第3話 豊穣の森と、最初の収穫祭
物置の古びた扉を押し開いた先──そこに広がっていたのは、薄暗い洞窟などでは決してなかった。
「うわぁ……っ!」
私たちが思わず声を上げて目を見張ったのは、どこまでも続くかのような、風に優しく揺れる広大な草原だった。
地下にあるはずなのに、頭上には柔らかな陽光のような輝きを放つ青空が広がり、開放的な空間が広がっている。頬を撫でる風には、どこか甘い草木の香りと、遠くの森の湿り気が混じっていた。
「すごい……。ここ、本当に地下なの?」
私が呆然と呟くと、私の肩にとまった小さな妖精──ステラが、得意げに胸を張ってフワフワと宙を舞った。
「そうだよ! ここはボクが管理するダンジョンの一層、『豊穣の森』と呼ばれるエリアさ。外の景色なんかとは比べ物にならないくらい、豊かな自然と恵みが詰まった場所なんだからね!」
ステラの声に促され、私たちはまず自分たちの体に起きた変化を確認することにした。
「ねえ、ステラが言ってたみたいに、まずは自分のステータスを確認してみよっか。どうやればいいの?」
私が首をかしげると、ステラは「心の中で『ステータス』って唱えるだけで、自分だけにしか見えないウィンドウが開くよ!」と教えてくれた。
言われた通り、私は目を閉じて心の中で「ステータス」と唱えてみた。
すると、目の前に半透明の青い光のパネルがふわりと浮かび上がった。そこに並ぶ文字を見て、私は思わず声を漏らした。
「あ……私、『空間収納』と『錬金術』、それから『雷魔法』のスキル持ちだって……!」
魔法が使えるというのは純粋にテンションが上がる。
続いて、隣に立っていた千咲さんが腕を組みながら言う。
「どれどれ……。私は、『身体強化』と『剣術』、それから『風魔法』ね。うん、これなら学生時代にやった剣道の感覚もすぐに取り戻せそうだわ」
さすがは千咲さん、戦闘向きの頼もしいスキルが綺麗に揃っている。
「私は……どれどれ……」
と、雫ちゃんは眼鏡のブリッジを押し上げながら自身のウィンドウを凝視した。
「ふむ。私の初期スキルは『鑑定』と『クラフト』、そして『神聖魔法』ですか。戦闘に直接突っ込むタイプではなく、後方支援やアイテム解析に特化した優秀な構成ですね。私の知的好奇心を刺激してくれます」
雫ちゃんらしい、冷静な分析だ。
最後に、妹の柚希が自分のステータスウィンドウを見て「おぉーっ!」と派手な声を上げた。
「私、『身体強化』と『格闘術』、それから『テイム』だって! 動物とかを懐かせるやつかな? なんだか楽しそう!」
柚希の底抜けに明るい声が、広い草原の風に溶けていく。
「よし、それじゃあ本格的に探索スタートだね!」
私たちが新しい力にワクワクしていると、すぐ近くの茂みがガサリと音を立てて揺れた。
「──っ! 何か来るわ!」
千咲さんが素早く身構え、腰に差した日本刀の柄に手をかける。
その視線の先に現れたのは、白い毛並みをした、一見すると普通の愛らしいウサギ……だが、その額の中央には、鋭く光る一本の白い角が生えていた。
「あれは、『ホーンラビット』だね! 低級だけど、動きがちょこまかしてて厄介だから気をつけてよ!」
と、ステラが肩の上から注意を促す。
「可愛いけど、これがモンスターなんだよね……!」
私がたじろぐ間もなく、ホーンラビットはピョンと跳ね上がり、私たちに向かって突進してきた。
「甘いっ!」
千咲さんが一歩踏み出し、流れるような美しい居合の動作で日本刀を閃かせる。
シュパッ、と空気を切り裂く音がした次の瞬間、ホーンラビットはふっと光の粒子に包まれ霧散していった。
「やったね、千咲さん!」
