 頭蓋が砕ける音――そして衝撃が、腕を通して全身に響く。


 クマの巨体が宙に浮き、木へ叩きつけられる。


「……できたじゃないか」


 静かな声。


「今の……あたしが……?」


 信じられない。


 でも――現実だ。


「でも、迷いが見えた。あれじゃ余計苦しむだけだ」


 視線を落とす。


 クマはまだ生きている。


 息が荒い。


 苦しんでいる。


「決めたらやり切ること。【チリアット】」


 黒い針が、正確に喉を貫いた。


 苦しみは、一瞬で終わる。


 魔物は、音もなく崩れて消えた。


「……できないよ――」


 組み手とは違う。


 これは、命のやり取りだ。


 込み上げてくるものを、必死に押し込める。


「――ああ、そっか。できないんだ」


 興味を失ったような声。


「じゃあ、ここで死ねばいい。ボクには関係ない」


 背を向け、歩き出すコモエディア。


「やる!」


 思わず叫んでいた。


「……次こそは、できる」


 震える声。


 それでも、前を見る。


「いい調子♪ 魔王軍幹部を倒せるくらい強くなるんだよ?」


 軽く言い残して、彼は歩き出す。


 あたしも、その後を追った。


 元の世界に帰るために。


 ――止まったら、終わる気がした。

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