第4話 魔獣ディナーと明日への期待
シャワーを浴びて、今日一日の心地よい汗と物置のホコリを綺麗に洗い流した私は、ふかふかのバスタオルで髪を拭きながら、ペンション『星屑荘』の広く温かみのあるリビングへと足を踏み入れた。
外はすっかり藍色の夜の帳に包まれ、清里高原の夜空には、都会では決して見られないような、息をのむほど無数の星々が瞬き始めている。まさに『星屑荘』という名にふさわしい、ロマンチックで静寂に満ちた夜だった。
「ふう……生き返るぅ……!」
リビングのソファにバフッとダイブしたのは、同じくお風呂上がりの柚希だ。ポニーテールをほどいたセミロングの癖っ毛を揺らしながら、全身でリラックスしている。
「ちょっと柚希、ソファの上でそんなにはしゃがないの。せっかくお掃除したばかりなんだから崩さないでよ」
私が苦笑しながら注意すると、厨房の方から、なんとも形容しがたい、香ばしく食欲をそそるスパイスとトマトの豊かな香りが漂ってきた。
「あら、唯衣。ちょうどいいところに上がってきたわね。そろそろ夕食の準備ができるところよ」
そう言ってキッチンカウンターの向こうからひょっこり顔を出したのは、エプロン姿の千咲さんだった。艷やかな黒髪をざっくりと一つにまとめ、手際よくフライパンを振るその姿は、プロの料理人のオーラを放っている。
「うわぁ、いい匂い! お腹ペコペコだよ、千咲さん!」
柚希がぴょんと飛び起き、キッチンへと吸い寄せられていく。私もその後を追うようにダイニングテーブルへと向かった。
テーブルの上には、先ほどダンジョン『豊穣の森エリア』で私たちが命がけ(?)でゲットしてきた戦利品たちが、今や最高級の食材として並べられている。
千咲さんが腕を振るってくれた今日のメインディッシュは、ホーンラビットの肉をふんだんに使った『トマト煮込み(カチャトーラ風)』だった。森で収穫したばかりのあの真っ赤で甘いトマトをベースに、ハーブと赤ワイン(祖父のコレクションの残り)でじっくりと煮込まれたそれは、見た目からしてすでに勝利を確信させる輝きを放っている。
さらに、サイドには収穫したてのフレッシュトマトとブルーベリーをあしらったサラダが添えられていた。
「お待たせ。それじゃあ、私たちが手に入れた最初の食材と、これからの新しい生活の成功を祝って……乾杯しようか」
千咲さんがグラスに注いだぶどうジュースを配りながら、優しく微笑む。
「「「かんぱーい!」」」
私たちはグラスを軽く合わせ、さっそく熱々のホーンラビットのトマト煮込みを口へと運んだ。
「──っ!?」
一口食べた瞬間、私は思わず目を見開き、両手で頬を押さえた。
お肉は信じられないほど柔らかく、噛み締めるたびにジューシーな旨味がジュワッと口いっぱいに広がる。臭みなんて微塵もなく、むしろ上品な甘みと、トマトの爽やかな酸味が完璧なハーモニーを奏でているのだ。
「なにこれ……! めちゃくちゃ美味しい……! お肉がとろけるよ、千咲さん!」
柚希は目をハートマークにして、スプーンが止まらない様子でパクパクと食べ進めている。
「ふふ、どう? 私の腕もそうだけど、何よりこの食材自体のポテンシャルが凄まじいのよ。ステータスを得たからかしらね? 下処理をしている段階から、上質な魔力が肉の繊維に行き渡っているのが分かったわ。これなら、どんな高級イタリアンのレストランに出しても文句なしなできばえね」
千咲さんも満足そうに自分の分のフォークを動かしている。
「まったくですね。このクオリティの料理を原価ほぼゼロで、しかもダンジョンという無限の供給源から調達できるとなれば……経済学的にも、私たちのビジネスモデルは初期投資を瞬時に回収できるウハウハな超優良案件と言えます」
