第二話 ナラヤの町の下水道
川瀬千草16歳 転移前は妙彩学園の女子高生。 転移特典呪文「反射」を得た。
マイラ 16歳 ダルーガ教と対立する、フーラ教徒が住むヤルケノ村の少女。
この世界のことをチグサに教え、世話を焼く。
混乱が広がる広場で、どこにも行けずに立っていた私の手を引っ張る者がいた。
オークの衣とかいう物を着た小柄な人物――。
さっきからずっと、私を熱い視線で追いかけていた、あの視線の主。
「早くこっちへ。あいつらが体制を立て直す前に……」
女の子の声だった。少し息が上がっているけれど、芯の強い響きがある。
私は考えるより先にその手に引かれ、
黒衣だらけの人混みの隙間を縫うように走り出した。
背後ではまだ隊長が「狭い! 暑い! むせる! 臭い! 誰か助けろ!」
と悲痛な叫び声を上げ続けていた。
私は彼女に付いて広場を脱出した。
路地裏へ滑り込むと、途端に日差しが遮られ、ひんやりとした影が落ちる。
そこは腐った食べ物の臭いと、獣の糞の臭いが漂っている場所だった。
それでも、市場の喧騒から離れられただけで、少しホッとした。
「さあ早く。ここを下へ降りるの!」
小柄な少女が路地の奥にある、鉄の蓋を力いっぱい持ち上げた。
下から冷たく湿った風と、強烈なメタン臭が吹き上がってくる。
下水道だ。
「え、ちょっと待って……マジで入るの?」
「迷ってる暇なんてないわよ!」
(確かにそうだ)
私は鼻を押さえながらも、彼女に続いて梯子を降りた。
スニーカーがズブリと汚水に沈む感触に、背筋がぞわっとした。
制服の白ソックスが一瞬でぐっしょりと濡れて、足先から冷たくなっていく。
それに暗い。ここは本当に暗い。
時折、天井の隙間から僅かに地上の光が漏れてくるだけで、ほとんど何も見えない。
足元はニチャ、ニチャと粘つく感触で、時々何か柔らかいものが踵に当たる。
(うわぁ……これ、後から絶対に後悔するやつだ……。)
「異国の人? いきなり驚いたでしょう?」
前方から、くすくすと笑う声が響いた。
彼女はオークの衣の頭部分を少しだけめくり、顔だけを出していた。
薄明かりの中で見えるその顔は、私と同じくらいの年頃――
十五、六歳くらいの少女だった。
大きな瞳と、少し跳ねた茶色の前髪が印象的だ。
「あっ、これ? 拘束の衣がなんで自分で脱げるのかって思った?
実は中から簡単に脱げるように、縫い目を改造してあるの」
そう言って縫い目の部分を私に見せた。
「村の女の子たちでこっそり加工してるのよ」
彼女は得意げに胸を張った。
暗い下水道の中で、そんな仕草をするのがなんだか可愛くて、笑ってしまった。
「マイラっていうの。あなたは?」
「私は……川瀬千草。チグサって呼んで」
「チグサ? 変な名前ね。どこから来たの? タウリン?
それとももっと遠い海の向こう?」
「日本っていうところ……でも、そんな国、知らないよね?」
マイラは少し首を傾げて少し考えた後、「知らないわ」とあっさり答えた。
その瞬間、胸の奥がヒュンとなった。
(そうだろうと覚悟はしていたけど、私は本当に一人なんだ……)
下水道は迷路のように枝分かれしていた。
壁には古い数字のような記号が刻まれていて、マイラはそれを指でなぞりながら、迷わずに進んで行く。
完全に地図を把握しているようだった。
感心していると彼女はさも得意そうに――
「私は女だけど、数字が読めるのよ。やつらに見つかった大変だけどね」
と口に指をあてて、秘密だという表現をした。
ここでは女性が数字を読むことさえダメなのかと、唖然としていると……、
彼女は勘違いしたのか――
「実は私、足し算もできるの。村の男たちはみんな『女が数字を知ると魔女になる』なんて言うけど、だったら私はもう立派な魔女ね!」
とイタズラっぽく笑った。
こんな世界では、うかつに、
「私だってね、二次方程式くらいだったら解けるんだよ」
なんて言ったら、本当に火あぶりにされかねない。
走り続けてどれくらい経っただろうか。
冷えと疲労で足がつりそうになって、息も上がってきた頃、ようやく前方から明るい光が見えてきた。
「ここよ!」
と、彼女がうれしそうに言った。でも……、
出口は小さな鉄格子で塞がれていた。
それをマイラが器用に外すと、そこから小川へと繋がっていた。
私たちは冷たい水に足を浸しながら、格子をくぐって地上に出た。
外の空気が、こんなに美味しく感じるなんて……。
陽の光が眩しい!
下水道の悪臭から解放された途端、肺が喜んでいるのが分かった。
周囲は里山の裾野だった。
私はスニーカーと靴下を脱いで、小川で洗い、絞った。
周りを見渡すと、緩やかな斜面に低木が生い茂り、ところどころに赤や黄色の野花が咲いている。
「ここから三タバーンほど行ったところに、ヤルケノ村があるの。ダルーガ教徒たちが吐き捨てるように言う、異教徒の村よ」
「三タバーンって……どのくらい?」
「タバーンが三つってこと。タバーン、タバーン、タバーン。分かる?」
全然分からないけど、彼女が一生懸命説明してくれているので、私は素直に頷いた。
この後、チグサはマイラの村・ヤルケノに連れて行かれますが、はたして村人たちは異国の少女を歓迎してくれるのでしょうか?