柚希が駆け寄ると、ホーンラビットが消えた後には、キラキラと輝く小さな魔石と、なぜか綺麗に真空パックのような状態でお肉が残されていた。
「おや、これは……」
雫ちゃんがしゃがみ込み、そのお肉をひょいと持ち上げて鑑定の目を向ける。
「ステラさん、このお肉、ご丁寧にラップみたいな膜で包まれていますけれど?」
「うん! このダンジョンのモンスターは倒されると、持ち帰りやすいように自動で精肉処理されてドロップする親切設計なのさ!」
とステラが誇らしげに胸を張る。
「モンスター肉はね、強い敵になるほどたくさんの魔力を含んでいて美味だけど、このホーンラビットも、低級の割には高級なブランド肉程度の旨味があるんだよ」
それを聞いた千咲さんの料理人としてのスイッチがカチリと入った。
「ブランド肉……。それは楽しみね。この新鮮なジビエ肉をどう調理して、ペンションの夜のコースやカフェのメニューに組み込もうか、今から腕が鳴るわ」
千咲さんの目が、獲物を見つけた職人のそれに変わり、私たちは思わずゴクリと喉を鳴らした。
それから私たちは、ステラのナビゲートに従いながら、豊穣の森の奥へと足を進めていった。
木漏れ日が差し込む小道を歩いていると、甘酸っぱい香りが鼻をくすぐる。
「あ、みんな、ちょっと来て! 見て見て!」
少し先を跳ねるように歩いていた柚希が、大げさなほど両手を振って私たちを呼んだ。
駆け寄ってみると、そこには驚くほどツヤツヤとした立派なトマトや、深みのある紫色のナス、さらにはたわわに実った大粒のブルーベリーの低木が、まるで誰かが手入れしていたかのように美しく群生していた。
「わぁ……! これ、全部野菜とフルーツじゃない!」
私は思わず歓声を上げた。
「いただきまーす!」
と、柚希は迷うことなく目の前の真っ赤なトマトをもぎ取り、その場でガブリと大きな口を開けてかぶりついた。
「っ……! なにこれ、めちゃくちゃ甘いっ! それに、噛んだ瞬間にじゅわって果汁が口いっぱいに広がるよ! 普通のトマトの何倍も濃い味なのに、えぐみが全然ない!」
柚希が目を丸くして感動の声を上げ、私たちもそれぞれブルーベリーやトマトを口にしてみる。
「本当だわ……。これは市販の野菜とは全く違う。大地の養分と、適度な魔力が完璧に調和しているのね。このトマトを使った冷製カプレーゼなんて、カフェの目玉メニューになるわよ」
「うん、間違いないね。これだけの食材がダンジョンで無限に手に入るなら、私たちのレストランはそれだけで無敵だよ」
私たちは大喜びでカゴいっぱいにトマトやナス、ブルーベリーを収穫し、私の初期スキルである空間収納の中に次々と放り込んでいった。重さを全く感じずに収納できるこのスキル、とても快適で便利だ。
さらに森の奥へと進み、木々の間から差し込む光が明るくなってきた頃──。
「あ、上空に何か来ますよ!」
雫ちゃんがピッと指を差した。見上げると、青空のような天井の低いところを、ふっくらとした美しい鳥型のモンスターがパタパタと優雅に飛んでいる。
「あれは『クリスピー・ファウル』だね。通称・サクサク鳥さ!」
とステラが宙でくるりと回ってみせる。
「ぱっと見はふっくらとした美味しそうなキジや地鶏に似ているけれど、羽毛自体がすでに揚げた衣みたいに香ばしいキツネ色をしている美味しい子だよ!」
「よし、私に任せて!」
私は一歩前に出ると、先ほど手に入れたばかりの雷魔法のイメージを頭に浮かべた。
「私の初魔法、見せてあげる! サンダー・アロー!」
私の指先からバチバチと青白い閃光が走り、鋭い雷の矢が一直線にクリスピー・ファウルめがけて放たれた。
「ピギャアッ!?」
見事に命中した鳥型モンスターは、電撃に痺れてふわりとバランスを崩し、私たちの目の前の草むらに綺麗に着地するように倒れ込んで消えていく。