そう言って、眼鏡をキラーンと光らせながらグラスを傾けるのは雫ちゃんだ。その足元には、いつの間にか小さな白い影がちょこんと座っていた。
「ボクもいただくねー!」
そう言って、フォークを両手で持ち、ホーンラビットの煮込みを美味しそうに頬張っているのは、私たちの肩に乗っていた妖精・ステラだった。
いつの間にか一緒にテーブルに座っているステラいわく「ダンジョン契約者以外の一般的な人間には、ボクの姿は見えないし声も聞こえない仕様だから安心していいよ!」とのことだった。だから、もし今後一般のお客さんがカフェに来たとしても、ステラがうろうろしていてパニックになる心配はないらしい。
「ステラも気に入った?」
私が尋ねると、ステラは口の周りにトマトソースをつけながら「うん! 絶品だよ、マスター! 人間の作る料理って最高だね!」と満面の笑みを浮かべた。
こうして、温かい初日の夕食の一時が賑やかな雰囲気の中すぎていった。
§
美味しいディナーですっかりお腹が満たされた私たちは、そのままリビングのソファやラグマットの上にまったりと陣取り、今日一日の出来事について振り返りながらお喋りに花を咲かせた。
「いやあ、それにしても……」
柚希がグラスに残ったジュースを飲み干し、大きく伸びをした。
「ステラにダンジョンに招待された時は、どうなることかと思ったけどさ。蓋を開けてみたら、危険な目に遭うどころか、あんなに楽しくて美味しい食材がたくさん手に入っちゃうし、これはもう大助かりどころの騒ぎじゃないよね!」
「本当にそうだよね。最初は戸惑ったけれど、いざスキルを使ってモンスターを倒してみたら、なんだか心地よい爽快感があって……私、ちょっと病み付きになりそうかも」
私がそう言うと、柚希が「でしょでしょ!? 私たち、実は戦闘に向いてる才能があったんだよ!」と嬉しそうに同意する。
「私の剣術も、まだまだ体が感覚を覚えていて錆びついてはいなかったわね。あのホーンラビットの動きを見た瞬間、学生時代の血が騒いじゃったわ」
千咲さんが自分のしなやかな手首を眺めながら、フッと誇らしげに微笑んだ。プロの料理人としての包丁さばきだけでなく、剣道で鍛えた身体能力がここで活きるとは、人生何がどう転ぶか分からないものである。
「それに、このモンスター肉やダンジョン産の作物を活かした料理は、間違いなく私たちのペンション『星屑荘』およびカフェ『瞬き』の最大の目玉、強力なキラーコンテンツになります」
雫ちゃんがスッと表情を引き締め、ビジネスモードのトーンで語り出した。
「世間のグルメな観光客たちは、常に『ここでしか味わえない体験』を求めています。清里という最高のロケーションに加え、ダンジョン産という超プレミアムな食材を使った料理を提供できれば、SNSのクチコミや美食家たちの間で、瞬く間に予約の取れない伝説の宿になることは確実です」
「おっ、雫ちゃんの悪徳プロデューサーみたいな黒い笑みが出てきたけど、言ってることは完全に正しいね!」
と柚希が笑う。
「失礼ですね、私は極めて現実的で健全なマーケティング戦略を述べているだけです。……で、ですね」
雫ちゃんはピッと人差し指を立てて、私たちを見回した。
「お客さんに出すお料理は、今後すべてこのダンジョン産のものを中心にしてメニューを構築していきましょう。千咲さん、新しいコース料理のアイデアとか、すでにいくつか浮かんでいるんじゃないですか?」
「ふふ……そうね。あのトマトを使った冷製パスタや、クリスピー・ファウルのモモ肉を使った香草焼き、それからデザートにはあの甘酸っぱいブルーベリーをふんだんに使ったタルトなんかを作ったら、絶対にお客さんは喜んでくれるはずよ。メニューの構想は、頭の中でいくらでも膨らんでいるわ」
