第14話:ヴェストニア大陸
クラーケンを退けたあと――
まだ揺れの残る甲板で、軋む音を響かせながら水夫達が慌ただしく応急修理に取りかかっていた。
慌ただしい甲板を後にして、あたしは船内へ戻った。
そのままリネアちゃんの客室を訪れる。
「よいしょ……っと」
ベッドにそっと寝かせる。
リネアちゃんはすぐに、小さな寝息を立てた。
「ありがとうございます。助かりました」
ガルフさんが頭を下げる。
「いえ……でも、あんな戦いのあとで大丈夫なんですか?」
「船酔いの治療で魔力を消費していたのでしょう。今回は少し無理をさせすぎましたね」
さっきまで鳥人の姿だった魔術師が、すでに人の姿に戻って手当てを受けている。
……あれも、魔術なんだろうか。
「イテテ……折れてはねえみたいだな」
「よく持ちこたえました。あなたの働きがあっての勝利です」
それ以上、余計な言葉はなかった。
……けれど、それだけで十分だった。
(この人たち、場慣れしてる……)
「それじゃ、あたしは――」
邪魔にならないよう部屋を出ようとした、その時。
「お待ちを、ミストさん」
ガルフさんが呼び止める。
「ヴェストニアへ向かわれるのでしたね?」
一瞬、言葉に詰まる。
シンベリー――あの人に会うための場所。
「はい。シンベリーを目指しています」
「でしたら、交易都市『カーヒル』を経由することを勧めます」
地図を指でなぞる。
「この先は……甘く見ない方がいい」
笑いの気配が、一切なかった。
「準備なしで進めば――本当に、死にますよ」
その言葉は、軽くなかった。
「……分かりました。カーヒルに寄ります」
深く頷く。
ちゃんと、情報を集めないと。
あたしはまだ――弱いんだから。
その後、船は大きな揺れもなく航行を続けた。
クラーケンの影も、もう現れない。
何事も起きないまま――
気がつけば、一週間が過ぎていた。
「それじゃあ、ここでお別れですね」
船はヴェストニアの港町【アバディフ】へ到着した。
「皆さんの旅路に幸運を」
ガルフさんたちが手を振る。
「ん……ミスト、ありがとう」
リネアちゃんも、小さく手を振った。
「リネアちゃんも元気でね。次会うときは――」
つい、言ってしまう。
「成長した姿、楽しみにしてるわ」
ぴたり、と。
リネアちゃんがこちらを見る。
「それは……身体的な意味?」
「えっ……いや、その――」
慌てるあたしに、彼女はさらりと言った。
「わたし、27歳だけど」
……一瞬、意味が分からなかった。
「…………は?」
声になっていたかも分からない。
思考が止まる。
(え、待って。今、何て言った?)
ふと振り返る。
トウマもナキリも固まっていた。
「ミストさん、俺たち“エリート”なんでね」
「見た目で判断すると痛い目見るぜ?」
ガルフさんたちが笑う。
「し、失礼しました!!」
全力で頭を下げた。
……穴があったら入りたい。
*
港町アバディフの宿。
「まあ、あれは間違えるよな」
「……うるさい」
トウマに軽く笑われる。
「でもまあ、切り替えましょう。明日からの話よ」
ナキリが話を戻す。
「カーヒルまで数日。そこで装備を整える――でいいの?」
「ええ」
頷く。
そして――
「カーヒルに着いたら、2人とはお別れになるわね」
「寂しいけれど、私達は夢を追いに行くわ」
一瞬、沈黙。
けれどすぐに。
「異文化が交わるカーヒルは、音楽も多種多様に富んでいる」
トウマは魔法楽器のギターを鳴らす。
「はぁ〜♡ようやくトウマの音楽が認められるときが来るのね!」
「フェスの時には必ず来いよ! 特等席を用意してやっからよ!」
「……絶対、成功しなさいよ」
苦笑しながら言う。
……こういう時間が、ずっと続けばいいのにと思ってしまう。
*
出発した翌日。
あたし達は、カーヒルへ向かう街道を進んでいた。
「やあ、久しぶりだね」
ぞくり、と背筋が粟立つ。
振り返らなくても分かる。
「……コモエディア」
まるで最初からそこにいたみたいに、
気づいた時には、もう隣にいた。
(……血の匂いがする)
前よりも、明らかに濃い。
「ねえ。あんた、何してるの?」
思わず聞く。
すると――
「それを知って、どうするの?」
その声は、いつもと同じはずなのに――
なぜか、“逃げなきゃいけない”と本能が警鐘を鳴らした。
空気が重くなる。
「……っ」
ダメだ。
踏み込んじゃいけない。
「ごめん。何でもない」
視線を逸らす。
「……そう」
その一言だけなのに。
なぜか、“見逃された気がしなかった”。
それ以上は、何も言われなかった。
けれど。
(やっぱり、こいつ――)
怖い。
その夜は、ほとんど眠れなかった。
——あいつの気配が、頭から離れなかった。
そして翌日――
「さあ、カーヒルを目指して頑張ろう」
その隣には、当然のようにコモエディアがいた。
乾きかけた血が、黒ずんで張り付いている。
……何をしてきたのか、聞くまでもなかった。
「…………!」
誰も、何も言わなかった。
会話はない。
ただ、ひたすら歩くことだけに集中した。
やがて、カーヒルが遠くに見えた。
もうすぐだ。
そう思った、その時。
「っ……!」
コモエディアが、立ち止まる。
「どうしたの?」
問いかけた瞬間――
「――無駄だ」
空間が、静かに“歪んだ”。
音は――しなかった。
なのに、“世界の方が歪んだ”ような感覚が走る。
そこから、“何か”が出てくる。
「お前じゃ、届かない」
現れたのは――
角を持つ悪魔。
そしてもう一人。
銀髪、褐色の男。
「イブリス……」
コモエディアが、その名を呼ぶ。
その瞬間、理解した。
――勝てない。
理屈じゃない。本能がそう告げていた。
呼吸の仕方を、忘れたみたいだった。
「……人間を連れているとはな」
男が、こちらを見る。
ただ、それだけで。
体が、凍りつく。
――いや。
違う。
“動こうとする時間そのものが、奪われた”みたいだった。
(これ……死ぬ)
本能が叫ぶ。
逃げろと。
でも――
動けない。
視界の端で、トウマとナキリも固まっている。
あたしたちはただ――
その場に立ち尽くすしかなかった。
――逃げる、という発想そのものが浮かばなかった。