「お見事です、唯衣さん!」
と雫ちゃんがすかさず鑑定をかけ、データをはじき出す。
「ドロップアイテムは魔石と……これですね。ふむ、『サクサクもも肉』。肉質が非常にジューシーで、すでにほんのり下味がついているかのような旨味があるそうです」
雫ちゃんが満足そうにうなずき、私は自分の初魔法の成功に小さくガッツポーズをした。
それからさらに、森の開けた小高い丘に差し掛かった時、前方の茂みから、ピョンピョンと跳ね回る小さな影が飛び出してきた。
「あ……! あれ、見て!」
柚希が声を弾ませる。そこにいたのは、手のひらに乗るほど小さな体で、背中の縞模様がプリズムのように七色にきらめく虹色の光を放っている、愛らしいリスだった。
「あっ、あれは……!」
ステラが目を見開く。
「『レインボー・チップ』だね! 通称・虹色リス、あるいはラッキー・シマリスと呼ばれる、滅多に姿を見せない超レアなモンスターだよ!」
雫ちゃんがすかさず声を張り上げる。
「皆さん、あれは倒すと、ペンション経営において喉から手が出るほど欲しい『レアドロップアイテム』を落とすらしいですよ! 絶対に逃がしてはダメです!」
「よーし、私に任せて!」
柚希が身体強化のスキルを全開にし、地面を蹴って猛烈なスピードで追いかけ始めた。
レインボー・チップは「キュキュッ!」と可愛らしい鳴き声を上げながら、ピョンピョンと跳ね回り、消え残る美しい虹の軌跡をあちこちに描きながらものすごい速さで逃げ回る。ただ追いかけるだけでは到底追いつきそうにない。
「逃がさないわよ……!」
千咲さんが素早く身構え、風魔法の詠唱を込めて手元の日本刀を軽く振るった。
「ウインド・エッジ!」
放たれた鋭い風の刃が、レインボー・チップの進路の少し先をかすめ、地面を切り裂いた。そのわずかなプレッシャーに驚いたリスが、ピタリと動きを止めた瞬間──。
「今だあっ!」
柚希が一気に間合いを詰め、見事な跳び蹴りをお見舞いした。
「やったあ! 倒したー!」
レインボー・チップは少しふらふらとした後、ゆっくりと光の粒子に変わって消え、その跡に一際鮮やかに輝く小さな宝物が残された。
「わあ……っ!」
私たちが駆け寄ると、草の上にポツンと置かれていたのは、七色に輝く鉱石がトップにあしらわれた、息をのむほど美しいペンダントだった。
雫ちゃんがそれをそっと拾い上げ、目を輝かせながら解説を始めた。
「これが、レアドロップアイテムの『幸運のペンダント』……! これを身につけたり宿のフロントやカフェの特等席に飾ったりすると、ダンジョンでのレア素材のドロップ率が上がったり、一般のカフェの予約がなぜか急に満席になるなど、文字通り人生のツキや幸運を呼び込む不思議なパワーを発揮するそうですよ!」
「なにそれ、最強の開運グッズじゃない……!」
と柚希が目を丸くし、私も「これがあれば『星屑荘』の客足も一安心だね」と胸をなで下ろした。
ひとしきり大収穫の喜びを分かち合い、空間収納が新鮮な食材や戦利品でパンパンになった頃。
「ふう……なんだか、久しぶりに体を思いっきり動かしたから、そろそろいい感じに疲れたわね」
千咲さんが額の汗をハンカチで拭いながら、ふうと息をついた。
「戻ったら、あのペンションの綺麗なシャワーを浴びて、さっぱりしたいわ」
「そうだね。それじゃあ、大きな収穫もたくさんあったことだし、今日のところは、この辺にしておこうか」
私の合図に合わせて、ステラが「はーい、お疲れ様!」と空中でパチンと手を叩いた。
私たちは光の扉をくぐり、一瞬の浮遊感を経て、無事に現実世界──ペンション『星屑荘』のプライベートスペースの物置部屋へと帰還したのだった。




