第八話
エレベーターが上昇を始めるとやっと、ルーは身体の力が抜けたようになってこちらに寄りかかってくる。華奢な肩が寒そうにぶるりと震えて、親に甘える子猫のように身を寄せる。その肩を捕まえてきつく引き寄せると、ルーはぼんやりと私を見上げた。
「…友人同士って設定、忘れてるだろ、きみ…」
「………」
「あったなーそんな設定、みたいな顔やめろよお…面倒ごとは嫌なんだって…」
「この現場では、むしろ公にしておいた方が、牽制になる、と思うのだが」
「…君の言い分も、わからなくはないけどさ…僕はイヤだよ、ひとに目の敵にされたり、夜道で刺されたりするのはさ…」
「…極端だな」
「きみに夢中なのはぼくだけじゃないってこと。やだよー、ウィーンで客死とかー勘弁してよー」
私の肩に頭を擦りつけながらルーが言う。睦言のように聞こえなくもない台詞にどんな顔をしたらよいか分からず、唇を引き結んで肩を抱く手に力を籠める。
高い音を立てて止まったエレベーターを待つ旅客を前にして、ルーは飛び跳ねるように身体を避けた。
「ここまででいいよ、荷解きも自分でできるから」
とても一人になどしておけないような頼りない風情でルーは嘯く。
「部屋に入ったら駄目か」
と聞くと、
「だめ」
とすげない返答だ。
「きみと個室で、ふたりきりになると、…ぜんぶだめになっちゃうから、」
訥々と話すルーの頬が仄かに赤らみ、そのまま、振り切るように鍵をまわす。
「夕食時に、また迎えに来る」
「…うん」
「ベッドでゆっくり休むといい。移動したばかりで、疲れているだろう」
「…ん」
細く開けた扉の隙間にするりと身を躍らせて、揺れる瞳のルーは「じゃあ、またあとで」と淡々とした声で呟いた。
ボクは軽い足取りで廊下を進む。セデュイール様のお部屋はボクの上の階だ。さっきラウンジでロビーのお姉さんに聞きだしたから間違いない。にっこり笑って上目遣いすれば大抵なんでもボクの思い通りになる。思い通りにならないのは、そうだなあ、セデュイール様がボクを子ども扱いしてるってことくらい?
まあわかるよ、ボクたちが初めて会ったのはボクが16のときだから、可愛い男の子ってイメージで、彼の中では定着しちゃってるんだろう。ボクも16のときはもっと初々しくて、やさしくてかっこいいセデュイール様に初恋を奪われたばっかりで、あんまりうまくボクの魅力をアピールできてなかったし。
でももうボクは21歳だ。お酒の味も、女の子の味もしっかり覚えて、大人の仲間入りもした。今回の映画の撮影中に、ボクはセデュイール様を落としてやるんだ! 大人の魅力が増して、5年の間に、なんかすっごく色っぽくなってる彼を、ボクの恋人にするんだ! 恋人が無理なら愛人でもいい! もうこの際なんでもいい! あのお友達? とかいう、ルーシュお兄さんには負けないぞー!
チャイムを押すと少しの間があって、セデュイール様が扉を開けてくれる。
「お夕食、ご一緒しませんかあ? ボク、どうしてもセデュイール様にお話ししておきたいことがあってえ…」
セデュイール様は少し困ったようなお顔をされていたけど、仕事の話、とボクが切り出すとキチンとまじめに応対してくれる。共演者の誰に対しても、スタッフさんにもやさしくて、紳士で、まじめなセデュイール様だから、仕事を疎かにしたりはしない。そんなこと天変地異が起こってもありえない。ボクはそれをよーく知っているので、こういうときに、うまーく、利用してやるのだ。ふへへ。
ボクの演技論に付き合って相槌を打ちつつ、ちらと時計を見るセデュイール様に、
「レストランに行きましょうか。廊下で喋っててもなんですしい…」
と切り出す。
「友人と約束がある。続きはまた明日…」
「えーそれってルーシュお兄様ですよね! ボクもご一緒したいなアだめですか!? ボク、ルーシュお兄様ともお話ししたいこと一杯あるんですう! 音楽のこととか、ボクあんまり知らないから興味あってえ」
ぐいぐい前のめりに詰め寄るとセデュイール様はあんまり抵抗できない。特に音楽の話とかを持ち出すと、結構ノリノリで応じてくれる。これもボクが5年間で学んだことの一つだ。ここだけなら結構ちょろそうに見えるのに、最後の防波堤がめちゃめちゃ高くてなかなか超えられないんだよなー。役者にあるまじき貞操観念の高さというか、なんというか…。なあそういうところも、お堅くてスキなんだけど♡
結局、ボクの懇願を無碍にできないセデュイール様はボクと一緒にルーシュお兄様の部屋に向かった。
ちなみに、ボクはがっちりセデュイール様の腕を両腕でホールドしてる。ルーシュお兄様に見せつけてやるんだって気持ちで。お友達だかなんだか知らないけど、ボクの美貌はルーシュお兄様にも負けてないって思う。まあ全然タイプが違うから、比べるのもヘンだけど。儚げな深窓の令嬢、みたいな雰囲気のルーシュお兄様と、健康的で真夏の太陽が似合う美少年のボクとじゃあ、共通点がひとつもないからね。
部屋のチャイムを押して、セデュイール様の部屋のときよりもっと長い時間廊下で待たされて、やっと開いた扉の隙間から、お兄様が顔を出す。
なんだか寝起きでぼんやりしてるみたい。ぼさぼさに乱れた寝癖がひどい。うっわ、信じられない。こんな格好でセデュイール様の前に出られるなんて、美意識の欠如がひどすぎない? それとも、ただの友達だからこそ、なのかな…。
「ルー、よく休めたか? 夕食に出られるか?」
「あー、もうそんな時間? …ずっと寝てたから、荷解きもまだしてないや…」
ぽつぽつと呟きながら、お兄様の目線はボクの腕に固定されてる。がっちりとセデュイール様の片腕を抱きしめたボクのこの腕に! ふへへ、効果アリだ。嫉妬しちゃってるのかな? 友達なのにおかしいなあ?
「一緒にレストランに行きましょうよお、お兄様、ボク音楽の話も聞きたくってえ…」
「…ごめん、ちょっと今日は、つかれてるから…」
「…部屋に食事を運ばせよう。何なら食べられる?」
「いいよ、自分でできるから…セデュは夕食に行って、」
「しかし、お前をひとりには…」
「ぼくはひとりがいいんだ。疲れてるって言っただろう。…じゃあまた明日」
バタンと目の前で扉が閉じられる。わー、大人としてあるまじき態度だ。なに? やつあたり? 性格悪すぎない? 芸術家は変人が多いって聞いたことあるけど、あのひともその類なのかな? セデュイール様は、なんであんなひとに優しくしてあげてるんだろー。…。まあセデュイール様は誰にでも優しいからな。うん。彼だけ特別なんて、そんなわけないない。
「なんか、怒らせちゃった、んですかね? ボク…」
うるうるの涙目で見上げると、セデュイール様は痛いのを我慢してるみたいな顔で閉じた扉をじっと見つめていた。…いやそこは隣にいるボクを見てよ! この可愛らしい黒い瞳をさあ!