千咲さんの目が、料理人としての情熱でキラキラと輝いている。東京のレストランではマニュアルや数字に縛られて制限されていた彼女のクリエイティビティが、この『星屑荘』で完全に解き放たれようとしていた。
そんな会話を聞きながら、私はふと、雫ちゃんのスキルについて思い出した。
ねえ、と私はテーブルの上に乗り出してみせる。
「雫ちゃんの持っている『クラフト』のスキルを使えばさ、いろんなものが作れそうじゃない?」
私のその言葉に、雫ちゃんは「おっ」と目を細め、興味深そうに私を見た。
「というと、唯衣さん?」
「例えばさ……このペンション、祖父が大切にしてくれてはいたけれど、やっぱり建物自体は古いところもあるじゃない? だから、客室のベッドや机、椅子みたいな家具を、雫ちゃんのクラフトスキルとダンジョンで手に入れた良質な木材とか素材を使って、自分たちで自作してみるのなんてどうかなって思ったの。アンティーク調ですごくおしゃれな、世界に一つだけのオリジナル家具が作れそうじゃない?」
私の提案に、柚希が「それ、めちゃくちゃいいじゃん!!」と手を叩いて賛成した。
「ログハウスの雰囲気にも絶対合うし、自分たちでお部屋をDIYしていくみたいで楽しそう!」
「家具の自作、か……。悪くないわね。市販の既製品をただ並べるよりも、温かみのある統一された空間を演出できるし、何よりコストが大幅に抑えられるわ」
と千咲さんもうなずく。
さらに、雫ちゃんは眼鏡のブリッジをクイッと押し上げながら、その思考をさらに一段階深化させた。
「家具だけではありませんね。私のクラフトスキルと鑑定スキルを組み合わせれば、モンスターの毛皮や特殊な素材を使って、例えば、耐久性の高いおしゃれなアウトドア用のバッグや、肌触りのいい毛皮のコート、さらにはペンションのロゴを入れたオリジナルグッズなども製造可能です。それをカフェの片隅で物販として並べれば、宿泊費以外のサブ収益もしっかりと確保できます」
「さすが雫ちゃん、目の付け所が商人のそれだよ……! すっかり敏腕プロデューサーの顔つきになってるよ!」
柚希がからかうように笑うと、雫ちゃんは「ふっ、資本主義社会を生き抜くための基本教養ですよ」と涼しい顔で言い放った。
「家具も、雑貨も、そして最高の料理も……。私たち四人のスキルを合わせれば、お金をかけなくても、自分たちの手で最高に居心地のいい、唯一無二の理想郷が作れちゃうんだね」
私は温かいマグカップを両手で包み込みながら、しみじみとそう呟いた。
東京の満員電車に揺られ、終わりの見えない数字の入力作業に追われていたあの頃の自分が、まるで遠い昔の出来事のように思える。あの時の息苦しさが嘘のように、今の私の胸の中には、これから始まる未来へのワクワクと期待でいっぱいに満たされていた。
「そうだね! 唯衣お姉ちゃんと思い切って『星屑荘』を継ごうって決めて本当に良かったよ。最高の一歩だったね!」
柚希が私の肩にポンと腕を回し、満面の笑みを向けてくれる。
「ええ、本当に。ここからが私たちの本当のスタートね」
千咲さんも優しく微笑み、グラスを掲げるように軽く手を上げた。
「明日はさっそく、ダンジョンの二層目を目指すのかい? それとも、今日ゲットした食材の下処理や、カフェのメニュー試作にする?」
ステラがトコトコとテーブルの上を歩きながら、私たちに首をかしげて尋ねる。
「ふふ、そうね……。明日からのスケジュールは、朝のミーティングでしっかり決めましょう。でも、まずはしっかり睡眠をとって、明日に備えないとね」
千咲さんの言葉に、私たちは大きくうなずいた。
窓の外では、清里高原の夜風が静かに木々を揺らし、満天の星空が私たちの新しい門出を祝福するかのように、どこまでも優しく輝いている。
都会の喧騒を離れ、幼馴染み四人と小さな妖精が織りなす、秘密のダンジョン付きペンション経営ライフは幕を開けたばかりだ。




